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社会契約論から見る日本:調和が結ぶ暗黙の契約


社会契約論とは何か?

社会契約論とは、政治哲学において国家や社会の成り立ちを説明する理論です。

人々が自由な状態から自発的または暗黙的に「契約」を結び、一定のルールや統治機構に従うことで社会を形成すると考えるものです。

トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーといった思想家がこの概念を発展させ、権力の正当性や個人の権利・義務の根拠を論じました。

例えば、ホッブズは自然状態の混沌を収めるために絶対的な統治者(権力者)を必要と説き、ロックは個人の自然権を守るための政府を重視し、ルソーは「一般意志」に基づく共同体の自由を強調しました。

社会契約論を簡単に言うと、「個人の自由や尊厳を守るために、国や政府が一定のルールを作り、国民を管理してコントロールする必要がある」という考え方です。

しかし、この理論には、国家や政府の過剰な介入や権力の濫用が個人の自由、尊厳、プライバシーを侵害するリスクが内在しています。

現代では、監視社会や緊急事態を口実にした権力の肥大化がその一例として挙げられ、社会契約が個人の犠牲を伴う危険性を露呈しています。

日本における社会契約の特殊性

こうした社会契約論の枠組みを踏まえたとき、日本の状況は興味深い視点を提供します。

日本では、国民が社会契約論を明確に望んで主体的に国家の枠組みを設計したわけではありません。

歴史的に見ても、明治維新や戦後の日本国憲法制定は、外部からの圧力やエリート層の主導によるものであり、国民が自ら「契約」を結んだ瞬間はほとんど存在しません。

それでも、現代の憲法や民主主義の仕組みを通じて、実質的に社会契約的な関係が成立していると言えるでしょう。

なぜか?

それは、日本人特有の「暗黙の合意」によるものです。この「暗黙の合意」は、ルソーの「一般意志」とは少し異なる形で現れています。

ルソーが理想としたのは、個々の意志が積極的に集まり共同体の自由を形成するプロセスですが、日本の場合はむしろ「集団主義的文化」や「調和を重んじる価値観」が土壌となり、自然と社会秩序が受け入れられてきた側面があります。

こうした背景は、社会契約が必ずしも明示的な「契約行為」を必要としないことを示唆しているのかもしれません。

暗黙の合意が支える日本の社会秩序

たとえば、国民は選挙を通じて政府を選び、憲法に定められた権利と義務を受け入れることで、暗黙の合意が機能しています。

日本では小規模なデモはあるものの、海外で見られるような国家を揺るがす大規模な暴動や、それに対する軍事的鎮圧がほぼ皆無です。

これは、「暗黙の合意」が日本の社会秩序を維持し、大規模な暴動や軍事的な介入を必要としない状況に寄与していると言えます。

この状況は、国民が積極的に望んだものではなく、歴史的経緯の中で形成されたものですが、戦後70年以上にわたって定着し、日本独自の文化や集団主義と融合しながら現実的な社会契約として根付いています。

日本では憲法改正の議論が長年行われていますが、これは社会契約の「更新」や「再契約」とも言い換えられます。

現代の日本社会に合った契約内容にアップデートすべきか、それとも現状維持が最適なのか?その「再契約」が国民の積極的な議論と合意に基づくものになるのか、それとも再びエリート主導で進むのかは、日本の民主主義の成熟度を試す試金石と言えます。

現代日本とホッブズ的契約の影

現代の日本では、防犯カメラの増加(特に都心部)やマイナンバー制度など、プライバシーと引き換えに「安全」や「利便性」を重視する傾向が見られます。

このような状況を、ホッブズ的な「安全のために国家権力を強める社会契約」として捉えることもできるかもしれません。

最も重要な点は、日本ではこの「暗黙の合意」により、「明示的な契約行為がなくても社会契約が成立しうる」ということです。

しかし、暗黙の合意による社会契約が必ずしも良い方向に進んでいるとは言えず、個人の犠牲を伴う危険性を露呈しています。

暗黙の社会契約を身近な例で考える

暗黙の社会契約論を分かりやすい例で説明しましょう。

社会契約論とは、前述の通り、人々が一定のルールや統治に同意することで社会を形成する考え方ですが、日本ではそのプロセスが独特です。

タバコの副流煙と車の排気ガスの例を見てみましょう。

どちらも人体に悪影響を及ぼすことは科学的に明らかです。

副流煙は受動喫煙による健康被害が問題視され、排気ガスは大気汚染を通じて同様のリスクをもたらします。

それにもかかわらず、日本ではタバコの喫煙場所が過剰に規制され、現代では喫煙所の全面禁止が主流となっています。

一方、車の排気ガスに対する規制は、環境基準があるとはいえ、タバコほど厳格ではありません。つまり、特定のものだけが過剰に規制されているのです。

タバコと車の規制に見る不均衡の背景

この両者の扱いの不均衡は、なぜ生じているのでしょうか。

これは、欧州のような社会契約論のように国民全員が明示的に合意したルールによるものではありません。

タバコ規制が厳しくなったのは、「喫煙=迷惑」という社会的イメージが広がり、いつの間にか「流れでそうなった」結果です。

政府はその空気を汲んで、喫煙所を減らし、禁煙政策を推し進めました。

対して、車の排気ガスは「経済活動や生活の利便性」という集団的価値に支えられ、黙認されています。

この違いは、積極的な議論や合意形成を経たものではなく、日本特有の「集団主義的な流れ」が生み出したものだと言えます。

日本的暗黙の契約の特徴と課題

ここに、日本における「暗黙の社会契約」の特徴が現れています。

ルソーのように国民が集まって「一般意志」を作り上げるのではなく、明示的な契約行為がなくても、社会の空気感や慣習が自然とルールを形成します。

日本では、タバコが「調和を乱すもの」として排除され、車が「必要不可欠なもの」として許容される優先順位が、いつの間にか定着したのです。

これが、日本の暗黙の社会契約の一例です。

国民が主体的に決めたわけではなく、集団の暗黙の合意が社会のルールを形作ります。

この仕組みは、日本社会の安定を支える一方で、一貫性に欠ける規制や、個人の声や自由、そしてプライバシーが埋没するリスクも孕んでいます。

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