【小説】 相談屋 episode0 (1/2)
思い返すと、そもそも私は人生に興味がなかった。
いや、人生というより、自分自身に興味がなかったのだろう。
この世に産まれてこの場所へ来ている今までの間に、大きな目標も成長もなく、生きる意味を見いだせず、盲目に生きていただけだったのだ。
「どうして生きているのか」と問われたとして、何も答えられない。
どうしようもなくつらいことや苦しい状況に遭遇し、それを打開させる動機を、これまで生きてきた17年間で見つけられなかった。そんな人生だった。
深夜0時の森の中で、人生を終わらせようとしている自分が、自身に言い訳がましい問答をしていることに疑問を抱きながら、暗がりを歩く。
青木ヶ原。 別名、富士の樹海。夜風に木々が揺れ、波のようにうねる様子はまさに「樹海」というに相応しい場所に思えた。
全国的に有名な自殺の名所らしい。自殺をするということに関してまで、他人と同じようなレールを歩く自分自身に嫌気が指す。
土の匂いを嗅ぎながら枝を踏み、石を蹴った。
いつか小学生の頃に山登りをした時と同じような状況だが、真逆の心境だ。
高揚は絶望に変わり、未来への期待は過去への後悔に変わっていた。30分は経ったか、もう自分がどこにいるのか分からない。
この辺りにしようか、そう思った時だった。遠くで、何かが光っていた。
他にも人がいるのか。死のうとしているのに、妙に恐怖を感じながら近づいた。
人ではない。看板だ。木でできた看板に全く似合わない洒落た電球。それはとても下手な字で書かれていた。
「相談屋はこちら」
その看板には矢印も何もなく、どちらなのかが分からなかった。
ふと電球の電気が消える。
その瞬間、なぜ今まで気がつかなかったのかと思うほど、闇夜の樹海に異常な程目立つ、真四角の白い家が、私の目の前に暖かく輝いた。
なにこれ。これ、なんだ、これ。
これまでの人生で一番混乱をしている。どうやって。なんだこれは、この四角い家は。この照明は。
これからやろうとしていたことは頭から消えていた。
家のドアが開き、長身で細身の男性がゆらりゆらりと表れた。こちらを見るなり人懐っこい妙な笑顔を見せて早口で切り出した。
「やぁやぁこんばんは。こんばんは。可愛らしいお嬢さんだ。ドラマチックな展開が好きなお年頃だろうと思ってさ。ドラマチックだろう。」
ドラマも見ないし、ドラマチックにも興味がない。それより、なんだこの人は。
「あぁ、突然ごめんね。怪しいけど怪しいものじゃないよ。まぁさ、色々聞きたいことはあるんだろうけど、死ぬ前にちょっと寄っていきませんか。」
そう捲し立てると私に近づく。おもわず引きつった笑い顔を見せて後ずさりする。なんださっきから。死ぬ気だったのに恐怖が頭を覆っていた。逃げないと。
何も答えられず恐怖で後ずさる私に、男は焦った笑顔を見せてさらに早口で弁解をする。
「ちょっと。いや待って待って。逃げないで。怪しいものじゃないって言ってるじゃないか!怪しいものじゃないというよりただの優しいおじさんだよ。」
「な、この建物はなんですか。どう、その、ちょっと本当にもう怖いです。何をする気ですか。」
「まぁ落ち着いてって。貴女さん、さっき死のうとしてたでしょう。死ぬ前にほら、相談に乗ってあげたいと思って。ここは相談屋さ。」
相談?何を急にこの人は、どの立場で言っているんだ。
「何を、急に。死ぬ前に相談もなにも……よく分からないです。色々。」
「分かる分かる。分かってないことを分かってる。とりあえずほら、道中足が疲れたでしょう。入って入って。」
男性の持つ独特な雰囲気に、断れない私の性格が悪さをして、流されるままにその建物に入った。
外観からは想像できない、まるでカフェのような内観だった。お洒落な電飾が部屋に暖かい光を広げている。どこか懐かしい、心地の良い空間だった。
「いい雰囲気でしょう。ふふふ、モテ部屋ってやつだね。僕、モテないんだけどね。」
「何を言っているんですか。相談屋ってなんですか。なんでこんな場所に。」
思わず声が上ずってしまう。
「さすが思春期、興味津々だね。相談屋は相談屋さ。人の相談に勝手にのってあげようという場所だよ。屋号もないし資格もない、勝手なお節介だ。それで、そうだ。なんでも聞くよ。話してごらんよ。」
「いや、知らないおじさんに相談することなんてないですよ。」
男は妙に楽しげだ。仮に相談をするにしても、その前に聞かないといけないことが多すぎる。
「あはは、知らないおじさんか。そうかそれもそうだね。ごめんごめん。自己紹介がまだだった。私は信楽(しがらき)。信じるに楽と書いて信楽だよ。のんきな名前だよね。よろしくね。君の名前は?」
答える義理はないが、名乗られたので反射的に答える。
「……町田です。」
「町田さんかぁ。町田可子さん。安心感があるいい名前だね。」
「ありがとうございます。え?」
あれ、下の名前は言っていない。言ってないよね。なんで知っているんだ。
「あはは、バッグに名前書いてたからさ。今時珍しいね。さぞ親御さんは良い教育をなされてたんだろう。」
あぁ……って、じゃあなんで名前を聞いたんだろうか。
「体裁上聞いた方が怖がらないかなぁって。」
なんだそれは。飄々としておきながら、案外気を遣える人間なのか。それとも人をおちょくっているのか。
「いやでも結果的に私は怖がってるんですけど。」
信楽はあははと笑い、大きな椅子に腰掛けた。
あれ、今の会話の違和感はなんだ?
「全く君は先ほどから突っ込みが上手だ。逸材だ。全くそんな才能を持っておきながら死のうとするなんて、人類にとって大きな損失だよ。」
「そろそろここを出ていいですか。」
「待って待って。お互いを大体知ったところで、ほら、相談に乗らせてもらおうじゃないか。」
「知らないおじさんに相談するほど私は子供ではありません。そもそもまだ名前しか聞いてないんですが。というかそれはどんな立場で言っているんですか。」
「まぁまぁ、固いこと言わずにさ。立場とか権力とか、上とか下とか、会話しながら大体分かっていくものじゃないかそういうのって。」
「はぁ。」
よく分からない調子のせいで、よく分からない返事をしてしまう。
「落ち着いてきたね。いやよかった。じゃあ、でもそうか、話せないよね。うん、単刀直入に僕から切り出そうか。」
途端、こちらを見つめる信楽の瞳に、うっすりとした気味の悪さを感じた。先ほどの違和感とは違う、生ぬるく気持ちが悪い違和感だ。
「どういうことですか?」
その瞳はとても優しく、表情は奇妙な程に温かった。
「お母さん殺したこと、後悔してる?」
「は?」
背筋が凍った。思考が止まった。なんだ、この男は。
「うわ、心も身体も固まってしまった。ごめんごめん。直入しすぎた。」
「何を……よく分からないです。」
分からない。本当によく分からない。さっきから色々と。この男は何者だ。
「まぁリラックス。リラックス。驚かせて申し訳ないね。そう、よく分からないよね。でも君の想いを知らないと相談に乗れもしないからさ。」
リラックスできるわけがない。
「だから、何を言っているのか全然分からないです。一体あなたは何者なんですか。」
「すごい剣幕だ。ごめん。やっぱりこれが逆鱗だよね。」
「本当に、なんなんですか。」
「怒らないで怒らないで。おちょくっているわけではないんだ。ここは相談屋。君の相談に乗るためにこの場所は存在し、僕は今、貴女と話しているんだ。」
まだ色々と分からないが、もう飲み込んだ。それより、それよりだ。
「何を知っているんですか。」
口に出して、我ながら変な質問だと思った。
「何かを知っているんじゃなくて、君の覚えている、君の過去なら大体知っているんだよ。あ、ストーカーではないからね。勘違いはしないでね。なんか今の発言、気持ち悪いね。でも、本当なんだ。」
恐怖が満ちる。恐怖の奥に、またあの妙な違和感を覚えた。その瞬間、信楽がこちらに指を指す。
「そうだよ。先ほどから君が感じているその違和感は間違いじゃない。今貴女が頭で喋っていることも分かっている。」
何を言っているのか、理解が追いつかない。
「まぁそうだろうね。ああ、やっぱり発言が気持ち悪いな僕は。発言というかなんというか、気持ち悪いよね。ごめんごめん。」
冗談にしても気持ちが悪すぎる。一刻も早くここを立ち去りたい。
「冗談じゃないって。落ち着いてよ。最低君が喋らなくても話は進行できるけど、それじゃあ本当の想いが君から聞けないんだ。」
「冗談ですよね。」
「『冗談にしても気持ちが悪すぎる。一刻も早くここを立ち去りたい。』だろう?残念だけど、本当なんだ。」
落ち着いていられない。落ち着けるわけがない。私は恐怖と不安からくる苛立ちを隠せなかった。それを察するように、信楽は言った。
「あぁごめんね。珈琲を淹れるのを忘れていた。自分で言うのも何だけど、僕の淹れる珈琲は美味しいよ。」
信楽はゆっくりと椅子から立ち上がり、マグカップを手に取りコーヒーを注ぐ。焦る私の目を見ながら落ち着いた口調でこう言った。
「冗談の冗の字はね、それ単体で無駄とか、煩わしいという意味になるんだ。僕は煩わしい談議は苦手でね。相談してくれる人には真っ直ぐに心からの本音で向き合いたいと思っている。信じてくれ。」
信楽のこの言葉はきっと本心なのだろう。そう思わせる表情だ。
「さて、君の過去は大体知っているけれど、その心情にまで、僕は触れられないんだ。君の思いとか、悩みを教えてくれないかな。真心込めたお節介が僕の信条なんだ。そう、本音だよ。君のことを救いたい。」
一言一言をゆっくりと大事そうに口から出す信楽の言葉に、苛立ちが消え、諦めというか、堪忍というか、そんなものを覚えていた。
「ゆっくりでいい。君の本当の過去を読み解いていこう。しがらみの浄化と、これからのことを考えられるきっかけになれば幸いだ。」
真剣な眼差しはそのままに、また人懐っこい笑顔をこちらに向ける。
「さぁ、貴女の相談に乗ろう。」
そう言って信楽は、私に一杯のコーヒーを差し出した。