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夢枕のグルメ -鍋禍鬼哭篇-


 卓袱台を挟んで、二人の男が向かい合っていた。二人とも相当な巨躯である。大きい。太い。そして、分厚く、密度が高い。縦にも、横にも、前にも。余計な脂肪はない。鍛え上げた肉体である。だが、同時に生来の強者を感じさせる悠然とした圧迫感。虎は虎の中にあって弱くとも、人に負ける道理はない。そんな威圧感がある。
 「鍋の話をするとするだろう?」
 巨漢のうち、無精髭を生やした方が口を開いたー。仙吉(せんよし)と言うのが、無精髭の名である。ぎらりとした眼つきは鋭いが、何処か仄暗く、諦めたような、悟ったような冷たさが宿っていた。
 「ああ」
 向かい合う男が、ぽつりと答える。相当に頑強な仙吉と比べても、まるで見劣りしない。お互い巨躯ではあるが、豹のようなしなやかさが感じられる仙吉に対し、こちらは猪か熊を彷彿とさせる、より凝縮された肉の密度。
 名を丹波(にわ)と言う。
 卓袱台ー、とは言ってもそう質素なものではない。質素に見えてしまうのは、二人の身体の存在感が濃密なのだ。余裕を持って四人が座れるであろうが、この二人の方が狭く感じる。卓袱台も、部屋も。
「鍋の最後に、白米をぶち込んで食うのが最高、そう言ったら?」
 仙吉は鼻をぐずりと鳴らし、唇を歪め、にぃ、と挑発的に口角を上げる。この男の悪い癖だ。
 「最高だな。うどん派と喧嘩になるかも知れんが」
 丹波は短く、ふん、と呼気を鼻から洩らし、楽しげに答えた。二人の間の空気が濃密さを増す。いずれかが白米派、いずれかがうどん派だとすれば、今にも決闘が始まりそうな緊張感が走る。だが、仙吉は僅かにおどけるようにして、
 「確かにうどん派とご飯派は二大派閥だ」
 と、自分の所属をぼかした。おそらくは白米派だ、と丹波は睨んでいる。丹波もどちらかといえば白米派だ。これを理由にひと悶着起きる訳ではなさそうだ、とは思ったものの、うどん派を演じるのも悪くない、と好奇心が顔を出す。いや、中華麺派の方が面白いか。
 実際のところ二人とも、うどんの後に白米をぶち込んで、ぺろりと平らげるぐらいの大食漢ではあるのだが。
 「まあ、どちらでもいいんだが、うどんがないと仮定して白米をぶち込むのは?」
 仙吉が、屈託無く聞いた。先程までの挑発的な口ぶりは何だったのか。いささか不満ではあるが、鍋の出汁を吸った米粒を思うと、自然に笑みが溢れそうになる。
 「最高だ。控えめに言って、わかる、な」
 丹羽の舌に、おじやの味の記憶が宿る。口内にじわりと唾が湧き出す。
 「ああ。わかる、って奴は多いだろうな」
 「だろうな。それで、それがどうした?」

 仙吉のぼやかした言葉に、僅かな苛立ちを覚える丹羽は、軽く顎を低くした。
 「そこで、ラーメンの話をするとするだろう?」
 仙吉が、再び唇の端を吊り上げる。どうやら、これが本題らしい。相も変わらず面倒臭い野郎だ、と丹波は素直にそう思った。
 「鍋に入れる中華麺か?」
 先程、中華麺派だなどと口走らなかった事に心の中で嗤う。
 「いや、ラーメンだ。ラーメン屋のラーメンって奴さ」
 「ああ」

 丹波の、唇が歪む。
 空気が変わった。仙吉も顎を僅かに下げる。来るぞ、と丹波が小さく前にのめる。
 「麺を食い終えて、ラーメンのスープに白米をぶち込んで食うのが、ラーメンで最高の瞬間、って言ったら?」

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 来やがった。予想外の攻撃の組み立てではあったが、対応出来ない程じゃあない。間髪を容れずに丹波は答える。
 「いや、そいつはもう、ラーメンじゃあねえだろ」
 「何故なんだ?」

 攻撃を仕掛けた仙吉も、隙を与えずに返して来る。何故? 何故なんだと? 仙吉の連撃に、丹波の反応が遅れた。
 「何故って、そりゃお前」
 「答えに窮しているだろう」

 仙吉の言葉に、二人の間に、ちりちりとした空気が流れる。どちらも一触即発の状態である。だが、明らかな攻勢は仕掛けた仙吉の方にあった。
 「いや。そりゃあ、お前。竹輪の穴ってえのは、竹輪があってこそ、竹輪の穴だろうがよ。それを、よ。てめえ、よ。麺を米に変えたラーメンってのはラーメンじゃ、、、」
 言いながら、負け犬程よく吠える、とはよく言ったものだと自嘲する丹波。言葉が多い。自分に揺らぎがないのなら、ただ、ラーメンではない、と突っぱねれば良いだけではないか。だが、できなかった。できなかったのだ。仙吉に見透かされている。お前の浅はかな切り返しなど屁でもない、と。悔しかった。ただ、悔しかった。仙吉にではない。己にである。
 「ドーナツの穴も、バウムクーヘンの穴も、ただの空間だと? あの穴には調理上の理由がある。それをただの空間だと? なら、ラーメンのスープは無だと言うのかい、おめえさん、よ」
 仙吉が追い討ちを掛けてくる。だが、丹波にはそれが心地良かった。ここで容赦するぐらいなら、仙吉との付き合いはこれ程ではなかっただろう。こいつとは、これでいい。こいつはこれでいい。だが、同時に、
 「面倒くせえ野郎だな」
 本音が口から漏れた。
 「面倒なら、この質問にだけ答えろ」
 「なに⁉︎」

 仙吉は待っていたかのように告げた。瞬時の応報は、かなり計算されていたに違いない。今回ばかりは丹波の方に油断があったと言わざるを得ない。仙吉がとどめとばかりに一撃を放った。
 「そんなのはラーメンじゃねえ、お前はそう言ったが、その実、ラーメンの汁に白米をぶち込んで食うのは最高だと思ってるだろう?」
 「ぬう、、、」

 見抜かれていた。その通りだ。ラーメンの麺を食い終わり、そこに白米をぶち込む。その圧倒的な旨さは麺に勝るとも劣らない。いや、勝る。鍋の締めに米を食う文化を持つ日本人にとって、それはお手軽にラーメンでも実現可能なのだ。何なら、インスタント麺でも。ラーメンの締めが米。舞台上ならトリをつとめる役割だ。それが主役だと言っても過言ではない。だが、何故だ。ラーメンの主役が米であると、丹波には認め難かったのである。
 「言えよ、本音を」
 仙吉が、降伏を勧告した。いや、だが、まだだ。まだ戦える。
 「最高な事は認める。だが、それはラーメンじゃ」
 折れそうな心を、崩れそうな肉体を言葉で支える。しかしその言葉を、塞いだのは、仙吉の言葉だった。
 「俺はよ、まずい飯が食いたいんじゃねえ。それは鍋でも、ラーメンでもだ」
 「ああ、そうだ。そうだな」

 丹波の身体から、ふっ、と力が抜ける。まだまだ負けた訳じゃねえ。だが、今晩は負けでいい。いや、負けだ。このところ、仙吉に勝たんが為に理屈臭くなっていたかも知れない。丹波は自分を肚の中で嗤った。そうだ。面倒臭いのは、仙吉ではなかったかも知れない。面倒なわだかまりに絡められていたのは、丹波の方だったのかも知れない、と。
 「俺たちが食いたいのは、そうさな。うまい飯、だ」
 仙吉の言葉が、丹波の心を代弁していた。
 「ああ。いい夜だな」
 「ああ。いい夜だ」

 二人が歯を見せて笑った。屈託のない、肚の底から出た笑みである。
 「そうだな」
 「ああ」
 「ああ」

 個室の引き戸がノックされるや否や、開けられる。同時に部屋を、鼻腔を、香ばしい湯気が満たす。
 大学生ぐらいの、金髪の店員が、調子が狂いそうな甲高い声で言った。
 「失礼しまーす。お待たせいたしましたー。鍋ラーメン特盛キムチ味、ご飯大盛りセット2人前になりまーす」
 


 ※  この短編小説は無料ですべて読めますが、どうしても仙吉を「せんきち」 丹波を「たんば」って読んでしまう人は投げ銭(¥100)ください。なお、この先には夢枕獏に対する愚痴しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。