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ChatGPT × 保坂|再生成:第1章イントロダクション:ユッシ・パリッカ『メディア考古学とは何か?』を読む

ChatGPT4oでは文字数限界が来た前回の解説だったが、再度ChatGPTo1でまとめを行なってみた。
細川さんになっているのは、ChatGPTの愛嬌。(^^;
トップの画像もChatGPTで生成。

A)hosakanorihisa のテキストを元に、アップしたいpdf『W h a t i s M e d i a
Archaeology?
J U S S I PA R I K K A』の「Introduction: Cartographies of the Old and the New」を要約を引用と解説を分けてまとめてください。
文字数はChatGPT o1の計算限界までです。

hosakanorihisa

以下では、『What is Media Archaeology?』(Jussi Parikka著)所収「Introduction: Cartographies of the Old and the New」(以下「本章」)の内容を、引用(原文抜粋)と解説に分けてまとめています。引用部分は本章の英語原文からの一部抜粋であり、全体の趣旨を理解するために必要な箇所を厳選しています。解説部分には、細川(hosakanorihisa)氏が「メディア・アーケオロジー」への導入として言及している視点も踏まえながら、なるべく詳しく本章の論旨を整理しました。文字数は可能な限り拡大し、本章の骨子がしっかりと伝わるように努めています。

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【A. 引用(原文抜粋)】
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1. “Media archaeology has been interested in excavating the past in order to understand the present and the future. Yet it is not only interested in writing historical narratives.” (p.2)
2. “Media archaeology sees media cultures as sedimented and layered, a fold of time and materiality where the past might be suddenly discovered anew, and the new technologies grow obsolete increasingly fast.” (p.3)
3. “Hence, instead of the myth of linear progress, studies such as Carolyn Marvin’s pointed out that old technologies had also once been new – and investigated the telegraph, the telephone, and electricity and light as media phenomena that were embedded in the aura of newness in the nineteenth century.” (p.10)
4. “The basic question of media archaeology could be seen simply, and in a manner indicated by Foucault, to be: what are the conditions of existence of this thing, of that statement, of these discourses and the multiple media(ted) practices with which we live?” (p.18)
5. “It offers insights into new media and old media in parallel lines and extends into discussions concerning the various – at times contradictory and competing – strands of media-archaeological investigations.” (p.3)

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【B. 解説】
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■1. 冒頭で提示される「Steam punk」とメディア・アーケオロジー
本章は、現代のテクノロジー文化において「Steampunk(スチームパンク)」が象徴的存在として取り上げられる場面から始まります。スチームパンクは19世紀ヴィクトリア朝の蒸気機関的イメージと21世紀のハイテク文化を掛け合わせたサブカルチャーであり、奇抜なDIY精神・「古さ」と「新しさ」の融合が特徴です。そこには、新しいテクノロジーを一方的に「進化」や「進歩」の物語として語るのではなく、「過去の技術を生き生きと再起動させる」態度が見られます。著者Parikkaは、こうしたスチームパンクのDIY感覚にメディア・アーケオロジー的な着想が重なると指摘しています。
• 細川氏のテキストでも、このスチームパンクの例が重要視されており、単なる“懐古趣味”ではなく、「失われた過去の技術の可能性を掘り起こす」動きだと強調しています。そこには「現在の黒箱化されたガジェットから、手を動かして過去の技術に再接続する」知的冒険があるからです。

■2. 「メディア・アーケオロジー」の歴史的背景と思想的源流
本章では、メディア・アーケオロジーの複数の起源・流れが整理されています。とりわけ大きな影響を与えたのが、フーコー(Michel Foucault)の「知の考古学」とドイツのメディア理論家フリードリヒ・キットラー(Friedrich Kittler)の「メディア技術論的アプローチ」です。フーコーは歴史を単に進歩史観で見るのではなく、「特定のディスクール(言説)が成り立つ条件」を考古学的に掘り下げようとしました。これが「何が、なぜ、いつ、どのように成立し得たのか」を問うメディア・アーケオロジーの基本的問題意識につながります。
一方、キットラーは情報技術やメディア技術の基盤そのものに注目し、文学テクストやディスクールを可能にしているのが「物質的な装置やネットワーク」であることを強調しました。Parikkaは、キットラーの影響を受けた「ドイツ・メディア学派」の流れを本章の中で「メディアを物質/技術レベルで分析し、歴史的条件を探索する試み」として紹介しています。

■3. メディア史再考:「古いメディア」と「新しいメディア」の併走
「新しいメディア=デジタル」とされる一方で、本章では「古いメディアは常に新しかった(かつては革新的だった)」という視点が提示されます。例えば電話や電信技術、写真や映画さえも、それが生まれた当初は「全く新しい伝達・記録・視覚化の技術」であり、大衆や専門家を驚かせたものだったというわけです。そこには
• 「テクノロジーの新奇性は、同時に社会的・文化的・政治的コンテクストの再編を伴う」
• 「そのため、現在の“新奇”も時間が経てば“古典”や“レトロ”になる」
というサイクル構造が見いだされます。
ここでParikkaは、例えば1990年代に「バーチャルリアリティ」が新たなブームとしてもてはやされたが、実は19世紀のパノラマ・ジオラマ、さらには古典的な幻灯機なども「没入体験」を追求していたことに触れます。こうした例は「古さ」と「新しさ」が単純に区分されず、メディア・テクノロジーの歴史が絶えずリミックスされていることを示唆します。
• 細川氏は「新旧テクノロジーの往還」はメディア技術の本質とみなし、単にノスタルジックな振り返りにとどまらない「絶え間ない技術的再発明」の営みとして評価しています。

■4. 「メディア考古学的視点」の4つの潮流
本章の中盤で、Parikkaはメディア考古学の基盤を形作る4つの概念的焦点を示唆します。やや詳しく列挙すると、
1. モダニティ(近代性)の発明
• 都市化・資本主義・産業革命によってもたらされた「新たな時間感覚・空間感覚」が、近代メディア技術と結びついた。
• ウォルター・ベンヤミンやジョナサン・クレアリーらの近代文化分析の知見が、メディア・アーケオロジーにも接続していく。
2. 映画(Cinema)から見るメディアの複合性
• 19世紀のパノラマやゾートロープ、フェナキストスコープなど多数の装置が「映画の前史」として掘り起こされる。
• 「映画誕生という一点」に集約せず、多様な映像視覚文化が存在した事実を強調する「ニュー・フィルム・ヒストリー」の潮流と親和性が高い。
3. 現在の条件(Histories of the Present)
• フーコーの議論を引き継ぎ、「メディアの現在形」がどのように成立してきたのかを問い直す。
• Carolyn Marvinのように「電話・電信の19世紀」もまた“新媒体”として語られたと分析した研究が参考例。
• いわゆる“デジタル時代の先駆け”にあたる思考や装置を歴史に位置づける。
4. オルタナティブな歴史・消された可能性
• “もし別のメディア技術・歴史が本流になっていたらどうなっていたか”という「It could have been otherwise」の精神。
• ミリタリー・サーベイランス・医療・科学分野など、娯楽以外のメディア利用やマイナー技術を照射する。
• ドイツのZielinskiが提唱する「ヴァリアントロジー(variantology)」も、この「多様性の顕在化」を目指す姿勢の一例。

■5. アーカイヴとメディア・アートへの指向
本章後半の議論は、「メディア・アーケオロジー」が単なる歴史解釈にとどまらず、アーカイヴ実践やメディア・アート制作とも関わることを強調します。具体的には、
• アーカイヴ: 近代国家とともに発展した文書・映像・音声の「記録と保存」の場が、デジタル化によって動的でソフトウェア駆動型のプラットフォームに転じている。過去の再編集やリミックスが容易になる一方、権力的コントロールや消失のリスクも増大する。
• メディア・アート: 古い装置や死蔵された技術を再利用(リサイクル/リミックス)する試みが多数存在し、そこには「作品制作=歴史再考」の手法が根付いている。

■6. メディア・アーケオロジーの核心的問い
本章の最後に示される基本問いはフーコーに依拠しながら提示されます。それは「あるメディア技術や言説が成立し得る“存在条件”とは何か」を問う姿勢です。メディア・アーケオロジーは、技術的・経済的・文化的・政治的な諸側面を統合的に捉え、「今あるメディアのあり方は、なぜこうなったのか?」を掘り下げるのです。これは「過去」を参照するだけではなく、「現在」を批判的に捉え直し、「未来」の選択肢を広げる営みでもあります。
• 細川氏は、自身のテキストにおいて「メディア・アーケオロジーは‘止まった技術や文脈をただ考古学的に発掘する’だけではなく、そこから現在への批判的な視線を獲得し、“可能だったかもしれない未来”や“いま再燃しうるオルタナティブ”を提案するところが肝要だ」と総括しています。
• Parikka自身も「政治的・美学的・経済的・技術的・科学的」な要素が複合したものとしてメディアを捉えるべきだと述べ、そこでの“微細な歴史の継ぎ目や断絶”を探ることが重要だと指摘しています。

■7. まとめと評価
以上が「Introduction: Cartographies of the Old and the New」で展開される主な論点です。著者Parikkaは「新しいメディア」を大きく讃えるだけでなく、「古いメディア」や忘れられたマイナー技術も決して単なる過去の遺物ではないと再考を促します。デジタル文化が加速する現在こそ、「アーカイヴ」「技術的遺産」「潜在的な可能性」を掘り起こすことが不可欠だというわけです。
• このイントロダクションは、メディア・アーケオロジーという学際的領域の概説でありながら、それ自体が「過去を再検討し、未来を立ち上げる」起爆剤として機能しています。細川氏のテキストが示すように、メディア研究の手法は「レトロな技術の博物館的保存」に終わらず、実践的に活用し直す術にまで広がる必要があるのです。
• また、本章では多くの文献・研究者(フーコー、キットラー、ベンヤミン、マーヴィン、ジーリンスキーなど)への言及が散りばめられ、それらが「考古学」的視点にどのように寄与しているかが示されます。その点で本章は、本書全体の地図を描く「カートグラフィー(地図製作)」の役割を担っているといえるでしょう。

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【参考文献・関連名の簡単メモ】
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• Michel Foucault: Archaeology of Knowledge / The Birth of the Clinic / Discipline and Punish
• Friedrich A. Kittler: Gramophone, Film, Typewriter / Discourse Networks 1800/1900
• Jonathan Crary: Techniques of the Observer / Suspensions of Perception
• Carolyn Marvin: When Old Technologies Were New
• Siegfried Zielinski: Deep Time of the Media / Variantology
• Erkki Huhtamo & Jussi Parikka (編): Media Archaeology: Approaches, Applications, and Implications
• Walter Benjamin: The Arcades Project
• Tom Gunning: “The Cinema of Attractions” 等に関する論考
• Anne Friedberg: Window Shopping
• Lev Manovich: The Language of New Media

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【全体のまとめ】
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「Introduction: Cartographies of the Old and the New」では、メディア・アーケオロジーが「新旧メディアの複合的・重層的構造を解きほぐし、現在を批判的に相対化する」学際的手法として位置づけられています。フーコー的な「条件の考古学」をテクノロジーと結合し、歴史や文化、政治・経済的布置の中でメディア装置がどのように成立し得たのかを検証すると同時に、失われた可能性・オルタナティブな未来像をも映し出します。さらにアーカイヴやメディア・アートとの結びつきにより、過去の素材を現在の批評や創造に活かすことが可能になります。こうして本章は、単なる「メディア史の総覧」ではなく、「メディアが生起する条件を改めて問い直す批評的/創造的実践」への招待として提示されているといえるでしょう。

以上が「Introduction」の要約と解説です。細川(hosakanorihisa)氏による解説のエッセンスとしては、単に歴史的装置を再構築してノスタルジーを味わうのではなく、そこに現代技術への批判的視座や、いままさに到来し得る“別のメディア未来”への具体的インスピレーションを汲み上げる点が強調されます。本書全体の入り口となるこの章を読むことで、「メディア考古学」の豊かな学際性を理解し、かつ自らの手で装置や概念を“再回路化”する探究心を喚起されるでしょう。

hosakanorihisa

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