丁寧な暮らしへのあこがれ
朝、日が上がる前に早起きして、窓を開けると爽やかな風が部屋に流れ込む。コーヒーを丁寧にドリップして、ゆっくりと読書を楽しむ…そんな「丁寧な暮らし」をしたいと思う周期が3か月に1回くらいのペースでやってくる。
インスタで見るような、シンプルで美しい部屋、無駄のない動作、丁寧に仕上げられた料理。ああ、こんな生活をしたいなあって思う。思うだけなら、いつだってできる。でも、実際にやろうとすると、現実はそんなに甘くない。
朝、目覚ましを止めるのが精一杯で、何度もスヌーズ機能に頼り、結局ギリギリまで布団にくるまっている。起き上がるのが億劫で、朝食なんてトーストをさっと焼いて、バターを雑に塗るだけ。それさえも面倒に感じる日がある。
「丁寧に暮らす」って言葉には惹かれる。何かを手間暇かけて、自分の時間や気持ちを大切にすることのように聞こえるし、確かにそうしたいと思う。でも、どうしても日々の忙しさや、手軽さに流されてしまう。目の前のタスクをこなすだけで精一杯で、気づけば夜になっているのだ。
結局、今日も洗い物は溜まったままだし、部屋の隅にはホコリがたまっている。それでも、なんとかやっているんだから、良しとするか、なんて自分に言い聞かせてしまう。
「丁寧な暮らし」って、もしかしたら理想すぎるのかもしれない。完璧じゃなくても、今の私なりに暮らしていること自体が、丁寧な一部なんじゃないかって。そんな風に自分を少し甘やかしつつ、また明日もトーストを焼いて、雑にバターを塗る日が続くんだろうな。
でも、それでもいい。丁寧に生きようとする、その気持ちだけは忘れずに、たまに気が向いたときだけ、少し手間をかける。それくらいが、私にはちょうどいいのかもしれない。
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