【緊急寄稿】安倍元首相襲撃事件からの気づき―凶弾が民主主義に突き付けたものとは
安倍晋三元首相が銃撃されたニュースは、大きな衝撃でした。全く予想していなかった出来事であり、その唐突さと、「まさか日本で、こんなことが起きるとは」という驚きがあって、これが一体何であるのか、頭の整理が追い付かなかったのです。
まず、政治テロを考えました。初報のニュースでは、犯行の動機について、「元首相の政治理念に反対したわけではない」と報じられていました。では、これはテロなのか、目立つことを狙った劇場型の殺人なのか。犯人は、「安倍元首相を殺害しようとした」と言っていました。そうすると、無差別殺人ではない。
動機が何であれ、無防備な人間をいきなり殺害する犯行の手口は残忍・卑劣であって、許し難いものです。安倍さんにとっては、予期しない不条理な死であり、心から同情します。それは、被害者が元首相であっても名もない一般人であっても同じことです。
一方、政治家が街頭に立つ選挙期間中ということもあって、メディアの視点は、「暴力による民主主義の破壊を許さない」という一点に絞られていました。犯人の動機に関わらず、模倣犯を生み出す危険もあったのですから、選挙運動が委縮する可能性があったことは事実でしょう。この事件の後も、候補者や政治家たちは街頭に立ちました。政治家は、政治信条のために命を懸けるものです。その意味で、安倍さんは政治家の鑑であり殉教者でした。その死を無駄にしないためには、残された政治家が進んで街頭に立つことが何よりも必要でした。
安倍さんの無念を晴らし、不条理な死を無駄にしないためには、政治家が政治家として各々の信念を貫き、安倍さんの政策への批判も含めて、活発に議論することが何より大切なことだと思います。それが民主主義の原点です。安倍さんの殉教者としての側面を強調することによって議論が委縮するようでは、政治的ディベートを得意とする安倍さんのご遺志にも反することになると思います。
7月13日付朝日新聞で紹介された防衛大学校の宮坂直史さんの論稿は、私の疑問に答えてくれるものでした。宮坂さんは、「テロリストは、公衆の面前で犯行を行い、恐怖を植え付ける。恐怖にとらわれた国家や社会はしばしば過剰反応を起こし、監視や自粛などの規制を続けて疲弊し自滅していく。自由と民主主義を壊すのはテロリストではなく、テロを受けた側の人々だ。」と言っておられます。
中学生のとき、社会科の教師が言っていた言葉がよみがえってきました。「君の意見には反対だが、君が意見を主張する権利は命がけで守る・・・これが民主主義だ」と。安倍さんはその権利を奪われましたが、残った政治家は、反対者の意見も含めて、「主張する権利」を守ることに全身全霊を捧げてほしいと思います。
ところで、他にも気がかりなことがありました。犯人が思い込んだ「安倍さんと宗教団体との繋がり」は、さほどのものではないと思いますし、もとより殺人を正当化する理由にはなりません。犯人は厳しく罰せられるべきですが、「人生を破壊した宗教団体への恨み」は、誰でも陥る可能性がある深刻な社会問題として、解明される必要があると思います。著名な政治家には、いろいろな団体との付き合いが生まれるはずですが、政治家自身があらぬ誤解を招かないよう、節度ある対応が求められます。
もう一点言えば、犯人が海上自衛隊にいたことが大きく報じられ、銃器の取扱いになれていたかのような印象を与える報道がありました。海上自衛隊の任期制隊員(兵卒)であれば、銃器の取扱いについて受ける教育は基礎的ものにすぎないはずです。げんに、犯人が自作した凶器は、ネットで知識を得て作られていました。元自衛隊員であるかないかは、事件の本質と全く関係のないことです。
こうした報道への違和感を質していくこと、そして、本筋である政治的議論を委縮させないことが、民主主義を強靭にし、テロへの究極の抑止力になるのではないでしょうか。
なお、政府は、安倍元首相の国葬を決定しました。国葬となれば、国が「喪主」となるのでしょうが、統治機構上の国は、立法・司法・行政の三権で構成されます。また、主権在民の国にあっては、国のオーナーは国民です。どこをどう解釈して国葬という発想が出てきたのか、わかりません。
安倍さんの政策への賛否の問題ではなく、こういう問題にきちんと論理的な答えを出せないところに、この国の民主主義の危機があるのだと思います。
【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。
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