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あなたの推し馬は誰ですか?前編

みなさんは、競馬というとどんな印象がありますか?

スポーツという見方もできるが、所詮はギャンブル。
なかなか勝つことのできない残酷な一面がある。
馬がカッコいい、自分も頑張ろうと勇気を貰える。
素敵なCMを作っている。

色々なイメージ、印象があると思います。

俺はスポーツマンシップもスポ根魂もまるでありません。オリンピック、ワールドカップも、相撲も、WBCも、何を見ても特に感動も興味も沸かずにいました。

そんな自分が、初めて泣いて、感動したスポーツが競馬でした。

きっかけこそ、かつて活躍した実在する競走馬が女の子になって走る「ウマ娘プリティーダービー」でしたが、史実での活躍やエピソードを知って感動しました。

絶対的な強さを誇る三冠馬
自分と同じ1995年生まれの名馬たち
偉大な親の背中を追いかけた帝王と呼ばれた馬
日本中の人々に愛された地方競馬のスター
悲しい最期が語り継がれる稀代の逃げ馬

あなたの夢は誰ですか?


偉大な記録を遺した三冠馬たち

皐月賞、日本ダービー、菊花賞。

これらはクラシック三冠レースと呼ばれ、一生に1度だけ、選ばれた馬のみが挑戦できます。

1つ(一冠)勝つだけでも極めて大変な栄誉であり、特にダービーに勝つことは競馬に携わる人全員の夢ですが、三冠全てに勝った馬は、この80年間ほどの歴史のなかで、わずか8頭のみ。

シンボリルドルフ 競馬界の皇帝

七冠を掴んだ永遠なる【皇帝】
80年代最強の名馬と言われています。

三冠すべてを勝つまで無敗のままでいた史上初の馬がシンボリ牧場が誇るシンボリルドルフでした。

三冠に加えて
天皇賞春
ジャパンカップ
有馬記念2連覇

合計GIを7勝、16戦13勝。
国内で喫した2敗も、2着か3着という現在で考えても途轍もない戦績を遺しました。

JRAのCMやテレビ中継のレース前のVTRでも伝説の名馬として度々登場し、「ルドルフ以来の○○」と現在でも頻繁に引き合いに出される存在感を示しています。

「競馬にも絶対があることを示した」
「勝利よりも、たった3度の敗北を語りたくなる」
「英雄ディープインパクトと並ぶ、史上最強の名馬」

このように安定した強さ、絶対的な強さと立ち振舞いが人気です。

そんなルドルフの全レースを騎乗した騎手は、岡部幸雄騎手です。歴代2位の勝利数を誇るトップジョッキーでした。

岡部騎手は
「ルドルフに競馬を教えられた。騎手生活が38年間にも及んだのは、もう1度ルドルフのような馬に出会いたかったから。忘れられない1頭です。」
と非常に思い入れのある愛馬として、本を出すほどでした。

岡部騎手は、菊花賞を勝利後、天に向けて三冠を意味する、三本指を天に向けました。

それを、ある少年が観ていました。

??「アレ、俺もいつかやりたい!」

と思ったそうです。

数年後、少年は騎手となりました。
父親も天才騎手で知られていたこともあり、新人の頃から数々の名馬とご縁があり、彼もまた、天才と呼ばれていました。

彼は36歳にシンボリルドルフと並ぶ史上最強の名馬・ディープインパクトに巡り合いました。

皐月賞、ダービーを圧勝し、ルドルフと同じ無敗三冠がかかった菊花賞。
単勝1.0倍、勝っても増えないほど支持されてました。

実況「捉えた!アドマイヤジャパン粘る、しかし先頭はディープインパクトだ!

世界のホースマンよ、見てくれ!
コレが日本近代競馬の結晶だ!!!

シンボリルドルフ以来、無敗の三冠馬の誕生であります!」

あの日の岡部騎手と同じ36歳のとき、その騎手はディープインパクトで無敗三冠を達成し、同じように三本指を天に向けました。

そう、少年時代の武豊騎手です。

天才騎手に夢・目標を与えた競馬界の皇帝。
堂々とした王者の風格・立ち振舞い。

伝説は決して色あせません。

オルフェーヴル 天国へ届けるラストラン

凄まじい追い込み
美しく金色に輝く馬体
そして暴れん坊ぶりが印象的な三冠馬です。
2011年の東日本大震災直後で三冠を達成し、復興へと立ち上がる国民に希望を与えました。

一方で「金色の暴君」「激情の三冠馬」と呼ばれるほどに気性が荒く、やらかしや大敗も多かったですが・・・それが許されるほどの実力を遺しました。

強ければ許される、そんな姿勢に痺れます。

三冠に加えて
宝塚記念1勝
有馬記念2勝。
阪神大賞典も致命的な失速があっても2着。
日本競馬がまだ勝てていない、フランスの凱旋門賞に2年連続の2着と、あと少しのところまで手を伸ばしました。

ラストランの2013年・有馬記念の少し前に会ってきた、難病と闘う少年とのエピソードは、語り草となっています。

少年だけのために池添騎手は勝負服を纏い、オルフェーヴルに乗って、会いに行ってあげたのです。ファンレターを受け取っただけなのですが、通常であれば、とても考えられない特例です。

シンボリルドルフやディープインパクトに並ぶ、史上最強の名馬には違いないのですが、騎手も容赦なく振り落とし、蹴り飛ばし、とても手が付けられない日本競馬トップクラスの暴れん坊。

少なくとも一般人の子どもの前に出していいような馬ではないオルフェーヴル。

蹴り飛ばしたり噛みついたりするのではないかと関係者はヒヤヒヤしましたが、このときばかりは、なぜかオルフェーヴルが穏やかで優しかったというのです。

暴君と呼ばれた三冠馬が、その子の気が済むまで体を撫でさせてあげる。
今まで誰にも見せない一面がありました。きっとオルフェーヴルはその子の事情を全て理解していたのかもしれません。
 
オルフェーヴル「そうか、君はもう余命わずかなのか。だがラストランの有馬記念、絶対に勝つからな。だからそれまで元気でいろ、病気に負けるんじゃないぞ、約束だ!」

しかし、有馬記念の数日前にその子は亡くなってしまいました。
尚更負けられないと挑んだ、最後の有馬記念を圧勝。

実況「抜けた抜けた抜けた!なんという強さ!」

実況「目に焼き付けよ、これがオルフェーヴルだぁぁぁ!!」


まるで天国から見ても分かるような大差でした。

天に向かって
 
オルフェーヴル「坊主、勝ったぞ・・・見てるか?」

池添騎手と穏やかに微笑んだそうです。

念願の勝利をプレゼント

キングヘイロー 黄金世代の苦労人

競走馬は、人間以上に「血統はどこか」「親が誰か」「母の父は誰か」「祖先は誰系か」…悪く言えば親ガチャが大事な世界です。

キングヘイローの両親は、世界的に超優秀、良血で知られており、そんな血統を期待されていました。父は凱旋門賞を制し、母はGIを7勝。人間でいうと金メダリストの父と、難関資格7個を保有する母の間に生まれたようなものです。

しかし肝心のキングヘイローは、エリートどころか、どちらかというと落ちこぼれでした。
素質と能力は確かだったのですが…

・おぼっちゃまで、超ワガママでプライド高い性格
・同期もかなりの血統と人気を誇り、黄金世代と呼ばれた名馬ばかりで分が悪すぎた
・色んな距離・レースを走らされ、イマイチ適性が分からず、全部が中途半端

上記のような理由で、なかなかGⅠを勝つことができませんでした。

GⅢ以下や地方競馬のレースなら勝てるかもしれないのに、まだ最高峰のGIタイトルを追いかけている諦めの悪い馬という印象も根強くなってきた、2000年・高松宮記念。

実況「大外からやはりキングヘイローが飛んできた!キングヘイローがまとめて撫できった!!恐ろしい末脚、ついにGⅠに手が届いた!!」

10連敗という苦難の末に、ついにGⅠを勝利。
調教師も男泣きして喜ぶ大勝利でした。

諦めずに走り続け、悲願のビッグタイトルを掴んだキングヘイロー。
GⅠはたった1勝です。
GI4勝の日本総大将・スペシャルウィーク
顕彰馬・エルコンドルパサー
クラシック二冠馬・セイウンスカイ
グランプリ三連覇・グラスワンダー

同い年の1995年生まれの同期たちに比べれば霞んでしまうかもしれないけど、敗れても、敗れても、絶対に諦めない泥臭い闘志で、ようやく栄光をひとつ掴んだキングヘイロー。  

一応「は」エリートの父親と日本1位の謙虚な母親の間に生まれたものの、素晴らしい同期たちに遅れを取り、就活ではプライドの高い性格もあって連敗。
失業を機に資格浪人を始めて、母親も挑み敗れた行政書士試験を制覇した自分と重なって見えます。

一流とは何か、本物のエリートとは何か。
諦めなければ、いくらGIといえど1つくらいは勝てる。
そんなことを教えてくれる、不屈の心を燃やした馬でした。

ウイニングチケット ダービー制覇への引換券

日本ダービー。
GⅠレースの中でも最高峰、クラシック三冠レースの二戦目として位置しています。

ダービーは、競馬に携わるすべての人が目指す、最高の栄誉とされ、競馬関係者は、基本的にダービーを勝つことを基準に1年間を過ごしています。

騎手人生のなかで1度でも勝てればいいほうで、騎手のほとんど全員がデビュー前から「ダービージョッキー」の称号に憧れています。

数々のGIを勝利した柴田政人騎手も、その1人でした。

彼は騎手のなかでも、ダービージョッキーになることに人一倍強い執念を燃やしていました。

「ダービーを勝てたら、騎手を辞めてもいい」
「世界のホースマンに、第60回の日本ダービーを勝った柴田です、と伝えたい」
特別な愛着を抱いており、かなりの実力を持つジョッキーでしたが、40代になっても、ダービーだけはなかなか勝てずにいました。

そんな彼が騎手人生の晩年に出会ったのが、ウイニングチケットでした。

ビワハヤヒデ・ナリタタイシンと共に
B ビワハヤヒデ
N ナリタタイシン
W ウイニングチケット
BNWと呼ばれ、当時の競馬を盛り上げた三強の一角を担当する馬でした。

ビワハヤヒデは後の菊花賞、宝塚記念を優勝し、後の三冠馬ナリタブライアンの兄貴。鞍上には、柴田騎手と同期で既に皇帝・シンボリルドルフと共にダービーを勝利した岡部幸雄騎手。

ナリタタイシンは皐月賞を勝利。鞍上にはダービー未勝利ながらも既に大活躍していた若き日の武豊騎手。

強豪2頭に、トップジョッキーが騎乗した
1993年、第60回日本ダービー。

そんな絶望的な状態で、最後の直線。
先頭はBNWの3 頭。

デビュー前からの夢であるダービージョッキーまで、あともう少し。

「ウイニングチケット頑張ってくれ、我慢してくれ、俺をダービージョッキーにしてくれー!!!」

柴田騎手は、かつてないほどに叫び、一心不乱にゴールを目指しました。

実況「外の方からナリタタイシン!内を突いてビワハヤヒデ!先頭はウイニングチケット!ウイニングチケット!!ウイニングチケット!!!

柴田、これが念願のダービー制覇!
柴田政人、悲願のダービー制覇を
ウイニングチケットで遂げました!」

諦めない人に、闘志の尽きない人に、勝利への引換券として化けたウイニングチケット。

その後ほどなくして柴田騎手は落馬事故を機に引退、チケットも思うように成績が振るわず翌年に引退したものの、2023年まで大往生と言われる余生を過ごしました。

後にJRAのCMで板前役として出演した柴田騎手。
思い出の馬ってどの馬ですか?と客に聞かれます。

ダービーを勝ったあの瞬間を思い出しながら
「…ウイニングチケットかなぁ笑」
と答えるのでした。

スーパークリーク 天才の心に強く残る思い出のヒーロー

2024年現在、GⅠを81勝、4500勝を達成した天才・武豊騎手。競馬をほとんど知らない人でも、名前くらいは聞いたことのある、レジェンドジョッキーではないでしょうか。

そんな武豊騎手に記念すべき初めてのG1勝利をプレゼントしたのが、スーパークリークです。初勝利という経験と自信をつけさせ、天才騎手への第一歩を導きました。

ある日、三冠レースの最終戦・菊花賞に乗る馬を選んでいた日のこと。
当時デビュー2年目の武豊騎手は、新人の頃から天才と呼ばれていたものの、さすがに最高峰のG1を1度も勝てずにいました。

スーパークリーク「私と一緒に菊花賞に出ない?」

武豊騎手の袖を咥えて離さないクリーク。

馬の方から逆に指名してくる珍しさに運命を感じて、クリークと菊花賞の出走を決心した武豊騎手は、5馬身差の圧勝で、念願の初勝利となりました。

このエピソードは「逆指名」
として語り継がれ、ポスターにもされています。

武豊「一足先に、僕を乗せることに決めていたようですね。僕に初GIをくれた大切な原点。僕はこの馬と共に全国区になった。誰にも渡したくありません!」


後に天皇賞・春秋連覇という大偉業も共に達成し、伝説のアイドルホース・オグリキャップと死闘を重ねました。

GI3勝に加えて、あのオグリのライバル。
実力も充分素晴らしいのですが、若き日の天才騎手との出会い、絆のほうが強く語り継がれています。これまで数々の優駿と伝説を作ってきた天才の手を取り、原点となった思い出のヒーローです。

ゴールドシップ 厩務員との絆は本物

オルフェーヴルと並んで、「暴れ馬だけど強い」で知られるのがこの馬。珍事も多く、悪ふざけで自身に賭けられた120億円分の馬券を台無しにするエピソードもありました。

白くて大きく、やんちゃで破天荒で賢く、頑丈で美しい葦毛の馬体で、全国のファンに愛されていました。

一応、皐月賞と菊花賞を勝ったクラシック二冠馬、GIを6勝もした名馬です。

GⅡの阪神大賞典を3連覇
クラシック二冠
宝塚記念を2連覇(3連覇もあり得た)
有馬記念2勝
と充分な戦績を示しました。

「調子はいいです。あとは、ちゃんと彼自身が本当に走ってくれるかどうか…。ホントにヤンチャなので、僕は走ってくださいとお願いする立場です。騎手がどうのこうのできる馬じゃない。まともに走ってくれれば(ここ重要)みなさんの期待通りの馬です」

2024年についにダービージョッキーとなった横山典弘騎手にもこんな感じの言われようですが、実力自体は確かだったようです。

また、暴れん坊のゴールドシップを語る上で欠かせないのが、担当厩務員の今浪さんという人物。

物理的にも精神的にも振り回され、メチャクチャ手を焼かされるものの、自分がお世話する馬がGⅠを何度も勝ってくれる姿に、夢が広がったと話しています。

ゴールドシップも、日頃お世話をしてくれて、勝つと笑顔いっぱいで喜んで褒めてくれる人という認識なのか、珍しく懐いていたそうです。
逆に馬主さんにはそっぽを向いていたとか…。

あのゴールドシップが心を許す人間として、今浪さんは厩務員としてはトップクラスの人気者になりました。定年間際にはソダシの厩務員として注目を浴び、ゴールドシップには時々会いに行っていたとか。

厩務員との絆だけは、確かなものだったようです。

まとめと次回予告

いかがだったでしょうか。

個人的には絶対的に強い馬も好きですが、騎手や厩務員などに念願の勝利をプレゼントした馬など、思い出に残る馬も好きです。

難関の資格試験に挑み、茨の道である士業やフリーランスの道を歩み、恋愛や就職にはどうしても縁がない自分には、俺も頑張ってみようと勇気をもらいます。

特に本記事では、シンボリルドルフとキングヘイローが好きです。

さて次回の後編では・・・・

「日本総大将」
「世紀末覇王」
「3着のスペシャリスト」
「大接戦ドゴーン」

そして
「どこまでも先頭を走った、悲劇の逃げ馬」

このキャッチコピー・実況を聞いて思い出す、そんな馬を紹介する予定です。

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