![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/48996441/rectangle_large_type_2_3ac76179c2f53904dfba6db88f898e3d.jpeg?width=1200)
枯淡なる賭け
裏通りにあるラーメン屋が潰れた。
事はそこから始まるのだが、いや、事はもっと前から始まっていたのかも知れないが、僕にはそこが開始点だ。
そして、ラーメン屋が入っているテナントビルの裏、すなわち表通りの地銀の支店が閉鎖した。
物語はここで終わる。終了。
たったこれだけの事であり、この説明だけを聞いても、何の話かはわかりかねる事だろう。なので、順を追って話す事にする。何なら、手前の話はすべて忘れてもらっていい。
まず、自己紹介といこう。僕の名前は特に必要ないので、名は伏せる事にしよう。職業はしがないプログラマである。最近でこそ、プログラマが肉体労働者であるという認識がネットを中心に理解されつつあるが、頭脳労働者だと思われていた頃からのプログラマだ。
そもそもデベロッパーやプログラマーをデベロッパ、プログラマと表する時点で、わかる人にはおわかりいただけるだろう。少しでも動作を軽くするため、1文字でも削る。そんな時代のプログラマなのだ。
プログラマを、SE、すなわちシステムエンジニアとか、デベロッパなんて言葉で粉飾しようとした所で、実のところは肉体労働者である。
「俺、SEなんだ」
という言葉がモテる要素たりえたのは、僅か数年であり、薄給・長時間労働・無茶振りというのがITの実情だ。
そもそも、プログラマとSEは別物である。PM(プロジェクトマネージャ)とも別物だ。PMは完成図を書く。SEは設計図を書く。プログラマは実際に組み立てる。別物なのだ。
本当のところは。
だが、実情は一緒くただ。理由は簡単。人数が足りていない。だから、完成図も設計図も実際の組み立ても、自分一人でやる。したがって、僕はSEを名乗っても問題はない。まあ、名称だけなんて何の意味もないのだけれど。給料に反映される訳でもない。
この日本はまだまだ肉体労働こそが尊く、頭脳労働は怠け者のする事だという認識がある。大きな過ちだ。頭脳労働は大変な事だし、プログラマは肉体労働だ。
なのに、なぜ給料が少ないのか。
そして、僕は今日もモニタの前で悪戦苦闘しているのである。また今日も、終電で帰る羽目になるのか。いっそ泊まり込めれば楽なのだが、近頃は色々とうるさいらしく、それも叶わない。
大した事ではないかも知れないが、地味に苦痛なのは、オフィスが四階にあるという事だ。古い雑居ビルなので、エレベーターがない。そもそも都心からは少し離れた、寂れた街だ。どれだけ辺境であろうと、住所的に23区内を名乗れる場所にあるため、箔をつける意味でここを借りているに過ぎない。
実際は発展に失敗したオフィス街。古いオフィスビルがひしめき合う、昭和の遺物だ。何十年か先に再開発されるまでは、ずっと廃れたままなのだろう。
そして、それはいつの間にか始まっていたのだ。いつ頃だったか、僕は昼休みに出前を取ろうとした時のことだった。
「出前、もう、やってない」
と突然、出前を断られたのだ。いや、金曜日までは運んでくれたのに? そもそも、その店を選んでいたのは、味や価格ではない。四階までの階段を登るのが嫌だったからだ。
我がオフィスから見下ろせる位置にある、向かいのテナントビルの「李子」と言うのがその店の名前だ。中国語での読み方はわからない。「りし」と呼んでいる。おそらく中華料理屋であるが、ラーメンとラーメン定食と日替わり定食しか注文した事がないので、他のメニューはよく知らない。
そもそも、おそらく中国人か台湾人なのだろうが、日本語が通じているのかいないのか、わからないのである。他の従業員を見ないから、おそらく店主だ。単に愛想が良くないだけで、口数が少ないだけで、実は日本人という可能性も捨て切れない。メニューもよくわかっていないから、ラーメン定食と日替わり定食しか注文していないのが実情だ。
仕方ないので、その日からは店に行くようにした。
本当はわざわざ階段を昇り降りしてまで行きたい店でも何でもないのだが、階段込みで徒歩5分圏内の飲食店がロクにないのである。
我が社と同じビルの2階に喫茶店は入っているが、トーストとゆで卵ぐらいしか置いていない。後は駅までの間にコンビニが二軒あるので、朝のうちに買い置きしておくぐらいしかないのだ。
他に店がない。正直なところ、他の選択肢があれば「李子」は特に行きたい店ではないが、ない以上は仕方ない。
ラーメンは特に不味くもないが、特に美味しい訳でもなかった。餃子はイマイチだ。日替わり定食の炒め物は普通ぐらいだろうか。他のメニューは妙に高額(一品が定食とほぼ同価格)なので、注文した事がない。いや、実際には何度か注文しようとしたが、店員ににべもなく「売り切れ」と言われ、不発に終わった。
なお、ラーメンと定食以外のメニューには、比較的最近と思われる価格改正があった模様だ。理由はメニューの価格に改定価格がセロハンテープで貼られていたからだ。
消費税によるものかと思ったが、セロハンテープからはみ出る糊の量が少ない。汚れや傷も少ない。そして、一枚だけこっそりと豚の天麩羅のテープを剥がして改正前の価格を見たが、その価格は400円も跳ね上がっていたのである。
どうやら、店主が商いに疲れたのか、調理が嫌になったのか、原価率の問題か、それとも食材のロスが大きかったのか、メイン商品であるラーメンと定食以外を高価格にして、他の商品を注文させないようにした模様。だから、そもそも食材を仕入れていないので「売り切れ」になっている。おそらく、そういう理屈だ。プログラマは理論的に考える。
でなければ、「売り切れ」はおかしい。もっとも忙しいであろう昼時でも、客はロクにいないのだ。夜も居酒屋使いする客がいるかと思えば、大概、閑古鳥が鳴いているし、夜の8時には閉店している。
それ以外の時間帯にしても、オフィスから様子を伺えるので、まず客が入っていない事は明らかだった。
然もありなん。まあ、店員なのか店主なのか、おそらく店主だが、その愛想の悪さは一言で言えば不愉快の域だ。おそらく外国人であろう、日本語が不自由であろう、という前提がなければ許しがたいレベルだと言える。
が、他に選択肢もないし、外国人だろうし、日本語が話せない様子なので、何となく受け入れている状態だ。
それを気にしているのは自分だけかも知れないと思ったが、昼時に時折みる客の反応を見ても、度し難いものであるらしい。
料理が出て来るのが遅いのだ。とにかく遅い。いや、最初は気になる程ではなかったが、年末に向けてどんどんと遅くなっていった気がする。
遅いだけでなく、そもそも店員がホールにいない。店に入って「すみませーん!」と声を掛け、そこからしばらくして、無言で奥からノソノソと出てくる。料理も店主も、どんどんと出て来るのが遅くなっていった。
珍しい新規客などは不快を露わにしていたが、数人の馴染みの客は、あまり気にしていない様子だ。
近所の工具屋なんかはまるで気にしていない。むしろ、店主が工具屋の客であるらしく、店主がロクに答えないのに「あの工具の使い勝手はどうだ?」と一方的に話しかけている。
この界隈で数少ない夜の店と言えるカラオケスナックのママも、そんなに気にしていない雰囲気だ。
少し場違いな感じさえするスーツの男は、苛立ちながらも受け入れている、と言った所か。
この男は、このラーメン屋の真裏のビル、要は表通りに面している地銀の支店長だ。
彼も、とにかく他に店がない事を愚痴っている。カラオケスナックの常連客でもあるらしく、ママと鉢合わせすると、このラーメン屋と会社への愚痴が出まくる。
個人的には、お近付きになりたくないタイプの男だが、隣のテーブルで下品に愚痴をこぼしている姿やその話を聞くのは悪くない。
一言で言うと品性下劣が服を着て歩いているようなもので、口振りからするに、ロクな上司ではない事がうかがい知れる。どうにも、何かやらかしてこんな辺境の支店に飛ばされたようだが、納得である。
やらかしたのも、架空名義や二重帳簿ってレベルじゃない。どうやら横領だ。左遷で済んだ理由の方が謎だ。
そして飛ばされた身で、いくら人が少ないとは言え、近所で、横領を匂わせるような発言を大声でする辺り、根本的な部分で人間が腐っているのだろう。スナックのママも、コイツが上客でなければ、いい顔はしない。彼はそれにさえ気付かないのだ。
まあ、それを楽しんでいる自分の品性も疑わしいが。
寒くなってきていた。自分も仕事に追われていたので、それがいつから始まっていたのか、それはわからない。
年末の道路工事が始まっていた。おそらく、年末から年度末まで、道路を掘り返しては埋め、綺麗にならす工事が続くのだろう。
僕が違和感を覚えたのは、年末も仕事納めの近く、夕闇が街を包んだ後だった。
道路工事の誘導灯は点いているが、もはや工事の人はいないのである。
だが、それでも工事の音は聴こえていた。
音だけじゃない。明らかに低い振動が微かながら伝わっているのだ。
年末だ。そう遠くない場所で、工事が行われているのかも知れない。僕はそう思おうとしたが、何かが違った。違和感は拭えなかったのだ。だが、その違和感の正体はわからない。
ある日、とうとう「李子」で、店員を呼んでも5分以上来ないという事件があった。何度も呼んだが、表の道路工事のせいで声が聞こえなかったのか、店主は出てこなかった。
堪忍袋の尾が切れて、厨房にまで怒鳴り込んだが、厨房には誰もいなかった。買い物にでも出掛けてるのか。
諦めて帰ろうとした時、厨房から店主が現れたが、昼休みの時間が終わろうとしていたので、そのまま店を後にした。
去り際の横目に店主を見たが、店主は妙に汗ばんで、紅潮していたような気がした。
その件があって、僕はしばらく「李子」には行かなかった。昼休みを無駄にしたくなかったからだ。
行かなかったが、しばらくして「李子」には「臨時休業」の張り紙がされた。
臨時休業は1日でも2日でもなく、1週間、1ヶ月と続き、桜が咲く頃、ラーメン屋はそのまま「空きテナント」に変わったのである。閉店の知らせも何もなく、だ。
行きつけではあったし、不便さはあったものの、好きだった店でも味でもない。感慨深さは感じなかった。
ただ、何か違和感は残っていた。
それが繋がったのは、表通りの地銀が閉業した、桜の散る頃。
なにやら、警察が来ていたようだ。銀行で何か事件があったのか。あったとしても、あの支店長のことだ。不思議はない。
だが、もし、
そうだ。これは仮説に過ぎない。
僕は当事者でも何でもないから、その真相に触れることはないだろう。だがもし、もし、だ。この幾つかの違和感に、必然性を持たせるとしたら。
「華麗なる賭け」という映画がある。スティーブ・マックィーンの悪徳映画だ。主人公は表向きには成功している青年実業家であり、同時に裏では、遊びで完全犯罪を実行する銀行強盗なのだ。
現れない店主。工事の音。左遷された支店長。横領。ラーメン屋の閉店。地銀の閉業。
あの店に、勝手口はない。ないと断言は出来ないが、あったとしてもビルとビルの間の何処に繋がると言うのだ。
真実は闇の中だ。
ただ、ラーメン屋が潰れて、地銀の支店が閉業しただけの事だ。表向きには、事件など何もない。地方新聞でもネットでも目を皿にして調べたが、事件など起きてはいないのだ。
支店長が何かをやらかしたとしても、内々に処理されただけかも知れない。いや、何もやらかしてはいないかも知れない。ただの業績不振での閉業の可能性だってある。
だが、それにしては突然過ぎた。いや、そう見えただけで、告知はされていたかも知れない。
では、警察は何をしに来た?
無論、全く別件で来たのかも知れない。
真相は闇の中だ。
桜も散り、季節は雨を迎えた。
ラーメン屋のテナントビルが建て替えられるらしい。世間はもう、ラーメン屋の事も地銀の事も忘れている。どちらにもまだ看板が残っているから、目にはつく。だが、看板がなくなれば、もう誰も、ここに何があったかなんてわからなくなるだろう。
でも僕は時折、無性にあの美味しくもないラーメンが食べたくなるのだ。
※ この短編小説はすべて無料で読めますが、気に入った方は投げ銭(¥100)とかサポートをお願いします。
なお、この先には特に何も書かれてません。
ここから先は
¥ 100
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。