ラオスのひと昔前に、小さな女の子だったチャンの話 第5話
「夜」と「森」の住人たち
チャンたち村の子どもたちが、昼間には楽しく駆けまわって遊ぶ家の周りも、夜はまるで見知らぬ別の世界のようになりました。暗闇が支配する夜は、人間が思うようにふるまえる時間ではありません。夜は、トラやヤマネコなど森の動物たちが動きまわる時間でもあり、そして、なんと言っても「ピー(精霊、妖怪)」が支配する世界となるからです。
何度も言いますけれど、そのころは電気がなかったのですから、夜は漆黒の闇だったのです。もちろん、月は夜を照らしてくれました。満月が近づいてくると、白い煌々とした月の光は夜の景色を浮かび上がらせました。黒々とした鮮明な影が地面に映るほどに、月の光は明るかったのです。それでも、子どもたちは外で遊びませんでした。だってやっぱり、夜は森の動物とピーが我がもの顔にふるまう時間ですから。
村の人びとにとって、暗闇を照らす灯りといえば、「カボーン(松明)」でした。ランプもありましたが、ランプをともすための灯油は、大きな村へ行かないと売っていません。でも、カボーンは森の木からただでとれる脂を使って作ることができたのです。
カボーンを作るために必要なのが、まずはヤーン脂です。このナーヤーン村には、ヤーン脂がとれるヤーンの林があって、太くて背の高い立派な木がたくさん生えていました。木から脂をとってくるのは、お父さんの役目でした。
脂をとるには、こうするのです。まず、幹が大きく太いヤーンの木を選びます。そして、幹の、ちょうどチャンの背丈くらいのところに、斧で、木のウロのように、お鍋くらいの穴をあけます。そこに、木屑などを入れて火をつけ、しばらくしたら消しておきます。そうすると木が温まって、木の脂が少しずつ染み出してくるのです。ポタンポタン・・・・・・と、半月くらいかけて脂はゆっくりと落ち、穴のくぼみに溜まっていきます。大きな木からは、竹筒に2本分もの脂がとれました。木にあけた穴は、しばらく使わなければ自然にふさがりました。
次に、カボーンの中身作りです。とってきたヤーンの脂を、木をくりぬいて作った横長の大きな器に入れます。そこへ細かく砕いた木屑を入れて混ぜ合わせます。これが、カボーンの中身となりました。
脂はねっとりベトベトしているので、使う道具は決めてありました。
また村の人たちはふだんから、マイ・ボックと呼ばれる何の役にも立ちそうにない朽ちた木や枝を森から拾ってとっておき、それを足踏みの臼で砕いて、カボーンに使う木屑にしていました。
脂の染みた木屑を包むのは、バイトゥーイ・ナムと呼ばれる長い葉っぱです。お母さんは、葉っぱの裏に生えているトゲを刃できれいにこそげてから日に干しておきました。
チャンの家では、毎晩夕食が終わると、お母さんが手慣れた手つきでカボーン作りを始めます。乾かしておいた葉を広げ、脂の染みた木屑をスプーンですくってはのせていきます。そして、チマキを作るみたいに包んで、竹を細く裂いて作ったひもで縛りました。この時、持ち手になるところは中身を入れずに余しておきました。お母さんは、出来上がったカボーンを家の壁の吊り棚にきちんと重ねて置きました。
夜、家にはカボーンの灯りがともります。大人たちが出かけるときも、カボーンを持っていきました。
ある時チャンは、ヤーンの脂をとりに行くお父さんについていきました。半月ほど前、お父さんは大きなヤーンの木の太い幹に穴をあけて、脂が溜まるようにしておいたのです。ふたりがヤーンの木に向かって歩いていくと、ついてきた犬のダムが唸りはじめました。チャンには何も見えないのに、ダムはブルブルとふるえながら、木に向かって唸っています。お父さんが言いました。
「あぁ、今日はもう脂はないかもしれないなぁ」
「え? どうしたの? お父さん」
「いやぁ、先客がいるからなぁ・・・・・・」
チャンはちょっとゾクゾクっとして、お父さんの腰にしがみつきました。
「お父さん、何なの? 教えてよ」
するとお父さんは、自分の口に手を当てて、ブツブツと何か呪文を唱えはじめました。チャンのお父さんは祈祷師で、ある特別な力を持っているのです。
「ちょっとだけ見せてやろう。怖くなるといけないから、ちょっとだけな」
そう言って、お父さんが呪文を唱えた手でチャンの目の上をなでると、チャンにも一瞬見えました。
ヤーンの木のところに、すらりとしたきれいな女の人が立っていて、なんとヤーンの脂をすくって、長い髪にザーザーかけては、髪を洗っていたのです。それは、一瞬で見えなくなりました。女の人は「ピーニャックワイ」という森の精霊です。
お父さんは、
「あれは、わざといたずらをするのが好きだからな」
と言って、またブツブツと呪文を唱えました。それから木のそばまで行き、いつものようにヤーンの脂を穴からすくって竹筒に入れました。それからしばらく、チャンはお父さんの脂とりについていきませんでした。
チャンがピーニャックワイの姿を見たのは、この時だけですが、森にはいたずら好きのピーニャックワイのほかにも、ピーコンコイ、ピーバンボット、ピーポープ、ピーポーン・・・・・・など、いろいろなピーたちがいました。
「大きな木には必ずピーがいるものだ。大きな木は百年、何百年、千年も生きてるんだよ。わしらには想像もつかないほどの長い年月を生きてきているのだから、そりゃあピーだって住みついているよ。その大きな木がたくさんある大きな森の片隅に、わしらは住まわせてもらっているのだから、わしらのほうが、ピーたちの気にさわらないように、気をつけなくちゃいけないんだよ」
と、お父さんはたびたび言いました。
そのころ、病院は近くにありませんでしたから、みんな、家で赤ちゃんを産みました。赤ちゃんが生まれるとすぐに、祈祷師は赤ちゃんとお母さんに魚をとる網をかぶせました。そうやってピーの目からかくしてから、赤ちゃんの魂を守るために、手首や首に糸を結んだのです。
また、ワンシンと呼ばれる仏様の休日にも、村のお坊さんや長老は、子どもたちの安全を祈って、手首に糸を結んでやりました。ワンシンは仏様のお休みの日ですから、ピーが好きなように動きまわります。だから特別に注意しなくてはいけなかったのです。
ワンシンには、大人たちも仕事をしませんでした。刃物を使ったり、高いところにのぼったり危ない仕事をしてはいけません。薪とりもしませんでした。その日は、怪我や事故が起こりやすいと言われていたからです。
村の人たちは、子どもが小さいときには、森のそばに連れていきませんでした。子どもの魂は柔らかいので、ピーに取り憑かれたら怖いからです。そして、子どもたちは少し大きくなると「森の掟」を教えこまれました。森の掟というのは、けっして森でやってはいけないことです。
「森は、村とは違って、ピーの住処なのだから、ピーが嫌うことをやったらいけないのだよ」と大人たちは言いました。
「森の掟」とは、たとえばこのようなことです。
森の中で、悪い言葉を使ってはいけません。怒鳴ったり文句を言ったり、悪い話をしてもいけません。良い言葉で、良いことしか話してはいけないのです。
伐った木を、ずるずると地面に引きずって運んだりしてはいけません。引きずってきた木を薪としてくべてもいけません。森で倒れている木や切り株に座ることもいけません。倒れている木をまたぐときには、「またがせてください」と言って、許しを得なくてはいけません。
森でご飯を食べるときには、自分が食べる前に、必ず3口分のご飯を森の霊に捧げなくてはいけません。その時には、
「どうぞわたしたちをお守りください。ワタクシメがこれから食べさせていただくのは、あなたさまのウンコ・オシッコでございます」と、へり下った言葉で許しを乞うてから食事をしなくてはいけませんでした。
また、森で焚き火をするときは、魚や肉を串に刺して焼いてはいけないし、串を持ってかぶりついて食べてもいけません。
うっかりこれらの「森の掟」を忘れて、森でやってはいけないと言われていることをやってしまうと・・・・・・すぐにピーの声が聞こえてきたり、追っかけられたりしたものでした。
となりのお姉さんは、友だち何人かと森の竹林に筍をとりに行ったときのことを話してくれました。仲間のひとりが、みんなを呼ぼうと、器がわりに持っていった一斗缶をガンガン鳴らしました。すると、そのとたんに森の中から唸り声が聞こえてきたそうです。森の中でうるさい音を立てたからピーが怒ったのでした。
「せっかくとった筍は放りだして、必死で逃げたわ。唸り声がどんどん追っかけてきたんだから」とお姉さんは言いました。
そんな目に遭ったときは、手首に糸を結んで、魂を持っていかれないように祈祷師に祈ってもらわないといけないこともありました。病気になったり、ひどいときには命を奪われてしまうことだってあったからです。
ある晩、トゥイじいさんが話してくれた話は、これまででいちばん怖い話でした。「ピーコンコイ」の話です。ピーコンコイというのは、足が反対向きについている・・・・・・つまり、かかと側が前になっている妖怪です。ピーコンコイは、もともとは捕らえられて奴隷のように働かされていた女の人だそうです。あまりに辛いので何度も逃げ出しましたが、そのたびに足あとをたどられてつかまってしまう・・・・・・そこでとうとう足の向きを逆にしてしまいました。こうすれば足あとをたどられず逃げおおせることができたからです。そして、とうとうピーコンコイと呼ばれる妖怪になったのだそうです。
「トゥイじいさん、本当に見たの?」
とトーン兄ちゃんが聞きました。
「いや、わしは声を聞いた。その声は、体が芯の底まで冷たくなるほど、恐ろしかった」
トゥイじいさんの話はこうでした。
わしがまだ若いころ、5人の仲間といっしょに、山の森へ木を伐りに行った。斧と大きくて長いノコギリをかついでいったんだ。それはそれは鬱蒼とした、昼間でも薄暗いような森だった。わしらは森に何日か泊まって木を伐り出し、売りに行くつもりだったんだ。
森に着くと、二人一組で木を伐った。わしが組んだのは、ナイという男だ。ナイは、悪気はないんだが、子どものころから口が悪かった。わしたちは長い間、木と格闘した。それでようやく木が倒れようってときに、ちょっと方向が違って、大木はほかの木に引っかかってしまったんだ。するとナイが舌打ちをして言った。
「チッ、この木のクソッタレが、途中で引っかかりやがって・・・・・・ションベン引っかけてやろうか!」
わしは、いやあな気がしたよ。わしだって小さなころから「森の掟」を教えこまれていたからなぁ・・・・・・こんな口の利き方をして平気かなぁ・・・・・・と心配になった。するとそのとたん、それまでは晴れていた空が急に曇って、おまけに雨までポツポツと降り出してきた。
わしらは、
「雨が降り出しちゃ、仕方ねぇ。今日は早々にあがって、飯の準備でもしよう」ってことにした。道具を片付けて、もち米を蒸して飯を食って、さっさと寝ることにしたんだよ。深い森だ、ストンと暗くなった。すると遠くから、コンコーイ、コンコーイ、コンコーイ・・・・・・となんともゾッとするような鳴き声が聞こえてきた。
「ありゃ、なんだ?」
わしらは顔を見合わせた。
「動物の声か?」
ヌーワイという森のネズミの声のようでもあった。でも、どうも違う。ヌーワイの声はこんなに響かない。「まさか?」
コンコーイ、コンコーイ、コンコーイ・・・・・・鋭く冷た〜く響く声は、まるでわしたちの周りで渦を巻くように、だんだん近づいてくるじゃないか・・・・・・。
「おい、もしかして・・・・・・ピーコンコイじゃないのか?」
仲間のふるえる声に、もう背筋がゾゾゾーとして、怖くてたまらなくなった。わしらは、とにかく火をおこすことにした。真っ暗闇の中、かき集められるだけ枝をかき集めて火をおこしたんだ。火が勢いよく燃え出したときには、本当にホッとしたよ。焚き火がパチパチとはぜて炎が大きくなると、「コンコーイ」という声は遠ざかるような気がした。でも炎が勢いをなくすと、すぐにまた「コンコーイ」という声がまるで周りを渦巻くように近づいてくるんだ。
わしらが焚き火のそばでふるえているっていうのに、ナイはひとりで毛布をかぶって平気で寝ていたよ。わしはナイに言った。
「おい、おまえが木にションベン引っかけるなんていうから、ピーが出てきたんじゃねぇのか?」
すると、ナイはまるで平気な顔をして、
「おれは知らねぇ、そんなの怖くなんかねぇ」と毛布をかぶったまま起きてこなかった。「コンコーイ」の声は、近くなったり遠ざかったりしながら、ぐるぐる回っているようだった。本当に恐ろしかった。でも、わしらもいつの間にか眠ってしまったんだ。
朝、目が覚めると、わしらは
「いつ寝ちまったのかな。ありゃ、いったいなんだったんだろう?」なんて言いながら朝飯の支度をした。今日こそ木を伐らなくちゃいけないからな・・・・・・でも、ナイは毛布をかぶったまま寝ている。
「おーい、いつまで寝てるんだ。早く起きて仕事にしようぜ」と、仲間のひとりがナイの毛布をめくると、なんと、ナイは死んでいたんだよ。ピーコンコイは、尻の穴から内臓を食っちまうって言われているが、ありゃあ本当の話なんだよ・・・・・・。
トゥイじいさんは、ほぉっと長いため息をつきました。
「それで、どうしたの?」
とトーン兄ちゃんが聞くと、トゥイじいさんは言いました。
「死んじまったナイを放っておくわけにはいかねぇ。伐った木は置いて、ナイをかわるがわるかついで、ナイの家まで運んだよ。わしらの話に、ナイの父さんと母さんは、『あぁ、あんなに森で悪い言葉は言っちゃいけないって言い聞かせていたのに・・・・・・』と泣いた」
「夜」そして「森」では何が起こるかわかりません。たとえ人間の目には見えなくとも、そこに住んでいる・・・・・・存在しているものたちがいるのです。それはきっとずっと昔から・・・・・・太古の昔から森に住んでいたのかもしれません。
明るい世界にいると、ついつい人間が偉いような気になってしまうけれど、この世界の住人は人間だけではないのです。
森の動物たち、そしてピーたちを守ってきたのが「森」、そして「夜の暗闇」だったに違いありません。
第6話につづく(11月25日配信予定)
〈関連サイト〉
ラオス山の子ども文庫基金のHP(~2015)
パヌンのかぼちゃ畑(個人のHP ~2015)
ブログ 子ども・絵本・ラオスの生活 (2014~ )
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