【緊急寄稿】ロシア・ウクライナ侵攻からの気づき(5)―見えてきた戦争の出口・見えない戦争の意味(柳澤協二氏)
■戦争は理性の喪失に始まり、理性で終わる
私はこれまで、首都キエフの防衛やマリウポリなど包囲された東部諸都市の防衛について、悲観的でした。しかし、ウクライナの抵抗は頑強で、首都周辺や東部の都市近郊でも反転攻勢に出てロシア軍を押し返す状況が見られます。計算可能な兵力数だけでは語れない”士気”という要素が戦闘を左右する大きな要因であることがわかりました。
ロシア側も、キエフの攻略を当面断念して、東部戦線に集中する方針に変わっているようです。そうだとすると、それは戦争で達成すべき目標の切り下げですから、大量破壊兵器が使われる危険性は低下していると思います。一方、”戦果”をあげなければならない東部では、凄惨な包囲・殲滅戦が続くことになるでしょう。犠牲は、まだまだ止まりません。
そんなかなで、トルコの仲介による停戦協議が行われ、双方が一定の進展があったことを認めました。ウクライナは、中立化の条件として、国連安保理常任理事国とNATOの数か国に加えて、イスラエル、トルコといった国々を含む多国間条約を求めました。また、武装解除には応じないものの、核兵器を持たず、外国軍を駐留させないことを提案しています。
これは、ウクライナの独立と安全を保障するために、”集団的自衛権に基づく軍事同盟”ではなく、また、米国など特定の大国に頼るのではなく、多国間の政治的合意に基づく”集団安全保障”の枠組みであり、極めてまっとうな提案だと思います。そこには、勝者としてロシアを追求する姿勢もない。
2014年にロシアが併合したクリミアについては、地位確定のための15年間の交渉を提案しました。これは、ウクライナにとっては、自国の領土を奪われた不快な現実を我慢するという譲歩ですが、15年という期限には、”その頃にはプーチンがいない”という計算があるように思います。プーチンがいなければ理性的な解決がある。私も同感です。一方、ロシア軍の主力が展開する東部2州の扱いについては、全く触れられていません。
ロシア側はこの提案を評価し、帰国してプーチンに報告し、2週間以内に協議を再開することを約束しました。ロシアの官僚たちも、このまま戦争を続けたくはないと思っているように見えます。問題は、プーチンがこれを飲むかどうかです。私は、彼に理性が残っていれば、大筋で飲む可能性はあると思っています。”ウクライナの軍事的脅威を取り除いた”という”成果”を宣伝することもできる。
ただ、仮にプーチンが受け入れたとすれば、私は、かえって新たな怒りを禁じ得ません。こんなまっとうな結論に至るために、なぜ戦争をするのか。戦争は、理性の喪失に始まり理性で終わるのです。その間に失われた大勢の人々の命や生活破壊に、だれが責任を負うのか。
また、仮に大筋で合意しても、”保証人”となる国の範囲や権限、ロシアの脅威となる兵器の種類、ロシア軍はどこまで後退するかなど、詰めるべき点は山ほどあって、簡単ではありません。停戦は、どちらかが戦争を継続できなくなるほど疲弊しなければ、成立しないものです。今後のロシアの出方は、ロシアに戦い続ける国力が残っているかどうかにかかっていると思います。
■平和の代償
東部2州について話し合われていないことは、何を意味するのでしょうか。
“東部2州のロシア人に対する迫害からの解放”は、プーチンが戦争を正当化する論理の1丁目1番地でした。ここでの敗北を、彼は受け入れないでしょう。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、首脳同士の話し合いを求めています。ここでゼレンスキーは、ウクライナ軍と住民の安全な避難を条件に東部2州を見棄て、ロシアに”割譲”するかもしれません。
それを平和の代償としてウクライナ国民が受け入れるのであれば、私は、批判することはできないと思います。力が支配する世界で、強いものが利益を得る現実のもとでは、平和には代償が伴うのです。
仮にこうした和平がウクライナ側の提案通りに成立した場合、今回の武力侵攻を契機とする制裁は解除するのが筋でしょう。そして、戦争によって失われた人命や都市の破壊に対して、他の国が支援して復興することになるでしょうが、戦争した張本人が責任を問われないのは、やはりおかしい。領土を事実上割譲させる行為についても、そのまま認めるわけにはいかないと思います。さりとて、まとまる話であれば、壊すわけにもいきません。
政府の行為としての制裁が、事態の収拾を妨害してはいけないと思います。どの程度の金融資産の凍結を解除するかといった駆け引きが始まるでしょう。一方、米国や西欧のロシア敵視は強まっています。固有の戦争リスクを抱えたロシアへの海外からの投資は、中国を除いて、なくなると思います。ロシア産の天然ガスを使わないという欧州の方針も変わらない。その意味で、戦争前には戻ろうと思っても戻らない現実もある。ロシアは、無傷ではいられません。
市民の側も、「戦争が終わってよかったね」で思考停止するのではなく、戦争を許さない国際的な市民レベルの連帯を、ロシア市民も交えて確立する契機にしてほしいものです。
■日本人への問いかけ
ウクライナは、多くの犠牲を払ってロシアの侵攻に持ちこたえています。国を守るとは、こういうことです。日本では、「国民の生命・財産を守る」という言い方で国防を論じていますが、この言葉は、あまりにも軽い。国防とは、「国民の生命・財産を犠牲にして」国の独立を守ることなのです。国民は、国防の”お客さん”ではなく、当事者なのです。
以前、私が代表を務める国際地政学研究所の勉強会で、「自衛隊は国を守るために給料をもらっているのだから、戦うのは当たり前でしょ」という若者がいました。では、「給料いらないから自衛隊をやめると言ったら、君がやるのか?」と聞いたら、「僕はやりません」と答えたのです。自衛隊が戦うのは給料のためではない。守るべき国があるから、命がけで戦うのです。それは国民にとっても同じで、守るべき国があるから、自衛隊に戦いを依頼するのです。自衛隊だけで戦えなければ自分で戦うことになるはずです。武器をとるだけではなく、いろいろな形で支援できますし、敵に向かっては丸腰で戦車を止める。ウクライナがしていることは、そういうことです。
だから国民は、何を、どう守るのかを自分のこととして考えるのです。ウクライナと違うのは、海に囲まれた日本の場合、戦車部隊が押し寄せるような戦争ではなく、ミサイルが飛んでくる戦争になることです。当然、犠牲は出ます。国民に必要なことは、それに耐えることです。ミサイルでショッピング・モールが崩壊した映像を我々もテレビで観ました。あれに耐えて、戦争を受けて立つことを考えなければなりません。
そうまでして国を守るのは一体なぜだろうか。”敵の攻撃が不当だ”と言うのは、誰でもわかる。問題は、そういう戦争がなぜ起きたのか、その前にやるべきことはなかったのか、そして、今の日本が、そうしてでも守りたい国であるのかどうか、ということです。主権者である国民が自分の頭で考えて納得したとき、民主主義の強さが発揮されます。だから、情報を隠す政治であってはいけないのです。政治家が「国民を守ります」ではなく、「命がけで守ってください」と言える国であることが、重要なのだと思います。ゼレンスキーは、国民にそう呼び掛けているのです。
■ウクライナが目指す専守防衛
ウクライナの停戦提案は、自らを非同盟・非核の国とし、大国のパワーゲームに二度と翻弄されたくない思いが込められています。相手に脅威を与えないことで戦争の動機を与えない”専守防衛”の思想に基づく武装・中立の発想です。
日本では、一部の政治家から、米国の核のボタンを日本が共有する”核共有”や、”敵基地攻撃”を可能とする提案が出されています。しかし、少なくともそれは、ウクライナの生き方とは違っています。
私は、”あなたたちは守られていればいい”と言わんばかりの国民不在の議論は、おかしいと思います。”大国の軍事力に守られる国”を目指すのか、”自らの意志で戦争を起こさず、攻められたなら自らの意志で守る国”を目指すのか、ウクライナからの日本への大きな問いかけは、そこにあると思います。
【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。
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