呪術が常識をコードするー読書メモ:安藤礼二『折口信夫』
「意味とはなにか?」
随分前から、この問いに取り憑かれていたのであるが、それに答えを出してくれたというか、それ以前にまず、そもそもこれが「問いとして成り立ちうる」ことを教えてくれた本がいくつかある。
まずはクロード・レヴィ=ストロースの『神話論理』や『神話と意味』といったところ、そして井筒俊彦著『言語と呪術』と、この安藤礼二著『折口信夫』である。
意味はダイナミズムである
20世紀の思想史における「意味」の捉え方として、意味を多義性へと発散していく傾向を持ちながら反復されることで安定したパターンを描くものと捉える傾向がある。
例えば、レヴィ=ストロースによる神話の意味の成り立ちについての説明は次のようなものである。まず意味作用を対立関係同士の結びつきとして捉える。
そして対立関係の重ね合わせ方にはいくつもの可能性がありうるが、その中でも特定のいくつかが繰り返し反復されることで、コードの体系として自立する。安定的にコードされる意味は、あるものの代わりとなる記号が何であるかが固定した時に成立すると考える。
祝祭の儀礼−来訪神が叫ぶ「異言」を、祖先神の声として聴く
そうしたコード化の実践例のひとつとして安藤礼二(2014:176-190)は言葉や身振りを過剰なまでに反復する祝祭における「儀礼」を挙げる。
様々な文化における祝祭では共同体外部からの来訪神の姿をとって両義的媒介項が出現する。
来訪神は共同体の開闢者である原初の王として、周期的に回帰しては共同体を再生させる者として歓待される。
原初の王、共同体の最初の祖先は、共同体とその外部を最初に区別した者である。それは元は共同体の外の者であり、共同体をその外部から切り分けた後に、初めて内部の者となる。内外を区別し対立関係を開いた両義的な存在である。
人類の様々な共同体はこの来訪神を祖先神に転換する技術として儀礼を駆使してきた。共同体の祝祭においては、来訪神、即ち原初の王から伝承された言葉に憑依された者が、発話や身振りを反復する儀礼を演じる。
憑依
祝祭では神や祖先の言葉が特定の人物に「憑依」し、そこで主客未分の言葉が発せられる。憑依は自己と他者、主体と客体の区別を無化する。祝祭の場で行われる供犠は、この神や死者の言葉を引き出すコミュニケーションの技術である。
意味作用のはじめにある原初の区別の導入は、祝祭では祖霊の憑依、その声、時に沈黙の声の贈与からなる。沈黙の声は「空」であり、それは「ただ差異を生み出す反復」としてある(安藤,2014:309)。
憑依にはじまり、未だ何も象徴しない原初の言葉。その反復は共同体の内と外という基本的な対立関係を区切り出し、そこに他の様々な対立関係を結びつけていくことで、日常の信号を支える安定的なコードの結び目になる。
儀礼は衰えかけた共同体のコードを再生し、豊穣な「ケ」の世界を回復させる。儀礼は原初の区別から生じる対立関係同士の関係を一定のパターンの反復へと整形する。多様な象徴へと発散する可能性のある増殖する対立関係たちを共同体を支えるコードへと織り直す。
共同体の祝祭は共同体のコード、それに基づく信号の体系を再生産し、意味を模索し合うコストを縮減した予測可能で制御可能な社会関係を再生する。
呪術の儀礼を遠隔化し不可視化した近代のマスメディア
おそらく。近代あるいは近代自体を切り開いた「印刷本の大量生産」としての初期「マス」メディアの技術と産業は、この呪術の呪術の儀礼を人々の日常から限りなく遠ざけ、そうした儀礼が反復されていることに気づかなくなるまで遠隔化した。
魔術からの解放、呪術からの解放、そして「だれにとってもいつでもどこでも同じ」世界の客観性への確信の発生というのも、このマスメディア技術によるコード再生過程の遠隔化による。
落合陽一氏が来るべきメディアのあり方を論じる中で「再魔術化」という考え方を示しているが、その際にも、誰もが同じひとつの世界を同じように見ていると想定できるのは「伝達される情報量に制約があったから」(『デジタルネイチャー』p.112)であると指摘されている。
来るべきメディア技術とは
来るべきメディア技術は、いわば情報の量に「制約がない」状態から始める。そこでは無数に散逸する可能性がある情報の組み合わせパターンがあふれ、異なる人々の間に予め共有されたコードの存在を前提できない。それどころか、昨日の自分と今日の自分の間でさえ、すでにコードが変化している可能性さえある。
そこで瞬時に、ミクロなコミュニケーションの場で、異なるコードを「共振」させ「同期」させるための第三の=両義的媒介項となるコードを生成し、差し挟む。それによってひとりひとりの異なる個人と、あるいは昨日の自分と今日の自分を、コノテーションを介して会話可能にする。来るべきメディア技術はそのような姿をとることだろう。
これが個々人の耳の手前で、リアルタイムにそのコードの体系を部分的にずらすコノテーションを供給できるならば、それは人類史に文字の登場、印刷技術の登場に匹敵するインパクトを与える可能性がある。
おわり
関連note。「呪術」について、こちらにも書いています。