Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(11)南アジア紀行(③リシケシュ編)
[画像]リシケシュのランドマークである吊り橋・ラクシュマンジュラ橋。街はハリドワールよりもヒマラヤ山脈に近く、起伏のある地形だ。
(2015.03.04 道しるべスタッフ撮影)
映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。「南アジア紀行」ではベンガル地方を揺籃(ようらん)する南アジアの各スポットに、道しるべスタッフ、サポーターから寄せられた現地の画像とともに迫ってまいります。
前回の(10)ハリドワールよりさらにヒマラヤ近くのガンジス川上流の聖地、リシケシュが舞台です。静かな山間の街並みとかつてビートルズが現地を訪れた際のエピソードを通じ、カウンターカルチャーの聖地でもあったインドの側面にスポットライトを当てていきます。
ヒマラヤの山すその静かな聖地
リシケシュは山間に位置する、都会の喧騒を離れた街です。細長い道をオートリクシャーでたどると川沿いに街並みが広がってきます。高台に位置していて、デリーが30度ある頃も涼やかな気候です。同じ聖地でも数多くの修行者が川をめがけて押し寄せるハリドワールよりも、物静かで穏やかな街です。
[画像]リシケシュののどかな街並み。
(2015.3.4道しるべスタッフ撮影)
街は川の両岸に広がっており、川と川の間には街のランドマークとなっている吊り橋・ラクシュマンジュラ橋がかかっています。現地では穏やかな表情のガンジス川を一望できるスポットの一つです。
[画像]ガンジス川の川原にあるカフェから一望するラクシュマンジュラ橋。(2015.3.4道しるべスタッフ撮影)
山間の傾斜地に切り開かれた街は、傾斜を縫うように細長い路地が延びていて、時にはトンネル状の路地も進みながら街を巡ります。
路地の土産物店では、礼拝時の道具や神様にちなんだグッズが販売されています。路地を歩いていると、ヨーガの導師が道場の看板を掲げているのが目に入ります。大きなバックパックを背負った欧米系の出で立ちの外国人もよく見かけるので、ここが世界的にも有名なヨーガの聖地なのを教えてくれます。
[画像]ヨーガの道場入口と、その近くにあるインド国民の重要な叙事詩『ラーマーヤナ』にちなんだワンシーンを再現した像。神猿ハヌマーンはラーマへの忠誠を誓うため、胸の中にあるラーマと妻シーター妃の像を見せる。(ちょっとグロいですね……)(2015.3.4道しるべスタッフ撮影)
ガンジス川はリシケシュではハリドワールよりも水源に近く、少々冷たいですがより澄んだ印象です。インドの水に抵抗のある方も、ここなら比較的安心して沐浴できます。
[画像]リシケシュのガートの様子。ハリドワールよりものどかな川辺だ。(2015.3.4道しるべスタッフ撮影)
このヨーガの聖地を世界的に有名にした立役者が、かつて世界を席巻したロックスター・ビートルズでした。彼らがリシケシュを訪ねた目的は、「超越瞑想」という驚くべき瞑想方法を説いたマハリシの講義を受けることでした―。
ビートルズとマハリシの出会い
かつて、超越瞑想という方法で名を馳せた偉大なヨーガの導師がいました。
TM(Transcendental Meditation)、超越瞑想というものが日本にも伝わっています。インドのマハリシさんという方がアメリカにマハリシ国際大学というものをつくり、心を静かにして、いちばん意識の奥底の状態に自分を持っていく瞑想をやって、ストレスなどを解消するという方法を提唱しています。
[出典]稲盛和夫『成功の要諦』致知出版社 2014年 P.48 ※下線は道しるべスタッフによる)
一代で京セラを大企業に押し上げた稲盛和夫が、強く清らかな思いが社会を変えうる一例として挙げたのがこのマハリシの超越瞑想でした。
彼は心理学者ユングが「無意識」という言葉で表現したものが魂であると説明し、マハリシらは魂のレベルに自らの意識を到達させることができるとし、その驚くべき効果を紹介します。
マハリシは超越瞑想ができる人たちを何十人、何百人と集め、街で一斉に超越瞑想をすることで、街をきれいにしようとする。いわゆる絶対真我の状態に達したときに、「いい街に、いい社会にしよう」という思いを抱かせる実験をしたのです。一日一時間ずつ数十人の方に、そのようなことをアメリカの街でやらせる。面白いことに、それを何か月か続けていると、その街の青少年犯罪がどんどん減少していく。街のある一か所でそのようなことをやると、少年犯罪の発生率が低下するという結果が出ています。
[出典]稲盛和夫『成功の要諦』致知出版社 2014年 P.48 ※太字は道しるべスタッフによる)
リシケシュにはヨーガを修めるアーシュラム(庵)がいくつもありますが、その中に当時ビートルズ一行が利用したマハリシのアーシュラムが今も残されています。マハリシが租税対策のため放棄し、今は森林局の管理の下におかれ、観光客が見学できるようになっています。
ビートルズ・アーシュラムでは、石造りの瞑想をしていた個室や、ファンがビートルズ愛を捧げた壁面アートなどで今も当時に想いを馳せることができます。
[リンク]ビートルズの利用したアーシュラムを訪ねたヨガインストラクターによる紹介記事 (Accesed December 13th, 2020))
ビートルズがマハリシに出会ったのはカウンターカルチャーが熱を帯びていた1967年、その翌年にはマハリシのアーシュラムを訪ねに行きます。ジョン・レノンら4名のメンバーに留まらず親しい女優ミア・フォロー、その妹プルーデンスなどガールフレンドにスタッフらを加え、総勢200人ほどにもなったと伝えられています。
超越瞑想の教えに触れたジョンらビートルズ一行は創造力が開花し、これまで温めていた歌詞をいくつもの名曲に書き上げていきます。このリシケシュの地で書き上げた曲は、誰もが一度は歌詞を耳にしたような曲ばかりです。
「アクロス・ザ・ユニバース」 ("Across the Universe")は歌詞をリシケシュ訪問以前に書き上げていたとされていますが、歌詞に登場する 「ジャイ・グル・デヴァ・オーム」(Jai Guru Deva Om)は導師マハリシの栄光を願う、超越瞑想修行者の間で挨拶のように交わされる言葉でした。
「ディア・プルーデンス」("Dear Prudence")も、修行当時プルーデンスが瞑想に没頭しすぎるのを心配し、部屋から出ておいでと呼びかけるエピソードが着想のきっかけです。
「ホワイトアルバム」に収録された大半の曲を作り上げたという瞑想修行の数か月は実り多かったものの、波乱に満ちた終わりを迎えました。
ジョン・レノンは「セクシー・レディー」という曲を後に書いていますが、それはマハリシが同行女性にセクハラを働いたという疑惑がきっかけと言われています。それは一向に同行し、ジョンをマハリシから引き離したかったアップル・エレクトロニクス責任者の策略とも言われ、議論を呼んでいます。
また一方では、ビートルズ一行が今や日本でも麻薬に指定されているLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を服用し、マハリシが憤り追い出したともいわれています。
カウンターカルチャーの聖地でもあったインド
ビートルズ一行とマハリシの出会いは、カウンターカルチャーが盛んだった時代を物語っています。
当時はベトナム戦争への反戦運動を背景として、反体制を掲げるカウンターカルチャー全盛期でした。LSDもそうした文脈で注目を集めます。
LSDは本来時間や空間の認識などの感覚を変貌させる強烈な幻覚作用を催す幻覚剤ですが、ハーバードの心理学者ティモシー・リアリーはこの幻覚作用でむしろ意識を覚醒させ体制を覆す革命を企てます。ヒッピーたちの尊敬を集めた彼も60年代半ばにインドを訪れています。
この時代、インドというスピリチュアルな存在はヨーガの修行者だけでなく、カウンターカルチャーの聖地でもあったのです。
その後、ベトナム戦争の終結とともに「サマー・オブ・ラブ」などカウンターカルチャーの運動も終息に向かいます。しかし、その後も若き日のスティーブ・ジョブズがインドを数か月放浪するなど、今もインドは神秘的なオーラをまとって来る人を迎えています。
ヒンドゥー、イスラムと多様な宗教と価値観を受け入れてきたインドは、既存の価値観を見つめ直すきっかけを与えてくれます。
聖地に伝わる深遠な教えが世界を席巻するロックスターの想像力を開花させたように、タゴールも故郷ベンガル地方で世俗を超越した暮らしを営む吟遊詩人バウルに感化され、詩作を深化させました。
インドの文明を育んだガンジス川は、コルカタのある西ベンガル州とバングラデシュのダッカでベンガル湾に流れ込みます。いよいよ次回からは、タゴールが才能を開花させたベンガル地方の風土に迫ってまいります。タゴールの人生とともに、ベンガル地方の魅力をご紹介してまいります!
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