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ナゴルノカラバフ紛争で際立つ、きな臭いロシアの〝同盟観〟|【POINT OF VIEW】

文・小泉 悠(Yu Koizumi)
東京大学先端科学技術研究センター特任助教
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専門は、ロシアの軍事・安全保障政策、軍需産業政策など。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)など。

出典:Wedge 2021年1月号

 2020年11月10日、アルメニアとアゼルバイジャンの間で停戦合意が結ばれた。旧ソ連の南カフカス地方に属する両国の紛争は、遠い地域の出来事のようにも思われよう。しかし、この紛争は日本にとっても多くの教訓を含んでいる。

 ソ連に対抗するために結成された北大西洋条約機構(NATO)は、ソ連崩壊後にその性格を大きく変えた。人道危機への介入や大量破壊兵器の拡散阻止、対テロ戦争など幅広い任務に携わるようになり、その中心に位置していたのが、イスラム過激派組織タリバンとの戦いが続くアフガニスタンだった。こうした地域を安定させ、米国と欧州中心の国際秩序の中に巻き込んでいくことが冷戦後のNATOの主任務であったと言ってよい。

 日米同盟も、ソ連から日本を防衛することに主眼が置かれていた冷戦期とは違い、朝鮮半島有事や対テロ戦争など幅広い事態が想定されるようになった。

 サイバーや情報分野でも同盟国の協調が重要になった。21世紀の西側諸国では、同盟とは全方位にわたる安全保障協力の枠組みであるとの認識が生まれてきた。

 だが、世界を見渡すと、「同盟」のあり方は一様ではない。西側諸国の常識が及ばない領域もある。

 例えばロシアは、アルメニアなど旧ソ連5カ国とともに集団安全保障条約機構(CSTO)を結成しており、加盟国が外国の侵略を受けた場合には他の加盟国が軍事的支援を行うとしている。これを見る限り、CSTOはNATOや日米同盟と同じような集団防衛機構ということになる。

 だが20年9月、アルメニアが戦争に至っても、ロシアは同国への軍事支援に一切動かなかった。公式の理由は、戦争地域となったナゴルノカラバフが国際的に認められたアルメニア領ではなかったから、というものであり、これは事実でもある。だが、いざというときに助けてくれないならば何のための同盟だという疑問が湧くのは当然であろう。

 マクシム・クリロフ氏の論文『ナゴルノカラバフ紛争再燃 緩む国際秩序にほくそ笑むロシア』は、ロシアからの目線でこの点を我々日本人にも分かりやすく説明したものだ。クリロフ氏が寄稿するカーネギー平和財団モスクワセンターは、プーチン政権批判も辞さない中立的な視点で定評があり、本論文もロシア外交の節理を一歩引いた視点から詳らかにしている。すなわち、ロシアが旧ソ連諸国に対し望むのは、有事に肩を並べて戦ってくれることではない。ロシアに逆らわず、ロシアに敵対する同盟にも加盟しないこと、つまりロシアの「勢力圏」に留まり続けることだ。CSTOの存在意義は、旧ソ連諸国をロシアに依存させ、外国の「勢力圏」下に入らないようにするための装置ということになる。

2019年のCSTO首脳会談。一番左がアルメニアのパシニャン首相。今回の紛争で、プーチン大統領(右から三番目)はCSTOを機能させなかった (REUTERS/AFLO)

 その意味では、今回の戦争がロシアにとって極めて都合のよいものであったことはクリロフ氏が述べるとおりだ。この戦争で劣勢となったアルメニアは、ますますロシアに頭が上がらなくなった。しかもロシアは、同じく「勢力圏」の一部を構成するアゼルバイジャンとの関係を悪化させることなく、ナゴルノカラバフに平和維持部隊を展開させる権利を得て、むしろ影響力を強めたのである。

 日本人は中露、中朝などが同じ価値観で結ばれ、蜜月関係にあると捉えがちだ。だが、彼らの定義する同盟は決して一義的なものではなく、個別事情を深く観察しなければ正確な実態を把握できないというのが本論文の教訓であろう。これは日本が独自の世界観を持つ各国と外交を展開する上で、一つの鍵となる見方だ。

出典:Wedge 2021年1月号

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