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現世界グルメ『餅』


 日本人にとって最上最高の食材と言えば何になるだろう。ここで「米だ」と言ってしまうと、議論が終わってしまうのではないだろうか。
 無論、異を唱える人がいても構わないし、異論を許さない訳ではない。
 しかし、日本人にとって最も重要な食材が米である、と言ってしまえば、おそらくだが、納得する人が圧倒的だと予測される。それほどに日本人と米は切っても切れない関係にあると言えるだろう。
 近年は、パン食が米色の比率を上回ったというデータもあり、日本人としては寂しい気持ちを隠し切れない。
 だが、冷静に考えて貰おう。実際のところ、パンが米よりも好きだから、という理由でパン食を選んでいる日本人は、そう多くはない気がしないでもない。
 無論、パン食が好きな人も多数いるだろうし、別にパン食が悪い訳でも何でもないのである。ただ、不景気や物価等の影響からパン食を選んでいる人間は少なからずいるのではないか。そう思うのである。
 単純に、パンは即食べられる、という事情が大きいのではないだろうか。
 世界的に見て、現代の日本人は時間に追われ、ゆったりとした時間を過ごす機会に恵まれない。
 特に朝食は抜いてしまう、パンで済ませる、なんて表現が日常的に使われる。
 つまり、金銭と時間に余裕があれば、本当は米を食べたい、と考えている日本人が多いのではなかろうか。と言うのが個人的な見解である。
 無論、これはちゃんと調査をした訳ではない。間違いなく希望的観測は含まれている。
 しかし、ちょっとした日常的な会話の節々に、「パンでいいや」とか「パンで済ませる」なんて言葉が使われているように感じられるのだ。
 つまり、手間、時間、コストと言った要因を除去すると、米食を選びたい人間の数はかなりいるのではないか。
 確かに、パンや、オートミールなどのシリアルに比べると、米は少々、手間が掛かる。
 菓子パンや惣菜パンはそのまま食べられる。食パンだってバターやジャムを塗れば、それだけで食べられる。シリアルだって牛乳をかける程度だ。
 しかし、米は炊かねばならない。どれだけ急ごうとも20分以上は必要だし、米を研いだり、洗い物という点でも手間が増える。
 手軽さで言えば電子レンジで温めるパックご飯もあるが、白米だけで食う訳にもいかない。かと言って、漬物だけで白飯を食うのは何とも侘しい気がしてしまう。
 やはり、焼き魚や煮物、味噌汁と言った「おかず」の存在なくしては、米食は輝けないのである。
 そう言った事情から、必然的にパン食を選ぶ人間が増えているのではないか。そう感じるのである。
 西洋料理にとって、主食は肉や魚であり、パンは添え物であると言えるだろう。つまり和食で言うと、おかずを食べるためにパンが存在する。
 しかし、和食は逆だ。米を食べるためにこそ、おかずが存在している。主従の関係が正反対だ。
 だからこそ、日本は独自の文化として西洋にない「菓子パン」(西洋ではケーキに位置する)や「惣菜パン」(日本で言うところの丼料理)を生み出したのである。
 それほどに重要な米という存在だ。例えば会席(≠懐石)料理などでは、ご飯茶碗を片手に食事をする訳ではない。しかし、文化的に見れば、そこに添えられるのは「日本酒」であり、つまり米を原料とする酒である。
 そして、食事の最後を飾るのは米なのだ。
 この米は、他の形でも活躍する。前述の酒もそれだ。白飯に近いが、お粥や蒸しご飯という料理もある。
 また、おかきや煎餅、あられ、ポン菓子と言った形にもなるのだ。
 特殊なのが「ビーフン」(米粉)である。日本人はあらゆる形で米を食べるにも関わらず、また、麺料理を好む特性もあると言うのに、不思議と麺にはしなかった。
 この理由は全くもって不明で、研究するに値するテーマだとは思うが、今回の主旨からは外れるので割愛させて貰おう。
 強いて言うならば、中国からビーフンという文化が流入して来たから独自の文化を構築する必要がなかった事や、麺にするならば小麦の方が適していると言う判断があったり、また、米を麺状に加工することに対しての忌避感があったのかも知れない、という事で済ませておこう。
 だが、米は貴重であったにも関わらず、糊にも加工され、おかきや外郎(ういろう)という菓子も作られている。世界にはビーフンやフォーという米由来の麺がある一方、米大国の日本でだけ米の麺が生まれなかった理由は不明だ。
 そう。英語では「ライスケーキ」と呼ばれる加工食品『餅』さえあるにも関わらず、だ。
 この「餅」は、ある意味で白米を凌ぐ特別な米料理である。
 言うまでもない。正月の鏡餅を筆頭にして、祭事の料理と言えば餅なのである。雑煮や善哉もこれに該当するだろう。
 ここで「餅」と言うと少々アバウトな区分になってしまうが、煎餅やおかきも餅のバリエーションに該当するのだ。
 煎餅とは読んで字の如く「煎じた餅」である。また「おかき」も、鏡餅などを割って「欠いた餅」から「かきもち」「おかきもち」「おかき」と転じたもの。
 焼き煎餅から、揚げ煎餅まで色々とあり、煎餅の歴史は米より古いと言うような話もあるが、ルーツは違えど、餅であると言える。
 そして、小麦粉主体のものもあったり、うるち米やもち米との差があったりするが、団子の類も基本的には餅の一種である。前述の外郎もそれに該当するだろう。
 この祭事には欠かせない料理である餅。
 米の食べ方としても素晴らしい料理だと言える。
 しかし、この餅を食べられる場所が少なすぎると思うのだ。
 正確に言えば、お茶請けとしての「おかき」はポピュラーで、何処にでも売っているようなありふれたものである。
 また、団子というデザートとしての役割も一般的だ。
 しかし、不思議に思った事はないだろうか。
 普通の白い餅を焼いて、醤油をチョンとつけて食べるだけの、そんな店がないのである。
 冷静に考えて、スーパーマーケットでも、何ならコンビニエンスストアでも、普通に切り餅が売られているのだ。それも、年中ずっと。
 なのに、一般的な食事の中に「餅」が組み込まれている場所が少なすぎるのである。
 せいぜい、うどん屋のトッピングとして余地が使用される「力うどん」ぐらいだ。
 また、薄く切った餅と一緒に「お好み焼き」が提供されたり、鍋でサッと火を通して食べる「しゃぶしゃぶ餅」程度で、後はおでんの餅巾着がいいところ。
 何故だ。丸餅であれ、切り餅であれ、普通に焼いて海苔で巻いたり、バター醤油で食べたり、砂糖醤油も捨てがたい。素晴らしいはずの餅。
 惣菜パンを食うように、あるいは、おにぎりを食べるように。
 もっともっと、餅を普通に食う機会や場所があってもいいのではないか。
 餅を愛してやまない人間からすると、普通に餅を食える場所があって然るべきだと思うのだ。
 しかし、ない。ないのである。
 今日は丼、明日はパスタ、明後日はパンで、明々後日は餅。その次はお好み焼きか? そんな風に、普通に餅を楽しめる店や空間があってもいいのではないか。
 何も杵つきでなければならないなんて言っているのではない。自家製にこだわる必要もないだろう。市販品の餅のコストを考えれば、既製品を焼いて出すだけでも商売に出来なくはない。
 海苔や醤油やバターや砂糖をメインとして、他に少しだけバリエーションがあれば充分以上だ。
 餅好きとしては、そんな店がほぼ皆無である現実に、絶望すら感じるのである。
 毎日毎食のように餅を食えとは言わない。しかし、週に一回程度なら、餅は主役になれるだけのポテンシャルを秘めていると思うのである。
 だが、そんな店は存在しない。何故だ。
 よくよく考えてみた。
 それが理由なのかどうか、真相はわからないがひとつの仮説は立てられた。


 餅を喉に詰めて、
 爺ィ婆ァが死ぬから。


 フグ毒なんぞ話にならないレベルで、毎年恐ろしい数の死者を出す料理。それが餅である。
 店屋としてやって行くには、あまりにもリスクが大きい。これが、餅を食わせるレストランが少ない理由なのではないだろうか。
 食べると異世界に旅立つ可能性が高い料理。
 それが餅なのである。

 ※この記事はすべて無料で読めますが、米好きもパン好きも投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には、ワタクシの好きな食い物の話しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。