心とは何か?二千字以上
これはコクリコ坂ワークショップ続きだ。
2021/10/02
心はどこへ消えた?は、いま読んでいるところ。
東畑先生は、こころをカウンセリングのなかで扱うべきもの、としてとらえている。
だから、心理士として言わねばならぬ。
これでも、心は存在する。
どこに?
エピソードのなかに。
(心はどこへ消えた?p32、東畑開人)
写真家として、芸術家として、言わねばならぬ。
作品の中に、心が存在する。
オリジナリティと言われる形で。
最近、その人のオリジナリティとは身体に依存すると、保坂は考えている。
聴くということを調べると、同じことを聴いても身体が別なのだから感じたこと、理解したことは、別々のものとした方がいい。とされている(引用元失念失敬、多自然主義やオープンダイアローグの本だった気がする。)
身体が別々なのだから、心も別々の存在。
別々の存在ということが、オリジナリティと保坂は受け止めている。
余談だが、保坂という一人称も最近あえて使うようにしている。
おじさんが自分を名前で呼ぶのは、幼いように見えて、気持ち悪いだろうな、と思う。
日本語は主語がない、一度、提示された主語は文章を超えてずっと続く。
この日本語の特長が、しばしば望まない誤読や誤配を招くので、意識的に保坂と書くようにしている。
これも、身体が違うことがオリジナリティである、と考えているからだ。
だから保坂は、心が消えたと感じたことがない。
こと写真やカメラから見えてくる景色としては、どちらかと言えば、心が増えてきた印象がある。
写真は存在を表すため=表現するメディアだ。
バルトは「それは=かつて=あった」を写真のノエマといった。
ノエマはフッサール現象学の言葉らしいが、よくわからなかった。
放射する力くらいに思っておこう。
写真は写っていることはもちろんのこと、写した人=撮影者の存在を色濃く表す。
Instagramが増え、YouTuberが増え、TikTokが増えた。
これは多様性の時代、心が増えたんだと思う。
心が多いがために、見失われる心も多いように思う。
僕は、エゴや自意識みたいなものに飲み込まれてしまうことが多い、と思ってる。
飲み込まれたときは、人の心が見えにくくなる。
認知のゆがみみたいなものが出てくるように思う。
その自信の無さが、時々生きづらさとして顔をのぞかせる。
心はどこへ消えた?を読もうと思ったのは、自分が人の心を、自分の心を見失いがちだからだ。
保坂がポートレートを苦手とするのは、そのポイントだ。
写真家としてモデルと相対したとき、迷う、落ち着かなくなる、見えなくなる。
ついには、こわくなる。心がこわい、存在がこわい。
自分が何か、トラウマチックな過去の記憶?に飲み込まれている。
そこに何かの父権的・母性的な助けを求めてしまう傾向がある。
保坂の、東京の都市写真、というテーマには、そういう父権的・母性的を求める態度が現れているように思う。
そうか、こわくなりすぎると、自分の存在がなくなる。
心がなくなる。意見がなくなる。何でもよくなる。
この場を切り抜けるために、行動するようになる。
僕にとっての心がなくなるとは、このように意思をなくすことだ。
このこわくなりすぎるきっかけを、東畑さんは 大きすぎる物語り と指さしてるのかもしれない。
2021/10/03
ここで一晩おいた。
“共異体”という言葉がある。
哲学者の小倉紀蔵氏からの「日中韓はひとつになれない(角川oneテーマ21)」からの言葉で、それを石倉敏明氏が文化人類学の言葉として、同一的な共同性が担保された純粋な社会共同体以上のモデル、と定義してる。
共にありながら異和的、互いに物事の見方・考え方の相違性を尊重したグループ、心の問題に引き寄せれば身体が異なるグループ、という意味と保坂は理解してる。
大きすぎる物語りがこわくなると、共同体に避難したくなる。
身体の安全が保証されるならば、共異体のままを模索する。
これも心の問題に引き寄せると、
コロナは風邪という方は、マスクをする/しないという身体性の共異体を模索したかったのだろう。
しかし彼らは感染し滅びてしまった。
マスクをするという身体性の共同体となった。
ある意味、心はどこにいっただろうか?
オリジナリティの問題に引き寄せると
共異体とは、みんな違ってみんないい、ってことなんだと気づく。
同時に共異体でなければ、芸術は滅びて、すべてデザインになってしまうだろう。
いま突然“共異体とは芸術、共同体とはデザイン”という言葉が保坂の身体から、キーボードを通して出てきて驚いた。
これが自分の心を見つけた瞬間だ。
共同体はコミュニティの訳語だが、共異体はコレクティブが合っているかもしれない。
デザイナーコミュニティ、アーティストコレクティブ?(^^)
言葉遊びの動きを見ながら、心とは創発的なもの、と思う。
芽生え、根をはり、葉を茂らせ、絡み合い、つながるもの、に感じる。心がありますか?と視線を向けても、そこには心の種か、心があった痕跡しか残ってないかもしれない。
なかなか見にくい、それも心だと保坂は考える。
いぇい二千字。
どっとはらい。
14:50