恐るべき子供たち -日本人の僕がフランスで受けた迫害-
周囲には言っていないが、僕はいわゆる帰国子女だった。そう、大雑把に言えば。
生まれは日本で、国籍も最初から今まで、ずっと日本のままだ。住んでいる時間は一番短いけれど、分類すれば国籍的には日本人なのである。
僕の母は日本人、フランス文学で教鞭をとる講師だ。大学在籍時に留学した先で、運命の相手と出会った。
カナダ、ケベック州。英語仏語が公用語であるカナダにおいて、フランス語話者が多い土地だ。
詳しい血脈はわからないが、先住民族である北米ネイティブ・アメリカンと中国系フランス人の混血であるという父。
僕の2人の両親は、いわゆるエリートだった。それも、地盤のない状態から努力で今の地位を獲得している。
2人の親が、優しくなかった訳ではない。愛情を数値で測れるなら、人並か、人並以上の愛情はあっただろう。おそらくね。
ただ、2人とも仕事に高いプライドを持っていた事は間違いない。ワーカホリックって程の仕事中毒ではないが、夫婦間よりも、親子間よりも、仕事に愛着があったのだろう。特に母親はそうだったのかも知れない。
妊娠、出産、育児で仕事に空白を作った事が、母には痛手だった。酔った母が、そうこぼしていたのだから、おそらく間違いない。だから、2人目以降を産むことはなく、僕は一人っ子のままだった。
僕は生まれこそ日本だが、両親の仕事の関係で、幼少期はカナダ、日本でいう義務教育をフランスで終えた。少し面倒な説明になるが、フランスの小学校は5年生まで。代わりに中学校は4年ある。高校は日本と同じ3年だが、フランスは高校までが義務教育だ。
僕は、日本の大学への進学を決めた。入るだけなら、ボルドー大学でもMITでもハーバードでもオックスフォードでも選び放題。
両親はそのままフランスに進学しろと強く勧めた。国外でもイギリスはどうだとか、学歴ならアメリカもいい、と。
だが、やりたい事のために自分を通す事は2人の姿勢そのものだ。だから、僕にもやりたい事がある。それに反する事を勧めるのか。そう主張したら、僕の意志は通った。
まあ、やりたい事なんて本当はなくて、ただ、両親を黙らせるためだけにでっち上げた目標なのだけれど。
選んだ大学は京都大学。近代都市の代表である東京よりも、日本らしさが色濃く残る京都にしたかったからだ。日本を知らない父は東大を勧めたが、母は、校風的に京大を選んだ事に満足なようだ。
そうして僕は、薬学科を選んだ。
理由は完全に消去法。実に消極的なものだ。
両親はいわゆる文系で、彼らの嫌な部分を散々見てきた。だから、物事を曖昧にさせない理系に進みたかったのだ。
そして、農学を選べばフランス。工学や法学を選べばアメリカを推されるだろう。加えて、病院に良い思い出がないから医者にはなりなくなかった。だから、ここでしかできない研究があると嘯いて、京大を選んだのだ。
何故、そうまでして日本へ行ってみたかったのか。
言ってしまえば、これも消極的選択に過ぎない。
簡単に言えば、僕は虐められていたのだ。
カナダでもヨーロッパ系の白人が多い中、典型的東洋人顔の僕は目立った。残酷な子供たちは、自分たちと違うものに好奇の目を向ける。
今になって思えば、それがドラマや映画に出てくるような苛烈な「イジメ」ではなかったと言える。だが、陰湿で悪質なものでなければ、人の心は傷付かない、と言える程に単純なものでもないのだ。
先住民族と中国人のハーフで、その迫害をはねのけて進学した父。日本という殻を破って国外への永住を決めた母。弱音を吐く事が許されない環境で育つ事は必ずしも人間を強くする訳ではない。
そんな幼少期を過ごし、義務教育とともにフランスへ。
新しい環境に怯えはしたものの、期待を抱かなかったかと言われれば嘘になる。
だが正直な話、フランスでのイジメはカナダよりも酷かったように思う。日本、カナダ、中国、フランス。そのどれにも属していない僕は、何処にも身の置き場がなかったのだ。そう。家族の中にさえも。
だから、僕はカナダからもフランスからも自宅からも逃げ出したかった。
じゃあ何故、日本を選んだか。
普段は隠しているが、僕は三ヶ国語の話者だ。主観的に見て、フランス語、日本語、英語の順に話せる。受け答え程度なら、イタリア語、スペイン語もどうにか。それには劣るがドイツ語も意思疎通程度なら出来る。もっとも、どれにせよ僕が根本的に話し下手であると言う点は変えられないが。
だから同じなら、日常会話に困らない国を選びたかった。それがひとつ。
もうひとつ。これは、自分が三ヶ国語の話者である以上に隠している趣味がある。
日本のアニメだ。母はTV番組を好まなかった。だから僕に低俗なTV番組を見せないようにしていた。けれど母は同時に仕事第一の人間であり、家にいない時間は何をしてもバレない。無論、上手に隠す必要はあったけれど。
母はアニメを児童が観るものと決めつけていた。フランスでは、大友克洋の「AKIRA」や、寺沢武一の「COBRA」 それから、北条司の「ニッキー・ラルソン」(日本ではシティー・ハンターというタイトルらしい)なんかが人気だ。あとは「ベルセルク」とか。
また、アニメーション化はされていないが、谷口ジローの漫画は大人気だ。カナダでは「ニンジャ・スクロール」(日本では獣兵衛忍風帖というタイトル)が人気だったみたいだ。
だけど、僕が虜になったのは「セーラームーン」であり、「うる星やつら」「らんま1/2」「ポケモン」だったのだ。
フランス男児は必ず「うる星やつら」のラムに恋する、なんてジョークがあるけれど、僕も例外ではなかったし、それ以外の日本のアニメキャラクタ達にも恋していた。ネット環境が自由になる頃には、日本のアニメを貪るように観た。日本語を流暢に喋る事は出来たが、実際に聞いたり話したりする機会は少ない。実際、母親から聞いた日本語より、アニメから聞いた日本語の方が多いだろう。ある意味では、日本語を学んだのはアニメだと言えるかも知れない。
日本に行きたい積極的理由はそれぐらいだ。
後はせいぜい、日本は差別が少ない、という噂程度のものだろうか。だが、それにはあまり期待していない。データを見る限りでは日本に住む外国人は多くない。島国だからだろうか。人種差別が少ないのは、単にそれだけの理由かも知れないのだ。
そもそも、何処にも居場所がなかった僕が、新天地で必ずしも馴染めるとは思えなかったし、期待を抱いて落胆もしたくない。
それに、アニメをたくさん観たから知っている。日本では「おたく」は嫌われる。内向的で運動が苦手、他者との関わりを嫌う。まさに僕の事だ。
だから、日本が特に楽園だなんて甘い考えはしてない。まずは「ここではない場所」に行ければ、それだけで充分だ。
それに、期待してなかった分だけ、日本は快適だった。京都は、想像したより近代的な街で、写真で見るほど美しくはなかったが、住むには便利な街かも知れない。
下宿から東西南北の何処に行っても、歩いて2分以内にコンビニエンスストアがある。
夏の蒸し暑さと、冬の底冷えという寒暖差には苦労させられたが、それ以外は安全性にも快適性にも優れる。
そして、学生達の「おたく」具合が想像以上だった。
無論、学内でも「おたく」を馬鹿にする連中はいたが、接点さえ持たなければ、執拗に嫌がらせをしてくるって程でもない。カナダやフランスより、いじめの内容が幼稚かつ淡白なのだ。いやむしろ、アニメ以外にも、鉄道、アイドル、ミリタリー、ゲームなどなど、種類は違えども「おたく」の方が数が多いぐらいだ。期待していなかった分だけ快適ではあるが、期待していたとしても、京大は想像していたより過ごしやすい空間だと言える。
どちらかと言うと、学内より学外の方が、「おたく」に関して差別的である気さえする。
同期と話してもさほど違和感はないが、他校の人間と話すと、よく「芝居掛かった喋り方」と評される。ひょっとするとアニメを観て日本語をブラッシュアップした所為だろうか。いや、だが京大の同期からは、特にそんな指摘はされない。あと、僕が帰国子女だと知っている人達は、日本育ちの人間よりも「イカ京」に見えるんだそうだ。「いかにも京大生」という意味らしいが、僕は京大を選んで正解だったという事だろうか。
悪口かどうかはともかく、顔は変えようがない。喋り方は気になったので、自分の喋り方を録音して聞いて、分析してみた。確かに、第一言語にフランス語を話す癖なのか、基本的に口の中でぼそぼそと喋る傾向にある。「おたく」的に聞こえるのはこれだろう。
その一方で、なるほど、好きなアニメのセリフを真似する時だけはボリュームと抑揚が特盛になる。そう、特盛。日本の牛丼屋で覚えたフレーズだ。ラージサイズの次、エクストラサイズ。特盛。
牛丼屋も気に入った。すごい。24hのコンビニエンスストアが立ち並ぶだけで凄いのに、ファストフードまで24hだなんて。治安の良さを示す、素晴らしい基準ではないだろうか。
それに、牛丼の味が好きだ。母はあまり日本が好きではないように感じるが、日本食は好きだったようだ。食材は日本のものを取り寄せたり、高くても買ったりしていた。箸がちゃんと使えるのも、母の教育のおかげだ。同期曰く、僕の箸の使い方は、僕の日本語より上手らしい。
ちなみに、こう書くと母の手料理が日本食だったように感じるかも知れないので、正確に記すと、その大半は日本製のパックご飯、冷凍食品、レトルトパウチ、フリーズドライの味噌汁などである。
だから、悲しいかな。僕にとってソウルフードはレトルトの牛丼なのだ。そんな僕にとって、ファストフードとは言え、できたての牛丼が本場の日本で食べられるってのは、身近では最高の幸せだと言えた。
それに、サイズやトッピングを色々とチョイスできるのもいい。店舗にもよるが、驚いたことに、牛丼のヴァリエーションはポーチトエッグ、ニンニクの芽からオクラ、カレーやチーズ、更にはシチュー(ベシャメルソース?)まで多岐にわたる。
だから僕は、今日もお気に入りの牛丼を注文するのだ。
す
い
ま
せ
ん
ちなみにフランス語で言うと、
だと思うんだけど、筆者は生粋の関西人で海外と言えば四国と九州と北海道しか知らないし、フランス語なんてカタコトも喋れません。
帰国子女?
は?
作り話に決まってんじゃねーか。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。