System of Culture x 泉津井陽一のトークショーに行く
最初に『創造性はどこからやってくるか?』第三章の読書ノートはさぼります。
というか第二章で提示された“トラウマ構造”などの創造性の構えの具体例が第三章で上げられているのだが、正直、保坂は引っかかるポイントが少なかった。
水曜日の読書会で、新たな発見があれば、まとめるかもしれない。
実は、郡司ペギオ幸夫の「トラウマ構造」とロザリンド・クラウスの『展開された場においての彫刻』が似ているという話しが、読書会においてT先生から指摘があり、そっちの方を強く興味を持っている。
風景 <-> 建築
風景 <-> 非風景
建築 <-> 非建築
から、第五点の 彫刻 を見出すというものだが
ヴォルフガング・ティルマンスが、写真は立体のような旨の発言をしていて、風景 <-> 建築 から 写真 の第五点を見ているのかもしれない。
ちょっときになるところ・・・。
T3 Photo Festival Tokyo『態度が〈写真〉になるならば』リレートーク、System of Culture x 泉津井陽一にいってきた。
このお二人は、僕らがやっていたClubhouseで知り合ったという縁もあり、日頃はあまり参加しない保坂も使命感を以てお邪魔した。
西洋/東洋絵画の技法を写真に落とし込む System of Culture の小松さんの制作プロセスのお話しは、何回か聞いているが、Tumblrや生成AIから拾ってきたアイデアの原型?を見ながら、あたらめて話しを聴くと作品理解の深みが増して面白かった。
泉津井陽一 さんは、元ジブリの撮影監督。セル画を取り込む、演出する仕事をやっていて、現在はすべてデジタルだがレンズや光表現のエフェクトを担当して、泉津井さん自身もアナモルフィックレンズを使った作品を撮っている。
小松さんや泉津井さんが面白いのは、括弧付の〈写真〉では“ノイズ”や“記号”として扱われてしまう、レンズ収差やフレア、ボケ、一点透視図法、静物画セオリーなどを、リアルな“風景/建築/彫刻”的なものとして扱っていることだ。
演出としての使い方は、ある程度のところまでは、言語化し、あるいはアプリの操作として、“再現可能なもの”として伝えられるが、その先の一流から超一流の域には“属人的”要素があって伝えられない。という泉津井さんの言葉が印象的だった。
この“言語化し再現可能なもの”と“属人的な作家性”は大事な対立軸だよなぁと思った。
そんなこんなで、郡司ペギオ幸夫さんと泉津井陽一さんとロザリンド・クラウスの言葉が混じり合った週末でした。
どっとはらい。
2023/10/23 9:32