良いじゃんバイトで。全然生きていけるでしょって言ってくれる友達の話から働く意味を見直す。
当方、弱メンタル管理職の若造です。周りの勝手な期待に必死に応えようと、もがく中で平社員から着々と昇進し管理職になりました。
でも、自分の器は周りの評価に比べてずっと小さく、度重なる業務の中、プレッシャーや責任感に潰させそうになった時、友達が言ってくれたセリフです。
「仕事辞めれば?当面の金なら別にバイトでもいいじゃん。生きていければ、楽しいこと絶対あるし、全然大丈夫だよ。」
「責任感じて病むことないし、急に仕事辞めたとしてもさ、誰も責められない程頑張ってると思うし、別に辞め方とか気にしなくて良いと思うよ。」
「いっそMTGの時にゲロ吐いて、診断書突きつければ?速攻辞めれるよ。」
友達は、周りが就職する傍ら20代中頃までフリーターとしてバイトをしつつ、その後リモートができる会社へ就職。余暇時間は趣味のカメラに全振りする、自分の過ごす時間を大事に考える方です。
気遣いや思いやりに富んだ優しい人で、そんな友達からのアドバイスの言葉に私はいつも励まされます。
友達のスタンス
・あくまで人生の軸は趣味。これの時間が取れないならフリーターとかニートの方が幸せ。
・仕事はある程度の責任感を持ちつつ、無理はしすぎない、自分を責めない。
・世の中自分より出来ない人や仕事舐めてる人は沢山いる。それに比べたら頑張ってる方だと思うようにする。
・思いやり大事
・仕事や会社に人生をコントロールされない。辞める時は労働者や権利ごり押しで辞めりゃいい。
・急に辞めても無責任に感じない、それも全て会社の責任。
彼がいかに自分ファーストで物事を捉えているのかが分かり、私は本当に羨ましく思います。
友達にとって、仕事は手段。目的は趣味。
と割り切っていて、何をするための仕事で、給与で、待遇なのか一貫しています。時間が取れないならバイトでいいし、もし結婚とか考えてたとしても子供産まないならフリーターでも普通に楽しく生きてけるぜ、将来とかキャリアとかの前に今の自分は幸せ?病むくらい不幸なら頑張る意味なくね?一旦休も?というスタンス。
こういう話を聞くと、「完璧なものを作らなきゃ」「迷惑になるから自分でやろう」「出来ない。なんて言ってはいけない。」というような凝り固まって拭えない思考がゆっくりと溶け、ストレスと共に消えていく感覚になります。
今の仕事や責任に対して、「無理なもんは無理でしょ笑。やりたくても時間なくてできないんだもん笑。」と開き直りつつ、それでも叱責や失望される時は、会社の求める能力や意識に達していないんだってことで、すんなり辞めてしまえば良いか。と思えるようになりました。
何のために働くのでしょうか?
私は友達のように熱中できる趣味はありません。将来なんか困らないようにとにかく食いっぱぐれないように仕事頑張るかーくらいなもんです。
でも友達の話を聞いて、改めて仕事や給与って、それを得ることで「本当にしたいこと」をするためのものなんだと気付きました。とはいってもすぐに思いつくような事もないのですが、今は半分愚痴、半分自慢のようなこのnoteでのライティングが楽しく、まずはこれに熱中してみようかなと思うこの頃です。
やばいことがあった時はその愚痴をnoteに書いて、自分の中でも経験として昇華して、たまに目についた人の暇つぶしになるような。そんな活動を地道に続けることから始めようかなと思います。
実際、出張の移動中とかに書くことで、ストレス解消にもなりポジティブになれることは実感しています。考えがまとまるというか、自分を客観視できるというか、自分の経験や体験が形に残るみたいな感じで、振り返った時「病んでんな〜〜〜」って友達と笑えればいいですね。
そろそろ本業のwebマーケとかにも触れる記事書きますので引き続きよろしくお願いします🙇♀️
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