未来の自分に送る、「戦友」について
はじめに
こんにちは、Webアザラシです。
最近、HRテック系学生ベンチャーを退社しました。CTOを退いたわけですが
一応、期間中は僕よりも優秀なリードエンジニアの方がいらっしゃったため
経営よりのCTOっぽいことをしておりまして、
CEOをサポートしながら、事業および製品をより良い方向に導くために
プロダクトのマーケから、デザインから、おおよそCTOとは似ても似つかない業務を行っておりました(笑)
そんな中で、色々と感じた点、学んだ点がありましたので、今回はこういった形でnoteにまとめてみようと思った次第です。
と、かっこつけましたが失敗しました。
と、「感じた点」とは書いてみたものの、本当に失敗に対しての反省が
あまりにも大きくて…
大まかに分けると、2つあるのですが、
1、仲間の重要性
2、地雷案件 or not の見分けがつくようになろう。
が、書こうと思っている失敗です。
ただ、今回に関しては仲間についての重要性について再認識したため
そこについてフォーカスして書いていきたいと思います。
さて、前提として僕は、今まで何かプロジェクトがあって成功させたいと考えた時に一番初めに声をかける友人たちが居ます。かれこれ長い人だと5年の付き合いになる人も居て、全員となにかしら成功体験も失敗体験も積んできていて、お互いに長所短所を理解してリスペクトしあっている親友すらも超えた何かだと思っていたりします。
個人的にコンペは戦闘だと思っていて、負けはすなわち死と思っているので
そういう意味では命すら預けられる、戦友という呼称が最もしっくりくる表現なのかもしれません。
歴戦の戦友を切る俺かっこいい的クソ思考
今回の僕の失敗ですが、戦友をフレンドリーファイアしてしまいました。
経営的な判断と言って、感情的な部分を捨て去ってしまい、切ったほうが良いと会議では進言していました。後から聞くと、他の幹部による伝達ミスと言いますか、伝言ゲームの結果として事実が変わってしまっていたのですが
事業を成功させるためと自分勝手に割り切り、その他の経営陣の意向に流されてしまった落ち度、そしてプライベートとビジネスを分けられず、友達としても喧嘩別れしそうになったことなど、本当に本当に本当に自分が不甲斐ないです。
結果的には、向こうから謝ってもらったおかげで、クソみたいな自分のエゴが満たされて和解となったのですが、よくよく考えてみると「ビジネス的な感覚で切る俺かっこいい」という、ナスティーでヒロイックな思考に走っていて、正常な判断が出来ていませんでした…
落ち着いた今、客観的に振り返ってみても相当意味不明なことを言っていたなーと思います。
未来の自分へ言いたいこと
この記事を読んでいるということは、多分また色々とあの人とやりあって
「そうは言うものの、あいつおかしくね?」となっているはずでしょう。
まず、ビジネス的な話で言うと「あの人と築いた今までの期間を不意にするのか?」という話です。基本的に、最低でも3年の期間で醸成されたお互いの認識や経験、成功体験を全ロストすることになります。それがどれだけ作り出すのが難しいか、知っているはずです。
次に、本当に相手が悪いのか?ということです。
まずはコミュニケーションしてみましょう。自分と認識がズレていたり、
冷静に考えてみると、自分が間違っていたりします。
・変なポジションに囚われていませんか?
・小さなことで不意にしようとしていませんか?
・本当にあなたの意見は感情的ではない正しい意見ですか?
可能であれば、自分の師匠や信頼出来る大人に話してみましょう。その際は、相手の落ち度だけではなくファクトベースで語りましょう。
落ち着いて考えてみて下さい。
自分が戦友と思っている人たちは、誰一人として悪人ではありません。
なんならあなたよりも倫理観がしっかりしています。
本当に自分が悪くないのですか?
信頼を全ロストするよりもまずは相談してみましょう。
最後に
仲良しごっこがしたいなら、戦場なぞに行かず、内地で暮せば良いのです。
本質的にはリーダーは孤独です。
その道を選んだのは自分であること、そしてその道に賛成してくれた戦友に
最大限の感謝と敬意をもって接すること。それが出来ないのなら、今すぐ、そのプロジェクトを畳んで下さい。
でも、そんな苦しみが分かっていてでも変えたいものがあるんでしょう?
だからこそ苦しんででも前に進まないといけません。そう考えると少しは視点を広く持てませんか?
過去の自分は、未来の自分を100%信じています。
絶対にできます。だから、今までの経験を信じて突き進んで下さい。