★911の静けさ、ユナイテッド93。
2006年9月2日。パソコン内を整理中、この日の記録が出てきました。
〈ユナイテッド93〉とは、2001年9月11日に起きた〈アメリカ自爆テロ〉に関わる映画のタイトルです。
このときのワールドトレードセンターとアメリカ国防総省本庁舎の映像は、各テレビ局がひっきりなしに流していたので、誰の記憶にもしっかり焼きついているのではないでしょうか。
当時(当たり前だけど)音楽のないその映像を見て、もちろん恐ろしいことではあったのですが、「何と言葉にすればよいかわからない」というのが率直な私の感想でした。
その事件の1週間後、私は世田谷区のとある料理店にいて、ニューヨークのワールドトレードセンター内にいたため、腕に十数針縫うケガをしたという中年男性と居合わせました。「最初のうちは、自分が何に巻き込まれているのかわからなかった」とおっしゃっていました。
私の場合、何と言葉にすればよいかわからなかったわけですが、その男性のグルグル巻きの包帯の様子をみて、ようやく現実を感じ、初めて胃の底辺りがしくしくとしました。
それは、「痛そうだ」という同情だったと考えています。私はただ、その方のお話を史実のように受け止めて納得したようなものでした。
そのときから更に5年経ち、私は映画館にいました。そこでやっと、私はスクリーン越しに涙を流したのです。ところが、これには違和感を覚えました。
私は自分を冷酷な人間だとは思っていません。どちらかというと共感性が高く、涙もろい方だと思うのですが、自分がオンタイムでこの事件をみていたときには、一切泣くことはありませんでした。
動物の映画、『ハチ公物語』とか『子猫物語』とかに涙を流す人は多いでしょう。今は野良がほとんどいないのでみかけることもなくなりましたが、昭和の時代は、例えば大通りで車に轢かれてぺしゃんこになって、からからに干からびてしまった犬や猫に遭遇することが多かったです。でも、それらをみて涙を流した人は、映画館で涙を流す人より少ないと考えています。
私はバーチャルなオンラインゲームに夢中になっている子どもたちを憂いていたのですが、自分自身でさえ、現実を現実的に感じられなくなっていたことに心底がく然としたのです。
2001年9月11日にみた映像の飛行機とビル、ディレクターはその様子に音楽をつけ、血糊を撒いて、私の感情を揺さぶりました。
そこで、私は事の重大さをようやく理解し、〈テロ〉、これは本当に恐ろしいことなのだとやっと考えられたのです。
本当に殺人が起きるとき、そこには音楽などありません。本当に自殺が起きるときだって、どんな煽情的な演出もありません。
私たちは〈静かな人〉を見落としがちなことに気がつきました。
§
私は、現実のニュースでは、心を痛めても泣かないことがほとんどです。単なる知人の死では、葬式において線香の匂いにまみれ、お坊さんの読経を耳にしてやっと涙が出てくるのです。もしかすると、そういう人が大多数なのかもしれません。
演出のまやかし。本当の〈恐怖〉や〈叫び〉は静かなのです。
――― 合掌