愉悦(たの)しんぼ
皆さん、こんにちは。楽しくない事を楽しんでますか? 木賃ふくよし(芸名)です。
さて。ワタクシ、基本的に人生なんて楽しんだもん勝ちだと思うんですよ。どうせいつか死ぬんだし。
今際の際に思う事があるとすれば、このどっちかでありたいと思ってるんですよね。
1.あぁ楽しんだ。死んでもいい。
2.楽しく過ごしてるから、死にたくない。
まあ、基本的に1がメイン。
正直なところ、ワタクシ、ほとんど長生きに興味がない。むしろどっちかってーと早く死にたいって思ってるぐらいだ。
別に自ら死を選ぶほど自分にも世の中にも悲観しちゃいないが、死にたくないってほど極楽な生活を送ってる訳でもない。フツーに考えりゃ、50歳手前でフリーアルバイターなんて状況だから、世間的には「世を儚んで死ぬべき」って立ち位置だろう。
しかし、これから先はともかく、2022年3月(世情的に来年どうなってるのかは知らん)、今現在の日本では、独り身でアルバイトさえしてれば生活に困る事はない。
しかも、ワタクシの趣味はWikipediaの読み漁りなので、金が掛らないのである。
正確に言えば、相当多くの趣味を持っているが、その趣味で得たいものは何かと言うと、知識や経験なのである。
高級時計に興味はあるが、その機構や歴史の方が好きなので、所有したいと熱望する事はない。一本も持ってないし。
カッコイイ服も好きだが、ワタクシに似合う訳でもない。
美味しいものも大好きだが、若かりし頃に相当食べ歩いたり、調理したりしたから、知識や経験はそれなりにある。
映画をはじめとする映像作品も大好きだが、今じゃ無料で観る手段も増えた。漫画小説音楽は大体無料で楽しめる。
要するに、最大欲求である「知見」が、簡単に手に入っているのだ。
人によって「良い生活」の種類は違うだろうが、ワタクシの場合、自分がやって楽しい事ってのは、案外と満たされている。
他人の生活が特に羨ましいとは思わないし、独りが寂しいとも思わない。むしろ気楽だ。恋愛はむしろ面倒だと思ってるし、子供を育てるなんて責任が果たせるほど能力も収入も意識も高くない。何なら、ワタクシみたいなちゃらんぽらんに育てられる子や、付き合わされる配偶者が不憫だとさえ思う。
で。色々と劣悪な環境にいた事もあるから、「人並の生活」って思ってる基準も低い。
そこでワタクシが至った結論は、「良い生活の為に苦労やストレスを抱えるより、苦労やストレスがない生活の方が良い生活なのではないか」という事である。
なので、ちゃらんぽらんなワタクシが、ちゃらんぽらんでいられる今の生活は、割と幸福なのだ。
無論、生活費自体はギリギリだし、世界も波乱に満ちてるし、この先どうなるのかはわからない。
しかし、守るべき家族や財産もないから、死ぬ訳にはいかないとか、死が怖いとは、あんまり思わないのだ。少なくとも「死にたくない!」なんて強くは思わない。どうせそのうち死ぬし。
てな訳で、そろそろ本日の本題に移ろうと思うが、本日の話題のキモは、楽しんだモノ勝ちって事である。
ワタクシはそれなりに色んな事に興味を向けて、それなりに楽しんできたと思う。
その中で、趣味の本質ってモノについて、色々と考える事がある。
例えばワタクシは、20年以上ワインに携わる仕事をしてきた訳だが、ワインの本道とは何だろう、と常々考えていた。
正直に、本音を言ってしまうなら、
ワインは飲み物でしかない。
結局、美味いか、感動するほど美味いか、そうではないか、それだけなのである。
だから、世間で美味いと言われていようが、ワタクシが美味いと思わないなら、他人の評価などどうでもいい。それに金を払う価値があったかどうか、という結論になる。
無論、飲んでみなければわからない部分は大きいから、大金をはたいて、その価値がなかったと嘆く事もあったし、その逆があると嬉しい。
しかし、安くて美味いワインを探し当てる事が本道かと言われると、何か違う。
法外な値段はともかく、良い品質に高い値段が付くのは当然なのだから。
かと言って、品質が保証されたブランドのワインを飲めばいいのか、と言うとそれも違う。
まして、ワインは飲んで楽しむものだと思うから、コレクターになろうとも思わない。
だが、コレクターじゃないとしても、もはや味が失われているであろう、古い「骨董品」としてのワインは骨董品としての価値を持つから、むしろ飲んでしまうのは間違いだとも思う。
いや、だがそれを飲んでこそ、歴史を感じるという価値あるのかも知れない。
ワタクシは、ワインに限らず、酒に限らず、食事に限らず、その趣味の本道とは何だろう? と考えるのである。
強いて言うなら、「その趣味に没頭して笑顔になれてるか?」だろうか。ワタクシにとって、それが長年の「答え」だった。
今日、この事を記事にしようと思ったのは、先日Twitter上で、かのグルメ漫画「美味しんぼ」の1コマを見たからである。単行本で読んだ事もあるシーンだが、その時はそれほど心に留まらなかった。
そのシーンのセリフの抜粋だが、
私、ラーメン屋でラーメンを
食べている人を見るたびに
考えてしまうの。
みんな 暗い顔をして
黙々と食べているわ。
そんな思いをしてまで、
なぜラーメンに引かれるのか
それは何か、
とても暗い情熱に
突き動かされているからじゃないか
と思うのよ。
ちなみに、ヒロインである栗田ゆう子のセリフである。
このシーンの切り取りを見た時、何か答えを得たような気がしたのだ。
楽しみ方なんて、
人それぞれでいい
と言う、とても当たり前な答えを得た気がするのだ。
なんで得られたかと言うと、
(´°Д°)」 コレって、
普段から難しい顔して、
料理にケチをつけまくってる
「美味しんぼ」で言っていい
セリフじゃねえよな?
と言うミもフタもない事に気付いたからである。
言われてみりゃ、若い頃に色々と食べ歩いて、このソースは何だとか、原料は? 調理法は? ってな事を考えて、特に笑顔になんかなってなかったけど、それはそれで楽しんでた訳だ。
例えば、ワタクシは武術が好きなのだが、単純な基礎練ってのはフツーに嫌いなのである。
しかし、それを続けて、1つの技が「ああ、こーゆー事か」と体得した(気になってるだけです)時は嬉しかったりするのだ。
これはストレスに対するカタルシスが楽しい場合だが、案外と、そうでないケースもある。
人生なんてゲームみたいなもので、基本はトライ&エラーと、ストレス&カタルシスが面白いはずである。
しかし、自分がストレスを排除していった結果、特にカタルシスがなくても人生というゲームは楽しめるって事を知ってしまった。
一方で、カタルシスがなくても、ストレスってのが割と人生に必要な娯楽だったりするとも思えるようになったような気もする。
悩んで頭をフル回転させて、それでも思考の肥ツボに落ちる事もまた、割と楽しい事ではあったりするもんな。
何が楽しいか、何がストレスか、何がカタルシスかは人によって違う。
ワインを飲んで楽しむより、コレクションが揃う事に喜びを感じる人がいてもいいのだ。
これまでは「金は使う事が楽しみであり、金そのものは楽しみではない」と思っていたが、そう考えると「貯金の額を増やすだけ」が楽しいって人の気持ちも、少しはわかるような気がするのである。
(´・Д・)」 いや、実際には生活がギリギリで、ちっとも貯金が増えてないから、それが楽しいのかどうかは知らんのですが。
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なお、この先は「なぜ美味しんぼの単行本で同じシーンを読んだ時に、特に何も思わなかったか」について書かれています。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。