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現世界グルメ『ソース』
世界最強の調味料とは何か。人類にとって不可欠な「塩」か。
日本人に取っては切っても切れぬ縁のある「醤油」?
それとも人生と腹の肉を豊かにする「砂糖」だろうか。
とんでもない希少価値が付き、金銀と同格に扱われたという「胡椒」?
保存料としても優秀で味を占める役割のある「酢」かも知れない。
それとも、何にでも掛けて、何なら単体でも食べる人がいるとさえ言い伝えられる「マヨネーズ」だろうか。
答えは否だ。最強の調味料とは何か。簡単だ。
「ソース」である。
この「ソース」が最強である所以は説明するまでもないだろう。
ソースの種類は無限にあるのだ。あらゆる食材、あらゆる料理を彩る、無限のバリエーションを持つ調味料。それがソースである。
あなたが「ソース」と聞いて、どんなソースを思い浮かべたかは知らない。だが、それがどんなソースであれ、それはすべてソースなのである。
トマトソース、ウスターソース、オイスターソース、ベシャメルソース、サバイヨンソース、ミートソース、カレーソース、ガーリックソース、バターソース、クリームソース、イカスミソース、はちみつソース、BBQソース、お好みソース、とんかつソース、と挙げればキリがない。
こう言うと、それは卑怯だ、とか、塩に勝る調味料などない、なんて反論をする人もいるが、果たしてそうだろうか。
ソースの語源は「塩」のソルトから来ていると言う。
つまり、塩こそがソースの始まりなのである。それどころか、ペッパーソースやヴィネガーソースなどのバリエーションを考えると、あらゆる他の調味料が内包されていると言えるだろう。
例えば、ドレッシングもヴィネガーソースの一種だと言える。
また、ソースの代表格とも言えるウスターソースだが、本来の製造方法は材料が野菜や果実に変わるだけで「醤油」に近しい。
ソースを正確に定義することは難しいが、液状、ペースト状、場合によっては粉末や固形のものもソースと呼ばれる。つまり、ふりかけの類もソースと呼べるし、パスタなどに使われる野菜や肉の固形ソースを含めて考えると、丼物やおかずの一部さえソースの一種に含まれると言っても過言ではない。
ホワイトシチューもベシャメルソースと呼べるし、カレールゥもスパイスソースの一種と定義できる。マヨネーズもサバイヨンソースの亜種だと言えるだろう。
それほどにソースは無限なのである。料理に合わせて最適な調味料と化す。それがソースという最強の調味料なのだ。
そんなソースを定義するとすれば、一応ながら本来は「単体で食べるものではない」と言った約束事が存在する。
つまり、パンをシチューに浸して食べればソースと言えるし、カレーをご飯にかけて食べるなら、それはソースだと主張する事が出来るだろう。
ここで、パンやご飯を食べるためにソースが存在するのか、ソースを食べるためにパンやご飯が存在するのか。という主従関係が問題になってくる。
だが、冷静になって考えていただきたい。パスタを食べるためにトマトソースが存在するのか。あるいは、トマトソースを食べるためにパスタが存在するのか。そう考えるとナンセンスである。
そもそも、調理の段階で使用するソースもあれば、添え物としてつけて食べるソースもあるのだから、この問い自体が無意味だ。
だが、「単品として食べない」ことに主を置く点は、ほぼあらゆるソースに共通している。
目立つ例外は「マヨネーズ」ぐらいであろうか。
筆者はマヨネーズを好まない立場ではあるが、否定派でもなければ、食べない訳でもない。何なら、味が嫌いな訳でもないし、必要があれば使う。
しかし、世に蔓延るという「マヨラー」は、マヨネーズを吸って単品でも食べると噂される。
そこまで極端ではなくとも、筆者がマヨネーズを避けがちな理由は、すべての料理をその味に染めてしまう事に他ならない。
例えば、日本料理の花形とも言える「刺身」だが、醤油は実に素晴らしい調味料となる。
しかし、この刺身に対し、醤油でドボ漬けにして食べるだろうか。否。
調味料とは、食材や料理を活かすものでなくてはならない。
この点において、マヨネーズはとかく食材のポテンシャルを殺しがちなのである。筆者がマヨネーズに対して否定的なのは、あまりにもマヨネーズの味が強すぎる事にあるのだ。
使用料を控える。あるいは、炒め油として使用する。また、同じ味に飽きた頃に追加する。こう言った使用方法なら歓迎だが、マヨネーズは、ほぼあらゆる料理を侵食する味の強さだ。
ちなみに、この話をすると高確率で「ソースも同じじゃないか」という反論が来る。
上記の意味の「ソース全般」という意味で言うならば、ソース自体が料理そのものなので当て嵌まると言えなくもないが、そう言う意味ではない。こちらは食材を殺すマヨネーズと違い、料理に合わせたソースになるため、食材や料理を活かす方向だ。
食材も料理も殺すソース。それは、お好みソース、とんかつソース、焼きそばソースなどに代表される「ウスターソース」系である。
確かに、ウスターソース系の、日本人が「ソース」という単語から連想するであろう「ソース」は味が強い。下手をするとマヨネーズ以上である。この点は否めない。
これも使い方次第だとは言えるが、このテのソースはむしろ串カツのドボ漬けに近しく、これでもかと言うほど多量に使用するケースが頻繁に見受けられる。
しかし、それでもソースはマヨネーズに勝るという確信があるのだ。
何故ならば、一括りに「ソース」と呼ばれがちだが、もう一度ウスターソース系のラインナップを思い出して欲しい。
お好みソース、とんかつソース、焼きそばソース、たこ焼きソース。
そう。一括りにされがちだが、これらのソースはすべて料理に対応済みなのだ。
サラダ用マヨネーズ、唐揚げ用マヨネーズ、白米用マヨネーズなんて商品が存在するだろうか。否。近年こそ辛子マヨネーズや、わさびマヨネーズなどが普及したものの、各料理に対応したと言うレベルには遠い。
いや、醤油にも刺身醤油、たまり醤油、だし醤油、濃口、薄口と様々な種類があるのに対し、マヨネーズはまだその域に達していないのである。
もっとも「種類はあっても醤油は醤油」と判断されかねないし、やはりウスターソース系も、味は違えど、やはり「ソース味」ではないか。という反論はあるだろう。
だが、筆者に言わせればその点も問題はない。
正直に言うとソースも悪くはないのだが、とんかつはおろしポン酢派だ。
焼きそばも塩焼きそばの方が好みである。
たこ焼きは明石焼きのように出汁漬けを好む。
つまり、筆者が好んでソース味を求めるのは、ほとんど、
お好み焼きだけ。
なのである。つまり、お好み焼きを求める時こそが、ソース味を求める時であり、ソース味を求める時こそが、お好み焼きを求める時なのだ。
筆者はいわゆる「ソース味」を愛してやまないが、同時に、その「ソース味」が輝く瞬間は実に限定的なのである。
手当たり次第、のべつまくなしに料理をソース味へと染めている訳ではないのだ。
という訳でソースについて少し語った訳だが、ソースに関しての話は少々扱いが難しい。
と言うのも、実際にこのテの話をしていると、会話の最中に、
「そうスね」
と返事をしてしまい、非常に微妙な空気が流れるからである。
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なお、この先には更にどうでもいい話しか書かれてません。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。