写真家に対して〈ライカ〉という絵筆は一種の呪いとして存在している。とは、広く同意していただけるだろうか?
ちょうど『僕とライカ:木村伊兵衛傑作選+エッセイ』を読み返してみた。
写真の勉強を始めた頃に読んだきり、こうやって読み返すのは本当に数年ぶりのことだ。
いま読み返してみると、太平洋戦争前後の写真史が頭に入っているので、当時の貴重な証言として読み返すことができた。
以前から、ピクトリアリズム写真からストレート写真への変遷。とくに〈新興写真運動〉、ノイエザッハリヒトカイト/新即主義の日本受容が気になっていた。
木村伊兵衛を読んで、当時の雰囲気がよくわかった気がする。
ここで気がついたのは、あくまでも〈新興写真運動〉を歴史からリサーチしているところだ。
ダストンとギャリソンの『客観性』という、科学的自己の歴史を明らかにした本がある。ダストンとギャリソンによると認識活動を統制する三つの体制、それぞれ17世紀からの〈本性への忠誠〉、19世紀半ばの〈機械的客観性〉、そして20世紀初頭の〈訓練された判断〉という。
ここで木村伊兵衛らは、〈訓練された判断〉という新たな客観性を慎重に検討しているように感じた。
『建設のソ連』発刊が1930年、満州事変が1931年に起こる。
同時期、米スティーグリッツらは〈ストレートフォトグラフィ〉を提唱していたが、それよりも日本からソ連やドイツが情報的に近かったことがよくわかる。
この段落は、wikipedia「新興写真」項目、そのままでおもしろい。
〈新興写真運動〉と〈ライカ〉は切っても切れない深い関係があるのが、よくわかった。
つまり〈ライカ〉の呪いとは、〈新興写真運動〉の呪い、木村伊兵衛の呪いでもあるわけだ。
2024/10/25 15:18