オートマティズムをやってみる。
コクリコ坂から「何も考えないで書いてみて」のオーダーがある。
やってみる。
最初は紙に、サインペンでやってみようかと思ったが、前時代的か7と思ってやめた。
あえて誤変換を直すのもやめよう。
考えないようにする、ことをやめるように考える。はじめる。ことをはじまるようになっていく、ので、まずはばっくすぺーすをつかうのをやめる。
そうやって少しずつやることをへらしていくほうほうをとる。
百年以上前のオート前tぃすむの手法はm当時、じゆうをかちとるために、無意識にアクセスするために大事だったことだったかもしれないが、僕たちには、いやぼくにはそれはこどもっぽくみえる。
こども?ポストモダニズムに子どもとして、むだなていこうにみえる。
言葉や文字で考えることしかできないのならば、浮かび上がった言葉をそのまま書く方がいいような気がする。
さいばねてぃっく、ふぃーどばっくをへらすために、ごへんかんやうちまちがいは、そのままにしていおく。
もうひとつ、スピードアップの問題。
人新世のグレートアクセラレーションが問題になっている以上、ジェットコースター的に、走り去ることによって、考えることから逃げる方法は反省されるべきであろう、ってことフレーズはどこから来た。じぶんのことばじゃないみたい。
キットラーのメディア論に、写真かめら、録音蓄音機、そしてタイプライターがあったこと、が。いまこのほうほうのもとになってる。
写真を撮るように、こえをろくおんするように、いまポメラで書いていることは、経験を直接的に記述している記録していることとひょうかされてる。
このくらいのスピードで、きーぼーどをたたいていることもじゅうぶん、オートマティス無になっていると思う。
変換を確かめないようにきーぼ^−だだけみてる。
いいきったかんじがする、にのくがつげない。
これでおわらせる、読者の顔が見える。
きょうはよみにくくてすみません。どっとはらい。
2021/09/29
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