【発達障害】診断から精神障害者保健福祉手帳の取得と私の思い
私は、2019年7月に広汎性発達障害を診断されました。
自己紹介を書いた上の記事に
・アスペルガー症候群
・ADHD
と記述しているのは、発達支援施設でそういった傾向があると言われたからです。
いろんな発達障害の傾向が見られるから広汎性発達障害って言われてるらしい(よくわからない)
26歳で発達障害を診断され、正直な気持ちは
・26年間言われてこなかったのに今そんなこと言われても
・子どもたちの発達障害を支援する立場にある私自身が支援されてる場合じゃないのに
・診断されて何の意味があるんだろう
・「普通の人」じゃなかったんだ
でした。
もちろん、以前から思い当たる部分はあったし「もしかして」と思ったこともあった。
でも、発達障害だと知らなければ「もしかしたら」で済んだのに診断されたら受け入れていくしかない…
子どもたちが二人とも既に診断を受け、療育にも通っていた私にとっては受け入れることの難しい結果でした。
子どもたちや他の発達障害の方に対して「普通じゃない」という印象を持っているわけではありません。
むしろ子どもたちが診断を受けたときには前向きな気持ちでした。
自分以外の他者に対しては今でも後ろ向きな印象を持ったことはありません。
しかし、自分が診断を受けたことついては「普通じゃない」ことが尋常じゃなくショックでした。
診断を受けてからもうすぐ2年が経ちますが、正直、私はまだ受け入れられていません。
そんな私がなぜ精神科を受診したのか、発達検査を受けたのかについてはまた別の記事で。
さて診断を受けたとき、実は転職が決まっていて、約3ヶ月後の10月に入社する予定でした。
「発達障害のことを言うかどうか」
悩みました。
時代によって発達障害への理解が進んだとはいえ、地方で且つ中年である転職先の社長や社員さんに受け入れてもらえるとは思わなかったからです。
転職自体が無くなるんじゃないか、偏見されるんじゃないか、そんな不安でいっぱいで、発達障害のことは打ち明けないままに転職をしました。
転職から数ヶ月、職種のせいなのか…転職による環境の変化のせいなのか…私の特性をとても強く感じる場面が多くなりました。
「こういうことか」
と発達障害であることを納得はしていました。
中年の社長や社員さんにとって発達障害は聞き慣れない、理解もないので「もしかして」すら思われていませんでした。
しかし、ここで私は社長に発達障害であることを打ち明けることになりました。
事務所に社長と二人だったとき、ふと子どもたちの話題になりました。
入社の初めから、子どもたちの療育のために週一で半日休みをもらっていたので子どもたちの発達障害のことは伝えてありました。
なんとこのタイミングで社長が
「そういうのって、遺伝とかもあるん?」
と聞いてきました。
私自身が発達障害であることを打ち明けるとするなら今しかないと思い、打ち明けることに。
「私自身も発達障害なんです」
正直、時が止まりました(笑)
社長にとって予想もしていなかったんだと思います。
私自身の特性は全体的に家のことや生活に大きな支障があって、仕事についてはそこまで支障がなかったからです。
支障があったはあったのですが、なんとかカバーできていたのかな、気づかれてはいなかったようですね。
そこで、社長から一つ提案がありました。
「障害者手帳とかって取れるの?」
どうやら、障害者手帳を所持している人を雇用しているという事実は会社にとってメリットになるみたいでした。
(小規模なので、障害者雇用の義務はありません)
障害者手帳を取ろうと思ってもいなかったので、自分が手帳を取れる程度なのかどうかも分からず、とりあえず「病院行ってみないと分かりません」と答えましたが、じゃあ行ってみてとすぐに病院に行く時間をもらいました。
病院で手帳について相談すると、割とあっさり「じゃあ診断書書くから、一緒に自立支援医療も申請しておいで」と言われました。
当時、母子医療を受けていた(医療費定額で数百円)ので自立支援医療は必要なかったのですが、所得等の関係で母子医療が無くなったときのために自立支援医療も申請することになりました。
診断書は2日後くらいに「書けたから取りに来て」と仕事の早いことで…
診断書を受け取り、市役所の社会福祉課で申請をしました。
・手帳の顔写真
・診断書
と申請用紙が数枚だったと思います。
申請結果は数ヶ月後に書面で家に届くだか手帳が届くだかだったと思います。
会社にとってメリットがあるならと手帳の申請をしましたが、正直、「程度が軽くて手帳が取れない」ことを望んでいました。
手帳を取得してしまうと、社会的にも「障害者」になるわけですよね。
自身の発達障害を受け入れられていない私にとってはとても重いことに感じました。
そして数ヶ月、無事に精神障害者保健福祉手帳が取得できました。
更に「普通ではない」んだと実感しました。
仕事をできているというラインで3級なようですが、社会的に見て「障害者」になったわけです。
もちろん手帳を出さなければ気づかれることもありませんが、こればかりは気持ちの問題でした。
発達障害を社長に打ち明け、障害者手帳を取得しても発達障害を受け入れられることはありませんでした。
そして、発達障害の特性を理解してもらうこともありませんでした(笑)
社長にとっては「理解できないもの」なんだと思います。
でも、逆に「普通に扱ってもらえる」ことが嬉しくもありましたよ。
「特性上とても苦手なことをできなくて怒られる」ことは多々あり、何度も何度も悔しくて悲しくて申し訳なくて泣きましたが、これが普通なんだと思いました。
「これができたら普通の人みたいかな」と
「今の受け答え、すごく普通みたいだった」と
いつしか「普通」に拘るようになったんですね。
それ自体が悪いことだとは今でも思っていませんし、リアルでは今も「普通」に拘って生きています。
精神科に通院してても、特性を抑えるために薬を飲んでいても、会社を始め普段関わる人に「普通」に見えてさえいればそれでいいんです。
発達障害が病気なら、受け入れ闘う覚悟を持てたかもしれません。
しかし、障害として逃れられない、なくならない、一生ついて回る、ことを考えると憂鬱で仕方ありません。
発達障害でもポジティブに生きている人もポジティブに支えてくれている人もたくさんいます。
それでも私は、発達障害であることをまだ受け入れられないし、発達障害であることを恨んでいるし、「普通」に拘ります。
それが私です。
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