#27 発言の矛盾という呪縛
noteやツイッター、ブログで発信することにだんだん慣れてきましたが、どこかで苦手意識を拭えない感も残っています。
その苦手意識の裏にあるのはたぶん「発言の矛盾を避けたい」という気持ちです。
「発言が矛盾している」ということに対して、以前の私は割と抵抗がありました。正確にいうと「発言の矛盾」はもちろんのこと、「矛盾しているように受け取られること」も避けたいという気持ちが強くありました。
なぜそんなに気にしていたかというと、たぶん会社員時代からの思考や発言のクセだと思います。
コンサルティング会社での仕事の多くは”ロジック”を求められ、そこから逸脱する場合は明確な理由が必要だったりと、一言でいうと「相当めんどくさい」世界にどっぷりいたことが大きいと思います。
会議の場での発言や提案書を作成しているときに「ロジックが破綻している」と何度言われたことか。
そういう環境にいたこともあり、独立してから始めてみたSNSでも、何か発信するにしても思ったことをパッとテキストに落として送信することなど到底できません。
「こう書いたら意図しない受け取り方をされるのではないか」とか、ウダウダ考えては文章を変え、表現を変え、最終的に自分が発信したかったこととかけ離れてしまって結局何も発信できない、という状態に陥ることもよくありました。
ですが、最近では、SNSでの発信は「矛盾しているように受け取られる」ということを避けるのは難しいだろうなと思うし、あまり考えないようにしています。
1対1での対話でない以上、発信の裏にある考えについて受け手と共有することはできないし、受け手側の捉え方も分かりようがないからです。
あと、ツイッターは特に、そこまで真剣に読まない(読んでもらえない)というのが現実だと思っています。
ならば、伝えたいなと思うことを躊躇して伝えられなかったり、本当に発信したいことを、よく分からない「誰か」に遠慮して発信できないのはもったいない、と今では思うようになりました。なるべく率直に伝えられるように意識を向けています。
そしてこれを書きながらなんとなく思い始めたのですが、対面で話す場合でも、発言の矛盾についてどれほど意識しているだろうか・・と、ふと気になりました。
よくよく考えると「矛盾していない」と自分だけが思い込んでいるだけかもしれません。SNSでの発信のほうがむしろ、想像を及ばせていたのでは・・。
対面でも相手がどう受け取っているかを完全に理解することはできないわけですし。
ちょっと思考が煮詰まりましたが、発信の矛盾はとにかく気にしないようにしています。
(考えがスッとまとまる日とまとまらない日の差が激しい・・)