折り紙の女
深夜の病棟は、消毒液の匂いだけが廊下を歩いていた。私は夜勤の巡回を終え、ナースステーションに戻ろうとしていた。
「あの、すみません」
振り返ると、403号室の前に小さな女の子が立っていた。真っ白なワンピース。手には折り紙。
「こんな時間に廊下を歩いちゃダメよ。お部屋はどこ?」
「ここです」
女の子は403号室を指差した。でも、そのはずはない。403号室には末期がんの老婆しか入院していないはずだ。
「おばあちゃんに、これを渡したくて」
差し出された折り紙の鶴は、どこか不自然な色をしていた。蛍光灯の下で見ると、白いはずの紙が薄く赤みを帯びている。
「私が預かって、明日の朝渡してあげるわ」
「でも...明日じゃ遅いんです」
女の子の言葉に違和感を覚えながらも、私は403号室のドアを開けた。
老婆は静かに眠っていた。心電図の音だけが部屋の中で鳴っている。女の子は枕元に折り鶴を置くと、にっこりと笑った。
「ありがとう。おばあちゃん、待ってくれてた」
次の瞬間、心電図が平らな線を描き始めた。振り返る間もなく、女の子の姿は消えていた。
後日、老婆の遺品整理をしていた家族から聞いた。
「母は折り紙教室の先生だったんです。でも20年前、教え子の女の子が事故で...その子が作りかけた鶴を、ずっと持っていたみたいで」
ナースステーションに戻ると、机の上に一羽の折り鶴があった。蛍光灯の下で、紙は不自然な赤みを帯びて見えた。よく見ると、それは古びた新聞紙で折られていた。日付は20年前。交通事故の記事が、かすかに透けて見えた。
私は思わず折り鶴を開こうとした手を止めた。きっと、開いてはいけないものがある。そう直感的に悟った。窓の外では、夜明け前の空が、どこか赤みを帯びていた。