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無関心の心地よさ
この季節になると街のあちこちで
引っ越し用のトラックを見掛ける。
ああ、誰かが来たのだな、と思う。
なぜか、居なくなった、ではなく。
「空き家工事」の貼り紙があると
誰かが居なくなったのだと思うが
「引っ越し用トラック」がいると
誰か来たのだろうと思ってしまう。
誰かが居なくなって、誰かが来る。
取り壊しでもない限り云十年の間
それを繰り返しているはずなのに
未だに往復を目撃したことがない。
自分より前から住んでいる家族と
知らぬ間に入れ替わった家族とが
無機質に交わらず住んでいる街だ。
時々引っ越し作業をしているのを
見掛けたりするが素通りしている。
引っ越しの挨拶周りもしないのに
こちらから話し掛けてはいけない。
段ボールや何かに包まれていても
それは他人の家の中身なのだから。
孤独と孤独と孤独で繋がっていて
延々と断絶が続くような潔癖さに
うんざりしながら安堵したりする。
都会には無関心の心地よさがあり
時折その心地よさが苦しくもなる。