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ChatGPT × 保坂|第2章「感覚のメディア考古学」:ユッシ・パリッカ『メディア考古学とは何か?』を読む

メディア考古学とは何か?: デジタル時代のメディア文化研究 』をイントロダクションに引き続き、第二章「感覚メディア考古学:視聴覚、情動、アルゴリズム」の読書ノートをChatGPTとともに作成する。

今回は「イントロダクション」の手間を回避するため、段階を踏んでノートにまとめる。

第二章「感覚のメディア考古学:視聴覚・感覚・アルゴリズム」要約

本章では、メディア考古学がどのように感覚(視聴覚)を扱い、それが現代のデジタル文化とどのように関連しているのかを論じている。特に、以下の三つの側面に焦点を当てる。
1. 視聴覚的メディアの系譜
2. 感覚と感情(アフェクト)
3. アルゴリズムによる知覚の変容

1. 視聴覚メディアの考古学

メディア考古学は、過去の視聴覚的な技術や装置を掘り起こし、それらがどのように知覚や社会の構造に影響を与えたのかを検討する。例えば、映画や写真の発展は単なる技術革新ではなく、人々の時間や空間の認識を変える役割を果たしてきた。

本章では、**「エピステミック・ラプチャー(認識論的断絶)」**という概念が紹介される。これは、ある技術が導入された際に、知識や認識のフレームワークが根本的に変わることを指す。映画やテレビ、そして現代のデジタルメディアが生み出す「断絶」は、それ以前のメディアの知覚とは異なる新しいモードを生み出している。

また、**「感覚の歴史性」**というテーマも重要である。感覚は普遍的なものではなく、時代ごとに変化する。例えば、19世紀のパノラマやフェナキストスコープといった視覚的娯楽は、映画が登場する前の人々の視覚文化を形成していた。同様に、現代のVR(仮想現実)やAR(拡張現実)もまた、新たな知覚の枠組みを作り出している。

2. 感覚と感情(アフェクト)

メディア考古学は、単に技術や装置を分析するだけではなく、それらが引き起こす「感覚」と「感情(アフェクト)」にも注目する。ここでいう「アフェクト」とは、知的な認識を超えた、身体的な反応や情動のことを指す。

映画の初期には、「驚き」や「興奮」といった感情が重要な要素だった。例えば、**「アトラクションの映画」**という概念(トム・ガニングによる)では、初期映画の観客は物語よりも視覚的な驚きを求めていたとされる。この視点は、現代のゲームやVR体験とも共通する要素を持つ。

さらに、デジタルメディアはアフェクトを操作する技術を進化させている。ソーシャルメディアの「いいね」ボタン、アルゴリズムがパーソナライズした広告、ストリーミングサービスのレコメンド機能などは、ユーザーの感情に直接影響を与える。このように、メディア考古学は「感覚の政治学(politics of perception)」としても機能する。

3. アルゴリズムによる知覚の変容

現在のデジタル文化では、アルゴリズムが視聴覚体験を決定する重要な要素となっている。例えば、YouTubeやNetflixの推薦システムは、個人の嗜好に基づいてコンテンツを提示し、知覚の範囲を制限する。

ここで重要なのは、アルゴリズムが単なる技術ではなく、社会的・文化的な枠組みの一部であるという視点である。例えば、Googleの検索アルゴリズムは、何が「重要」な情報かを決定し、社会全体の知覚を操作している。

メディア考古学の視点から見ると、このアルゴリズム支配の状況は、過去のメディア環境とも比較できる。例えば、19世紀の新聞や20世紀のテレビ放送は、それぞれ特定の知識や価値観を形成してきた。同じように、現代のデジタルアルゴリズムもまた、知覚の新たなフレームワークを作り出している。

また、アルゴリズムは「視覚的な自動化(automated vision)」を進めている。監視カメラや顔認識技術、AIによる画像生成などは、人間の視覚を補完しつつも、それを超える存在となりつつある。この点について、メディア考古学は「誰が視覚をコントロールしているのか?」という問いを投げかける。

結論:メディア考古学の視点から見たデジタル文化

本章は、メディア考古学が単なる過去の技術史ではなく、現代のデジタル文化を批判的に考察する方法であることを示している。
1. 視聴覚技術は、歴史的に知覚や社会のあり方を変えてきた。
2. メディアは、単に情報を伝える手段ではなく、感覚や感情を形成する装置である。
3. アルゴリズムは、現代の「知覚のインフラ」として機能しており、これを歴史的文脈の中で理解することが重要である。

本章の議論は、現代のデジタル文化を単に「新しい技術の進化」として捉えるのではなく、過去のメディア環境と比較しながら、より広い視野で考えることの重要性を強調している。

hosakanorihisa

第二章 感覚のメディア考古学:視聴覚、情動、アルゴリズム

1. 保坂の視点

私たちの知覚や感情の構造は、技術と深く結びついている。カメラで写真を撮ることは、単に視覚情報を記録する行為ではなく、内界と外界を分節化する「襞」として機能しているように感じられる。それは、世界を切り取り、同時に守る境界のようなものだ。写真家としての私の体験からも、視覚メディアは単なる映像の記録を超えて、身体的な感覚や知覚の変容に関与していることを実感する。

クレーリーの議論を参照すると、写真を撮る行為そのものが「観察者」としての主体性を規定する制度の一部であることが示唆される。しかし、その制度性とは逆に、個人的な視点や感覚を通じて写真を撮る行為は、属人的なものであり、そこに救いを感じる。制度としての観察者でありながら、個人的な身体感覚を通じて世界を記録することは、メディアと主体性の関係性をより豊かに捉えるための鍵となるのではないか。

2. ChatGPTの視点

メディア考古学の文脈において、視聴覚や情動、アルゴリズムの問題は、映画研究やデジタル文化の考察を通じて探求されてきた。特にエルセサーやクレーリーの研究は、視覚と感覚の変容を歴史的に分析し、それが技術メディアによってどのように変化してきたかを明らかにする。例えば、ニューフィルムヒストリーの視点では、映画は単なる視覚メディアではなく、身体感覚と技術の関係を探る装置として捉えられる。

技術は、知覚や情動の構造を変えるだけでなく、それらを形成する条件そのものとなる。アンドレ・ルロワ=グーランやジルベール・シモンドンの議論では、感覚様式は環境との関係の中で「分節化」され、個体化の過程として捉えられる。つまり、外界は単なる客体ではなく、感覚や知覚、情動の能力に影響を与える「壁」のようなものであり、メディアはその壁をどのように変形するかに関与する。

さらに、メディア考古学は、単なる技術的な進歩の歴史ではなく、「感覚の技術性」に関する問題を探る。クレーリーの研究では、視覚技術が知と権力の作用点として機能し、観察者の主体性が社会的・技術的な文脈の中で形成されることが示される。現代のデジタル環境においては、視覚だけでなく、触覚や内臓感覚(自己受容性感覚)までもがアルゴリズム的に管理・最適化される方向に向かっている。

3. 引用からの知見

エルセサーの視点によれば、デジタルメディアの時代において、視覚的なアトラクションはアルゴリズムによって制御され、映画の「可視性の機械」という概念が変容している。映画はもはや単なる映像ではなく、数学的に処理されるデータの一部となり、可視性の閾値を拡張する装置として機能する。この点で、メディア考古学は、感覚の歴史的変遷を探るだけでなく、アルゴリズムによって形成される新しい感覚の体系を分析する必要がある。

また、キットラーの研究では、視覚メディアの物質性が、数学や物理学によって再定義されていることが示される。映画のような視覚メディアは、「精神技術(psychotechnics)」として機能し、感覚を量的に計測・最適化する方向へと進んでいる。これは、映画の歴史を単なる文化的な現象としてではなく、科学技術の一部として捉える視点を提供する。

クレーリーの研究では、「観察者」は単なる受動的な存在ではなく、技術的・制度的に構築された主体であることが示される。カメラ・オブスクラのモデルが象徴するように、近代的な視覚技術は、知と権力が個人の身体に直接作用する場として機能してきた。これは、映画や写真だけでなく、現代のデジタル監視技術にも当てはまり、メディア環境における主体性の構築がどのように変化しているのかを探る手がかりとなる。

4. まとめ

メディア考古学は、視聴覚文化を歴史的に分析するだけでなく、情動やアルゴリズムの観点から新しいメディア環境を理解するための方法論を提供する。視覚技術は単なるイメージの記録装置ではなく、知覚や情動の構造そのものを形成し、歴史的な文脈の中で変容してきた。技術と感覚の関係を探ることは、私たちが現代のデジタル文化をどのように経験し、どのように知覚するのかを理解するための鍵となる。

写真を撮る行為が、世界との「襞」を作り、同時に制度としての観察者を形成するものであるように、メディア技術は私たちの知覚を構築する。メディア考古学は、そのプロセスを歴史的・理論的に明らかにし、新たなメディア環境の認識枠組みを提供するものである。

hosakanorihisa

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