[随筆] 装いは内面を映す
“ご苦労さん。飴あげるよ”
― 残業中に言われた一コマより
皆さんは、外見で密かに得をした、と思ったことがあるだろうか。もしくは逆に、悔しい思いをしたことは?わたしは、両方とも有る。
童顔の光と影
生まれ持った顔というものは、状況によっては、プラスにもマイナスにも作用するものである。
わたしは、自他共に認める童顔だ。それで、怖く見られにくい雰囲気からか、わりと気軽に声をかけられる。バス待ちで、世間話になる。病院での勤務中、おじいちゃんおばあちゃんに、みかんを差し出されたりする。
一方、舐められやすいとも感じている。高圧的な態度をとられて憤慨したことは、一度や二度ではない。社会の風当たりが強くても生き残るため、わたしは武装することを覚えた。特に、舌戦で負けないための理論武装だ。
外見は、外側の内面
ところで最近、装いについて見直す機会があった。核心をつくような指摘を受けたからだ。
硬い、と。そして、このようにアドバイスされた。
“服装を鎧にして武装するのではなく、
服装を味方にして本体を魅せてください”
気づけばクローゼットの中は、直線的なシルエット、重めの色で溢れていた。金属を思わせるようなグレーと、黒の多いこと。
春からの挑戦
奇しくも、『一皮むけた経験』についての研究をしようかと構想しているところであった。これはマネジメント研究の領域では、Quantum Leap(飛躍的進歩)というキーワードでまとめられ、知見が蓄積しつつある分野だ。
実感のある内容にするために、自分自身、もう一皮むけたいところ。まずは足元からと、柔らかな色の靴を新調した。もう季節は春だ。装いは軽くしていきたい。
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