希死念慮が消えない話。
前回のnoteを更新してからだいぶ経ってしまった。
去年(2022年)からはだいぶ環境が変わってしまった。
もう去年書いたことなんて忘れてしまったが、2022年が最悪な年だったことはずっと忘れない。
今回は希死念慮が消えない話でもしていく。
2022年を振り返ってみる。
1月から3月までは専門学校にいて、4月からは新卒で入った会社に入るも先輩とトラブルがあり退職、発達障害の診断が欲しくて精神内科を巡回するも「グレーゾーン」止まり。
ここまでが今までnoteに書いていたことだろうか。
あれから約1年が経ってしまったが、すっかりその後のことを記すのを忘れてしまった。
結果はというと、発達障害の診断は結局もらえず今もグレーゾーンとして生きている。
就職活動だってうまくいかなかったし、ハローワーク経由で入社した会社だって無くなってしまった。
私は新卒に入った会社を辞めてから半年後(2022年12月)に工場にて再就職できた。
しかし残念なことに、入社してたったの3ヶ月で倒産してしまったのだ。
こんなに悲しい話はあるだろうか?
解雇通知書が来たときは悲しく、悔しく、でもなぜか面白くなってきてしまって盛大に笑った。
どんな人も信用したっていつかは裏切られるんだと実感し、解雇されたときは「どいつもこいつも裏切りやがって!」と何回言ったことか。
就職活動でも何回も落とされ、やっと仕事を見つけたと思ったら捨てられるんだから。
相変わらず私は運が悪いのだ。
それからまた就職活動を始めたがやっぱり目の前は絶望しかない。
ハローワークの担当職員とはもう関わりたくなかったし、自力で仕事を見つけるしかなかった。
幸いなことに、奇跡的に2023年4月にバイトに受かることができた。
今までと違って職場の人はみんな優しいし、怒る人もマニュアルに逆らう人もいなかった。
とても恵まれた環境になった。
しかし、本題はここからである。
どう思っても、思考を変えようとしても、希死念慮が消えないのだ。
去年と違って恵まれた環境になり、圧倒的に生きやすいはずなのになぜか死にたくなる。
職場ではみんな親切だし気を遣ってくれるから不満を感じることはないし、生きたいと思えるのが正常なはずなのに、なぜネガティブな考えが消えないのか。
楽しいはずが悲しくなる。涙が出そうになる。
この前、職場で失敗をしたときは盛大に泣いたが、その時の気持ちがずっと続いているようだ。
いい出来事があっても、その幸せがいつまで続くのかなんてわからないし、その恐怖心があるのだろうか。
いつだって私の頭や心には死にたい思いがこびりついてしまってなかなか浄化されない。
職場の人に好かれたって、好きな人に愛されたって、何をされても心の奥深くでは希死念慮があって、どうしようもない。
衝動的に高いところから飛び降りたり、電車や車に轢かれたり、首を吊るシーンだっていつも想像してしまう。
なぜだろう、いつも悲しい方向に持っていこうとしてしまう。
脳の疾患でもあるのか。まぁ、発達障害のグレーゾーンなんだから何かしら異常はあるんだろうけど。
ただ実際に死のうと思っても勇気がないからできないわけで。そうなると誰かに殺してもらう情景が思い浮かんでしまう。
本当に救いようがない。薬を飲んで一時的に治ってもキリがない。
普段いつもこんなネガティブなことを考えているなんて、周りが知ったら嫌がるだろうからヘラヘラ笑っているんだけど、内心ずっと怖い。
「病んでる人嫌い」って高校生の時に言われたから、なるべく抑え込むようにしていたら、なんか悪化しちゃった。本当に馬鹿らしい。
毎年10月18日になると、生きるか死ぬかの決断をするが、いつも生きてしまっている。
10月19日になると、後悔と罪悪感に襲われる。
こんなに毎日「死にたい」だとか「殺されたい」だとか言って想像するくらいならとっとと死んだ方がいいが、私はカッターで手首さえ切れない臆病者だから、どうしても死ねない。
去年noteでつらつらと「遺書」「自殺計画書」なんて作っておいて1年間まだ実行できていないんだから。きっと今から1年後も生きているかもしれない。
口だけ言って行動しないなんて、弱すぎるのだ。
いつまで私が希死念慮に襲われ続けるのか。
いつか死にたい思いが浄化されるのか、5年後は、10年後は・・・とか考えているだけで胸が苦しい。過去のことを思い出しても、未来のことを考えても結局行き着くのは「死んでしまいたい」だけ。
笑っても楽しくても誰に愛情を注いでもらっても心が埋まらない。寂しい。
生き地獄なのは去年と何も変わらない。
いつまでも私は希死念慮と共存しなければいけない。