映画「プリズン・サークル」を見て、マル暴の娘が思うこと。
「暴力の連鎖を止めたい全ての人へ」
映画のラスト、
画面に残るその言葉に心がえぐられる気持ち。
この映画の存在を知ったとき、最初はてっきり海外の刑務所での話だと決めつけていた。聞けば日本の刑務所でのプログラムの話。でも4万人以上いる受刑者のうち、このプログラムを受けられるのはわずか40人。
一人一人から語られるエピソードが重くて重くて重すぎて・・・彼らの犯罪の根底にあるもの、今まで蓋をしていた記憶を掘り起こしてみるとそこにあるのは、子供時代に自分が受けた暴力や虐待やネグレクト。そこから目を逸らし続ける小さな男の子たち(映画に出てくるのは男性刑務所なので)がそのまま地続きで、犯罪への道を歩いていくのがはっきりと、見えていく。
こうした彼らの壮絶な子供時代を、そうしてしまう大人の心情を、受け止めてあげる社会が必要なのだけれど・・・どうしたらいいのか、あまりにも大きな課題で気が遠くなってしまう。
このドキュメンタリーの中に出てくる支援員のみなさんの寄り添い方、どっしりと構え、優しく包み込み、でも鋭く切り込む強さ。すごいな・・・と圧倒された。こんなプログラムが広く行われていけば希望だし、また社会でも、犯罪や自殺に至る前にこうした「サークル」=助け合いの環に寄り添うことができたらどんなにいいんだろう。
最近よく思う。私の周りにはカウンセリングやコーチングなどに関わる人がたくさんいる。けれども、お金や、そういったつながりを持てる人しか、そのライフラインには達することができない。社会全体が、誰もがよりしあわせに生きられる方向に、向かっていけたらいい。コロナ騒ぎもそんなことを教えてくれている。いつ死ぬかなんてわからなくて、今、本当にしたい生き方はどんな感じなんだろう?一緒にいたい人は誰なんだろう?って。
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刑事(マル暴)だった私の父。元ヤクザだったり元受刑者?って感じの人たちが身近にいた。うっすらとした記憶の中で、一度、わけもわからず、父がいつも「会社」と呼ぶ勤務先の警察署に連れて行かれた。そこには2つの鍋セット(だったか、よく思い出せない・・・何を食べたっけ)が準備されていて、うちの家族の横にもう一組の家族がいた。決して交流することはなく、別々の鍋を囲み、お互いほとんど何もしゃべらずに、でも隣で食事をした。
帰り際になって、お前らは外に出とけと言われて部屋を出たら、横にいた家族がすんすんと泣いていた。そういえばその家族のお父さんらしき男性は、丸坊主だった。
あとで聞くと、これから刑務所に入る受刑者だったようだ。父は本当にめちゃくちゃな人だったけれど、職場では評判がよかったっぽかった。父なりの優しさだったのかもしれないし、カッコつけだったのかもしれない。
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画面に出てくる受刑者たちが自分の幼い頃の記憶を語るとき、たいていヘラヘラと笑っていたりする。その気持ちがよくわかる。体や心の痛みを俯瞰して見てる、幼い日の自分。もう自分は大人になっていて、その痛みから逃げることができるって、もうそこにはいないんだって、認識した日から彼らの明日が少しずつ変わっていくことを信じて。私も寄り添って、画面を見てた。不思議と涙は出なかった。
●映画「プリズン・サークル」
https://prison-circle.com/
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