[読書体験]『タテ社会の人間関係』― 心地良さに、ありがとう、さようなら
ともかくも、春がやって来た。桜の開花宣言が、全国で掛かり始めたのだ。別れと出会いの季節に、うちの職場は浮足立った空気感に満ちている。
“うちはチームで動くから大丈夫、
フォローし合ってやるからね”
不安げな表情の新人さんに語りかける、上長の言葉が耳に残った。
母性の塊のような人だ、と思う。入院患者さんだけでなく、他院の勤務で傷付いてやって来たスタッフも、上長の手元で生気を取り戻してきた。私も例外ではない。
ウチとソト
先の文章で「うち」の職場、と思わず入力してしまったことに気づき、わたしは苦笑を覚えた。内が有るということは、外が有るということである。そして、暗に意図されるのは、壁――縦線の存在だ。
さて、ウチ、ソト、タテ。こんなキーワードで、日本の社会構造を描き出した古典があった。
中根千枝『タテ社会の人間関係』▼
あらすじ
“日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。”
― 講談社BOOK倶楽部 ウェブサイトより
ウチの場の温もりがもたらす、癒やし
『タテ社会の人間関係』は、西洋コンプレックスの根強い学者層において、日本社会の批判に使い回されている。だが、筆者はその美点について、こうも述べている。
“タテ社会にもいいところはあって、たとえば、ちょっと疲れたときは、一休みしやすいとか、嫌なときにも、それほどエネルギーを使って動く必要がない。世界中、どの社会でも良さと弱さがあって、それぞれ問題を抱えながら、なんとかやっているものなのね。”
―『タテ社会の人間関係』著者に聞く・2014年元旦広告掲載
とくに出口の見えないコロナ禍において、“ウチ”の場がもたらす温もりは、貴重だ。ステイホームの掛け声も、いまだ叫ばれている。
だが個人的には、少なくとも精神的には、やっぱり内ごもりたくない。孤高に頂を目指したくなる悪い癖があるから、道を誤りかけたら、引き返そうと思う。独りで出来ることなど、たかが知れている。
扉の先は、緩やかなネットワークの世界
日本社会は、横の連携が薄いと言われて久しい。中根氏は、諸国における現象を観察するに、ネットワークを結ぶ鍵は“資格”だと言う。それは職種などを取り巻く抽象的な概念であって、少なくとも国家資格のような、狭い意味の“免許”ではない。わたしはまだ明確に定義できるほど腹落ちしていないが、意図するところは分かるような気がしてきている。
最近、ゆっくりと温めているプロジェクトが、いくつかある。例えば、日本全国からセラピストが集まる、小さな研究会への参加。大きく括れば、ビジュアルナラティブ(視覚イメージによる語り)に関心のある人達が集まっている。
さて次の研究会、小さな発表をすべく、目論んでいる。遥か遠く先、全体像を思い浮かべながらも、目先の目標から、扉を開いていこうと思う。
ビジュアルナラティブ(視覚イメージによる語り)に関心のある方は、やまだようこ氏のウェブサイトを▼