現世界グルメ『豚足』
ラーメンで最も美味しいのは、麺を食べ終えた後、スープに白い御飯をブチ込んで食べる瞬間である。そう言って憚らない。ラーメンを語る上で、絶対に欠かせず、避けては通れない道。そう思っている。
しかし、この意見を口にすると、多くのラーメンファンから強い反感を買うことが多い。
何故だ。いや、言わんとする事はわかる。
確かに、ハヤシライスのハヤシの部分をカレーにした方が美味しいんじゃない?と言われれば、ハヤシライス好きにとってみれば屈辱的なのだろう。
しかし、言われるようにラーメンの麺がイマイチなら、麺じゃなくて全部モヤシにした方がモヤシスープとして美味しい、と言うのが個人的な意見だ。
そして、モヤシを食べ終わったら白い御飯をブチ込んで食べたい。そう思うのである。
誤解なきように言うと、そりゃもう、麺がたまらないぐらいに美味しくて、それだけで大満足ならば白い御飯の出る幕はない。いや、出る幕なんかない方がいいと願っている。
しかし、単純に麺の量が少ない、という理由に始まり、大盛りをした上に替え玉までしたくなるような美味い麺に出会う事は稀なのだ。
一方、白い御飯はと言うと、白い御飯が特別に美味い必要はない。むしろ、特別に美味しくない方がいい、とさえ言える。何なら、イマイチな御飯ほど、ラーメンにブチ込んだ瞬間に花が開く。
少しパサついた、少し硬くなった、炊き立てからは程遠い、時間の経過した御飯の方が、ラーメンスープとの相性がいい。
そして、安定して美味いのだ。それを楽しまない理由が何処にあると言うのだ。
実際、ラーメンマニアの中でも「重要なのはスープ」という派閥がいる。少なくとも、コストで言えば麺よりスープが高価だ。ならば、その重要なスープを最も美味しくいただく方法として白い御飯を選んでいるのだから、文句を言われる筋合いはない。
そう。筆者はラーメンが好きなのではない。美味しいものが好きなのである。優先順位として、美味しいものであればそれがラーメンかどうかは重要ではないのだ。
だからこそ、麺で最大に美味しいラーメンに出会える事を願うが、現実問題として、御飯をブチ込んだ方が美味いケースが多いとは思う。悲しい事だ。
そして、「ラーメンは麺よりも白い御飯をブチ込んだ方が美味い」と言うと反感を買う。
反感を買うのはわかるが、考えても見て欲しい。
「アメリカンドッグで一番美味しいのは最後のカリカリ部分」
って言っても誰も怒らないどころか、むしろ話が盛り上がる。君たちはアメリカンドッグに誇りを持って作っている人達の気持ちを蹂躙しているとは思わんのかね。本体よりも端っこのカリカリが最高とかふざけてるのかね。まったく。
いや、個人的にもカリカリが最高だと思ってるので異論はないし、アメリカンドッグに誇りを持って作ってる人達も「最後のカリカリ最高!」って思って作ってると思う。知らんけど。
少し話が本題から遠退きそうなので軌道修正するが、残念ながら本体ではなく、副産物の方が美味しいなんて事はよくある話だ。
有名店では豆腐よりも高い湯葉だが、基本は豆腐の副産物であり、下手すりゃ産業廃棄物である。
いや、豆腐も湯葉も美味しいが、湯葉の方に絶大な価値があると言われるといささか疑問を感じるし、湯葉を異常に持て囃されると違和感を覚えてしまう。
結論から言えば、美味ければいいのだが、価格や騒ぎっぷりを目の当たりにしてしまうと、奇妙な感情が生まれるのは否めない所である。
ちなみにコレは世間ではなく、自分の中での話なのだが、テンションの上がり具合と下がり具合の高低差が激しい料理があったりはしないだろうか。
個人的には「豚足」である。
中には見た目がグロテスクだ、という意見もあるだろうが、個人的には豚の脚を丸齧りできる、という状況は感情が昂ぶってしまう。
気分が高揚するかどうかは賛否分かれる料理だが、個人的には見た目からして期待値が上がるし、豚の脂をたっぷり堪能できるので、味の面も悪くない。
しかし、その興奮は5分と続かないのである。
・食べづらい。
・可食部が少ない。
・食べづらい。
・手が汚れる。
・口元が汚れる。
・顎が疲れる。
・指が疲れる。
・食べづらい。
・面倒くさい。
・時間が掛かる。
・味に飽きる。
・食べづらい。
・スッキリしない。
ぷりぷりの見た目と違い、そのほとんどが骨なので可食部が少ない。可食部かどうかの判断は人によるが、軟骨部分も多く、食べるにしても食べないにしても手間が掛かる。カニと比肩されるレベルで会話が止まる料理である。
また、その形状から、箸を使っていても何故か手が汚れるくらいに厄介。手指を使って食べたら、そりゃもう手が脂でギトギトになる。ケンチキと双肩をなすレベルだ。
手だけならいい。口まわりもベトベトになる。そりゃ味が良かろうと、並の女子なら確実に避けたい料理だ。口のまわりを汚すレベルで言えばモスバーガー以上かも知れない。
それぐらいに手間なので、顎も指も疲れる。面倒で完食までに時間を要するし、何処まで食べたら「完食」と言えるのかの判断が付きづらいため、イマイチ「よし!食べ終わった!」感が得られないのだ。
しかも、食べやすく美味しい部分は、既に食べ終わっていて、最後は地道に骨をしゃぶる形になるから満足度が高くならない。
それでいて案外、味に飽きるのである。
序盤を終えると、中盤以降はただひたすら下がり続けるテンションに抗いながら、会話もできないまま黙々と骨を分解する作業。
これが、これこそが豚足の正体なのである。
美味しい割には普及しない。
とにかく食べづらいのだ。しかも、満腹にはならない割に、味には飽きやすい。
韓国のチョッパル、沖縄のてびちなど、普通に豚足を食べる文化は少なくないのである。
まあ、韓国のチョッパル(豚足)、チョッパリ(日本の足袋が豚の蹄に見える事から使われる侮蔑語)と言うと一部の人間が過剰な反応をしそうだが、それは本題には関係ないので飛ばそう。
確かに、豚足は骨ごと齧りつくよりも、ナイフで肉を削いで食べる方が手っ取り早い。包丁で肉を削いで提供する店もある。実際そうしてもらった方が有難い。
この辺も人によるとは思うが、料理として提供されたものを、綺麗に平らげて返すことは、食事における基本かつ重要な要素なのではないかと思う。
つまり、表面だけ齧ってポイと捨てられるようなら、豚足はもっとポピュラーになれたのではないかと思うのだ。
日本において豚足の人気が上がらないのは、単純に面倒というだけではなく、こう言った心理も影響しているのではないかと思うのである。
さて。そんな数々の問題を抱えた豚足であるが、それらを解消する方法を伝えようと思う。
豚足の脂の弾力や歯ごたえを楽しみたいのであれば、前述のように表層の肉だけを削いで提供する、食べる、と言うのがいいだろう。しかし、豚足の脂や歯ごたえを楽しみたいのであれば、ミミガー(豚耳)やチラガー(豚顔)で充分という事になってしまうのだ。
だから、違う。本当に豚足の味を楽しむのであれば、
ひたすら煮込む。
弱火で、少なくとも4時間。箸で骨を引っ張れば抜ける柔らかさを目指せば5時間は煮込みたい。
個人的な理想は、骨から一切の肉が剥がれ落ちるぐらいの煮込み。これにより、骨にまだ肉が付いているのでは?という「勿体ないストレス」からは解消される。
弱火とは言え4〜5時間くらい鍋の世話をするのは面倒なので、圧力釜を使用してもいい。こちらならより早く、より綺麗に肉を刮ぎ落とせる。
目安としては、骨が単体でバラバラになりつつ、骨には一切の肉が付いていない状態だ。
骨と、溶けない軟骨を拾い上げ、最後に残った肉だけを雑に引き揚げて食べる。
スープも少々取り、白い御飯にブッ掛けて食べるのもいい。
温かいまま酒のツマミにも出来るし、冷えてもツマミとしては悪くない。
粗く刻んで、炒飯などの具材にするのもいい。
だが、本命はそんなところにない。
豚足を煮込んだ時に発生する「豚足スープ」とも言うべき、副産物の豚骨スープが美味いのだ。
無論、豚骨スープなのだから、そのスープはどう使ってもいい。
だが、オススメしたいのは「豚足スープうどん」である。
豚足を作る際に出来た豚骨スープ。コレをうどんのスープにする?いいや、違う。
このスープでそのままうどんを湯掻くのである。
うどんがスープの旨味をたっぷりと吸い、それだけで完成された味となるのだ。
具は切れ端のような豚足が入っていればそれでいいが、好みで紅ショウガ、白胡麻、白菜、またはキャベツなどを入れても美味い。
ん?それはもう豚足ではなく、うどんなのでは? いや、だから言ってるじゃないですか。最初から。本体よりも副産物が美味いって状態は存在するんですよ。
食玩なんて、誰もお菓子を求めてないでしょう? だから、豚足は肉も楽しめるガラなので、食玩より価値が高いと言う事なんですよ。ええ。
なお、うどんを食べ終わった後に、白い御飯をぶち込んで食べるのもアリなんjy━━━━
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。