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『せりふの構造』読書ノート

ある文化人類学の集まりに参加するために『カナルタ 螺旋状の夢』という、ドキュメンタリー映画をアマゾンプライムで見た。
その語り口、物語りに興味がわき、いま演劇論を調べ始めている。
“みる”ことを学びたくて文化人類学のフィールドワークを掘っていたが、いま“語る”ことを学ぶために演劇を調べたいと思ってる。。
演劇の構造をyoutubeで観たので、さらにと書籍を調べたら『せりふの構造』という本を見つけた。
1983年のサントリー文芸賞をとっているらしく、内容と面白さは間違いないだろう、と買った。
ということで、写真にもつながるようにと読書ノートをアップする。
また、どこかで飽きたら中断してしまったら申し訳ない。(^^)

序論 アイロニーの構造

・芝居がかった言葉
劇場の言葉は特殊なもの
・台詞を日常会話と等価である
アリストテレス時代からの偏見

・「すべての登場人物をみな行動し現実に活動している者として再現する」アリストテレス『詩学』
・しかも再現の対象は「行動する人物」なのであるから、「行動」は演劇において対象と手法とを二重に支配している。p25
・「劇的なものが再現されると言うことと、それが劇的な形式において行われる」コンラート
演劇は二重の意味でドラマである。
・「行動の現前化」グイエ
二重のドラマを劇(ドラマ)と演劇(テアトル)として区別している。
・観劇体験は、劇中人物同士の言葉のやりとりに立ち会うことに他ならない。
劇中人物は劇中人物に聞いてもらうために話し、演じる俳優は観客に聞いてもらうために話す。
・しかし、観客は会話を聞いている第三者ではない。観客と劇中人物の間には存在論的なレベルの相違がある。
・演劇とは二層コミュニケーションの装置である。

・このように運命の支配を内世界的な事実として直観するということは、悲劇の独壇場であって、小説のような叙述文芸のなしうることではない。p35
・(小説の場合)作者こそすべてを知る者、読者は無知な者である。

・二重コミュニケーションという構造が、演劇に本質的なもの
2022/08/17

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