溺愛してたペットが旅立って思うこと
人生初のペットロスを経験中。
きちんと受け止めて、前を向いていきたいから
どこに書いていいか分からない気持ちを吐露したい。
ジャーナリングの効能を信じて綴ってみる。
前兆
介護の日々
お別れの時
今、おもうこと
前兆
我が家の愛猫はロシアンブルーの女の子
13年前にウチに来た時からお転婆娘だった。
噛み癖は治らず、気に入らないとマーキング(おしっこ攻撃)ご飯の好き嫌いも激しく
内弁慶で人見知りで大の病院嫌い。
気の強い神経質な子だった。
10歳を過ぎたくらいから、来客者に擦り寄ったり
仕事中、膝に乗りたがったりと甘え出すようになってきた。
ツンデレさんだったから、嬉しい気持ちとともに
年かなぁ、と少しだけ切ない気持ちがあった。
倒れる3,4カ月前からはトイレにもついてくるほどの甘えたっぷり。
なんでわざわざ?と戸惑いすら感じてしまっていた。
思えばその時から少し、予兆はあったのかもしれない。
家猫だし女の子だし小柄な体型も相まって、頭では理解しつつも、子猫の頃から変わらない可愛い外見に
まだまだお別れは先のことだと信じ込んでいたのだ。
「虹の橋とやらを渡るのは、いつかくる遠い日」だと信じて疑わなかった。
テレワークのとある日。
なんだか朝から大人しいな、くらいに思っていた。
ずっとベッドで香箱座りをしている。
眠いのかなぁ、くらいに思っていたその時、
立ち上がった際の歩き方が明らかにおかしかった。
後ろ足をびっこひいてた。
すぐさま1時間後に控えていた商談をリスケし、病院へ連絡。
病気知らずの元気娘だったけど毎年、健康診断は必ず受けていたので
近年、お世話になっていたクリニックにかけた。
運悪くクリニックは定休日。
仕方なく家から1番近く、診療時間も長い大きめの病院にコンタクト。
レントゲンの末、捻挫には見えないけど、よく分からないなぁ、というなんとも頼りない回答を貰った。
ただこの時に久々に測った体重が通常よりも700gも落ちていた。
完全にわたしの落ち度である。
そういえば最近、たまに好きなご飯を残す日があるなぁ。
ちょっと頬がこけてきたかなぁ。
なんて、思っていたのに。
便が緩い日があったけど、連日続くようなことはなかったから
来月控えている健康診断の時にでも聞けばいいか、と悠長に構えていたのだ。
とりあえず、と打たれた関節炎の注射により、翌日、血便が出た。胃腸に負担がかかったらしかった。
もう一度同じ病院に行って見解を聞いたところ、別のドクターからも引き続きなんだかよく分からないとの回答。
検査費用だけ6万かかり、体調不良の中あちこち調べられた結果、かなり衰弱した。
帰り道にはキャリーの中で下痢をし、前日までもりもり食べられていた食事を全く食べなくなり、動かなくなった。
すぐにセカンドオピニオンに動いた。
かかりつけのクリニックや訪問看護への問い合わせ、猫飼い仲間への聞き込みを開始。
結果、信頼出来る病院と出会い、リンパ腫の疑いとの見立てがつきステロイド治療の開始となった。
当時のわたしはとにかく1件目の病院への苛立ちが酷かった。
本当は分かってる。
もっと早くに私が気づくべきであったことは。
介護の日々
動かない、ご飯食べない3日間を過ごしたのち、
連日のステロイド剤の投与により奇跡的な回復が見られた。
ぎこちなかった歩き方が少しずつ通常に戻ってきて、
ウェットフードなら食べられるようになった。
緩かった便も固形化し、机にも飛び乗れるくらい回復した。
奇跡的な回復だった。
ただ先生からは、治療により延命しているに過ぎないと言われていた。
実際その後、定期的な血液検査の数値は徐々に悪化していたのだが
目に見えた衰弱は亡くなる数日前まで見られず、
ペット医療における見立ての難しさも目の当たりにした。
1件目の病院の医師たちは別に悪意があったわけじゃない。
事実、"病気"の説明は一生懸命してくれていた。
ただ、この子の症状についての説明や見立てがなかった。おそらく実経験の乏しい人たちだったのだと思う。
寝たきりの3日間のうちに私はキャットタワーを解体し、高さのある爪研ぎや、自分のベッドを捨てていた。
血便を出した日、辛かったはずなのに
夜中にベッドに飛び上がって一緒に寝ていたからだ。
ムリをしてまで側で寝たいと思ってくれた健気過ぎる行動に涙が出た。
ジャンプに失敗してうっかり落下させたくない。
とにかく高さのあるものは仕事に使う机以外、全て処分した。
導線確保のため、部屋のレイアウトも変えた。
猫は環境を変えない方がいいとよく言うが、この段階で行動範囲を狭めて慣れさせたのはのちに正解だったと思う。
床にはクッションシートを敷き
幼少期から愛用しているトイレには特製の階段をつけた。
容易に部屋をカスタマイズできた背景として、自分がシンプリストで良かったと感じた。
壊れてから買い直せてなかったペットカメラを新調し、土日の予定も全部キャンセルした。
高さに無理がなく、中に入って落ち着けるスペースがある爪研ぎも新調した。
数年ぶりに予定していた旅行もキャンセル代を支払って白紙に戻した。
上司に依頼し極力テレワークを許可してもらい、出張は控えてもらい、決まってた日程も代理を立ててもらった。
当初、なんだかよく分からないと言われていた愛娘はセカンドオピニオン先でリンパ腫の疑い、との見立てを受けていた。
見立てを診断に変えるにはMRIを撮る必要があった。
ただ体重が2キロを下回っていることから麻酔の危険性があり、撮れなかった。
もとから2.5キロのかなり小さい体型だったのが
ここに響いてくるとは思っていなかった。
それまでなんの病気もなく健康体で、過去の医師から指摘を受けることもなかったため思いもよらなかったが
自分自身が無知であったことは否定できない。
もっと早く気がつけば良かった。
あれ?と思ったタイミングで体重計に乗ればよかった。
お腹を下した時にすぐに病院に行けばよかった。
「大袈裟だよ」と言われた第三者の言葉に従ってしまった。
この子を守れるのはわたしだけだと分かっていたはずなのに。
悔やんでも悔やみきれなくて、毎日泣いて過ごす日々。
だからこそ、今からでも出来ることであればと、思いつくことは全てやった。
リンパ腫の疑いは晴れぬまま、新たに腎不全が発覚し、2週に1度の皮下注射が始まった。
それはのちに自宅での実施となり、最終的には毎日になった。
医療知識ゼロの自分が注射針を扱うことが怖くて、初日は看護師の友人に立ち会ってもらった。
お漏らしが始まった際には、あらゆるものが犠牲になった。
寝ている間に側に来たとおもったら、私のベッドで粗相してしまうこともあった。
敷布団にはおねしょシートを忍ばせていたが、掛け布団にされる度に眩暈がした。
お漏らし対策として犬用ペットシートを使った簡易トイレを増やして被害を抑え、家の中でのオムツ着用は避けた。
掛け布団は私が簡単に洗って乾かせるタオルケットを使うことで解決させた。
お風呂場での粗相は受容することにした。
なるべく本人の好きにさせてあげたかった。
週1の通院、病院での注射、毎日の投薬、そして皮下注射。
一口食べては残し、鮮度が落ちると食べないキャットフード。
度重なる出費の痛手は仕方ないにしても
毎朝、4時半に起こされる日々が堪えた。
小さな物事で目が覚めて、寝不足で私自身の体調も崩した。
ご飯を食べる、食べない
うんちが出た、出てないで一喜一憂した。
床に置いてる布物はトイレにされるので部屋ではあらゆるものを壁にかけて、宙に浮かせていた。
そのうち、トイレで上手にうんちも出し切れなくて、床に落っことすようになった。
踏ん張り切れなくて、トイレから出た頃にポロッと落ちてしまったのだと思う。
それなりに忙しい日々の中でのワンオペ介護は精神的にも参った。
常に体のどこかが痛かった。
寝不足は判断力の低下、頭痛、イライラを引き起こし、ただならぬ不安感と相まって情緒がかなり不安定だった。
ヨタヨタ頼りなく後追いしてくる姿は胸が痛かったし、可愛くて仕方がないのに
仕事中など、めんどくさくおもってしまう瞬間はどうしてもあって、その度に自分が心底、嫌になった。
2ヶ月と言われていた余命は過ぎ、4ヶ月半生きてくれた。
お別れの時
天国からのお迎えが少しずつ近づいている気配を感じた。
幼少期から大の病院嫌いのため
ステロイド剤による回復の後は
先生にも失笑されるくらい、毎回大暴れをしていたが
外出前にリードをつける時、オムツを履かせる時、無抵抗だったことがなんだか心苦しかった。
かつてはリードを見ただけで、姿を隠していたはずなのに。
懸念されていた皮下注射による心臓への負担はあまり影響が無かったらしいが、
腎臓がどんどん悪くなっていた。
出されたカプセルは最後まで嫌がって、ろくに飲めなかった。
辛うじて飲めていた食欲増進剤はあまり意味がなかった。
少量飲み続けていたステロイドも、飲めなくなっていた。
最後の1週間は貧血によるふらつきがかなり顕著だった。
「来週また来てください」そう言われた4日後、あまりの食欲低下が不安になり、次の予約を待たずに病院に連れて行った。
3日に1度になっていた便が、踏ん張りが効かないのか、軟便でないにしても、連日ちょろちょろ小出しになっていたのも気になった。
「経験則でしか無いので申し訳ないが、2週間持たないかもしれない」先生からそう告げられた。
翌日、ペットシートにうっすらと血尿が確認され、さらに翌日、赤が濃くなった。
二駅先の病院への移動も本人の負担になるのでムリはさせないでと言われていた。
迷いながらも電話で確認し、タクシーで病院に急いだ。
大嫌いな病院に着いたのに、もう抵抗する力もなく痛み止めの注射にも無反応だった。
家に戻るとふらふら歩き、目的地であろう風呂場に着く前に力尽きて床にぺたっと寝そべった。
ご飯も食べず、病気になってから好物に変わったエナジーチュールも完食できなくなっていた。
早朝未明、吐き戻しの音で目が覚めた。
何も吐けずに苦しそうだった。
午前中はずっとお風呂場にいた。
ときおりゲップのようなものを出した。
あとから知ったが、口から出すアンモニア臭も尿毒症の特徴だそうだった。
私が真横の浴槽に浸かり出だしても無反応で、
いつもなら欲しがるお湯にも、立ち上がる気力が無かった。
お昼前、皮下点滴のために抱き抱えて座椅子に移動した。
その後もずっと、座椅子に座りながら腕に抱えていた。
スポイドで与えた水は飲んだが、トイレに行くことも、鳴くこともなかった。
抱き抱えているうち、しゃっくりのような動きが出た。
チックだ。
前足がピクっと動く。
15分に1回くらいだったのが徐々に間隔が狭まっていった。
動く部位も、前足だったり後足だったりとランダムだった。
YouTubeで出てくる痙攣とはちょっと違う気もしたが、病院に緊急問い合わせをした。
尿毒症の兆候であるらしかった。
1時間後、さらに間隔が狭まり、3秒に一度、チックが出る状態になった。
動きは激しくなり、軽い刺激どころか
ビクンビクンと大きく体が動くようになった。
電気ショックでも与えたぐらいの動きだ。
痙攣が起きた場合、基本的には見守るしかないらしい。
ただ、どれだけ経っても鎮まることもなく、腕の中でずっと、小さな体がビクンビクンと震え続けていた。
再度病院に連絡し、危険性も承知の上で坐薬を出してもらうことにした。
ペットカメラをセッティングし、すぐ戻ってくるからね、ちょっとだけ我慢してね、と声をかけて
留守番させて病院に向かった。
ペットカメラの様子を見た先生からは、覚悟を決めた方がいいと言われた。
家に戻ると震えながら、遠い目をして口から泡状のよだれを出していた。
坐薬を入れて、体を撫でて、痙攣のおさまりを確認すると、水を用意しにすぐそばの流しに立った。
水を手に戻ると、目の輝きが消えていた。
私が離れた時間は1分もなかったと思う。
呼吸をしてる、してないとか
脈がある、ないとか
わからなかった。
わたし自身が震えていて、視界が霞んで、目視で確認できなかった。
僅かながら動いてると信じたくて、麻酔が強く効いてて、仮死状態なんじゃないかと思いたかった。
頭が真っ白になって、フル回転して、また真っ白になった。
抱き抱えて、首が座っていないのを目の当たりにした時、魂がもうここに無いことを悟った。
今思うこと
わたしが選んだのは安楽死なのかもしれない。
どこかの誰かに批判されるかもしれない。
個体によっては、薬で痙攣を一時的に止められたり、チックを抱えながら生活出来る子もいるらしい。
でも、ビクンビクンと震えて続けている姿は本当に辛そうで
日常を過ごせるようには到底、見えなかった。
激しくなってから坐薬を入れるまで3時間ちかくあったわけだが、一刻も早く止めてあげたかった。
乗り越えた先に助かる見込みがあるならともかく、あんなに辛そうな状態が2,3日も続いたのちに召されるなんて
あまりにも苦しそうで、可哀想だった。
病院に薬を取りに行くまで、ずっと腕の中にいたから、苦しんでいることが肌で感じられたから、
私は投薬がその時できた最善策だったと確信している。
仕事が休みの日で本当に良かった。
ただ、一瞬でも離れるべきじゃなかったと、あの時あと10秒、なんでもうちょっとだけ様子を見なかったんだろうとか
旅立つ瞬間を1人にさせてしまったんじゃないかなって、申し訳ない気持ちでいる。
余命宣告をされてから、とにかく緩和治療を選択してきた。
この子はどこがどう辛いんですか?と尋ねて、先生を困らせた。
とにかく痛く無い、辛く無い道を選びたかった。
ペットなんて所詮、人間のエゴだと思っている。
私の勝手な都合でこの子はウチに来た。
もしかしたら他の人に貰われる未来もあったかもしれない。
私が与えるものだけがこの子の全てだったから
出来る範囲で最大限に幸せにしたかった。
予期せぬ色々な事情が重なり100平米の実家を出てワンルームに引っ越してからも、天井まで届くキャットタワーを据えていた。
2万近くする爪研ぎを複数個用意した。
自分の生活スペースはどうでもよかった。
引越しの多い環境で、きっとストレスも与えていたことだろう。
それでも、私にできる精一杯をしてきたつもりだ。
母親が自死した年にこの子はウチに来た。
小さい頃からの夢だった「猫と住む生活」をしてみたかった。
もともと動物を飼うことに反対だった父も姉も、たくさん可愛がってくれた。
沈んでた私たち家族に、この子はたくさんの喜びを与えてくれた。
超神経質でよそに預けられないから、長期の旅行に行けないし
ぜんぶ落っことされるから、棚に物は飾れなくなった。
好きだったアロマもたけなくなったし
浴槽に張ったお湯を飲みたがるから、入浴剤も入れられなくなった。
エアコンはつけっぱなしだから電気代もバカにできないし
都内のペット可の物件って家賃は高いし
猫って家賃の3ヶ月分の敷金を敷引きでとられるし
空気清浄機つけてても勝手にスイッチ切られるし
猫砂は重いし、カリカリはもっと重いし
ブラッシングしてもしても毛は出てくるし
クリアファイルは静電気で猫毛つきまくりだし
毛がつくから黒い服は着られないし
洗濯機は壊れるし
爪がひっかかるからレースの服はすぐダメになった。
GUCCIの財布は爪研ぎにされたし
JILLのカゴバッグもボロボロにされたし
パソコンで爪研がれてキーボードのw打てなくなったし
ミントティー飲んでたら何故か飲みにくるし
ひんやりが気に入ってゴロゴロしちゃうから玄関タイルの掃除は欠かせないし
会社で借りた本の上に毛玉吐いて買い取る羽目になったし
ビニール袋はなぜか全部、はしっこ噛まれるし
布団から足出してたら噛まれるし
ゴミ箱はひっくり返されるから置けないし
トイレは使わない時、蓋閉めないとあったかい便座に乗っちゃうし
はりきって買った猫用ベッドは使ってくれないし
サラサラ生地のシーツはお漏らしされるから買えないし
ホットカーペットや電気毛布はとられるし
キッチンで作業してたら足元うろうろして踏みそうになるし
バルサンたけないし
膝に乗ってるから、おちおちトイレにもいけないし
わたしが家に帰ると玄関まで出てきちゃうから、外に出ないように気をつけなきゃいけなくて、ドア開ける時はしゃがんで前屈みになる変な癖がついちゃった。
わたしのそんな13年半が終わった。
余命宣告をされた日から何度も何度も泣いた。
罪悪感に苛まれて、本当に辛かった。
絶対に別れが訪れることを実感したから、
いつその日が来ても後悔しないように過ごしてきた。
物事に前向きになれなくて、色んなことががんばれなくなった。
引き換えに諦めたもの、失くしたもの、あったりする。
でも何よりも優先させたかったから悔いはない。
ちゃんと死と向かい合う時間は過ごせたように思う。
後悔はないけど、絶望的に寂しい。
圧倒的に寂しい。
悲しいんじゃなくて、寂しい。
とにかく寂しい。
死後硬直で硬くなった体を触ると、魂が抜けていることを実感する。
母親の葬儀の時にも感じた感覚だ。
ああ、生き物って死んだら抜け殻になるんだ、と思った。
午後には葬儀屋さんが迎えにきてくれる。
思いっきり泣きたいから、1人でいく。
今すぐ地球が爆発すればいいのに、
そしたらまた向こうで会えるのに。
アホみたいだけど本気でそう思う。
いつもほんのりあたたかくて
柔らかかった体が
冷たくて、かたい。
魂は抜けてるから、
火葬場に連れて行くことに抵抗感はない。
早く体も天に届けてあげたい。
誰に見せても、綺麗な子だね、と言われていた。
美人さんだねと言われていた。
毛並みはずっとサラサラでふわふわで
初めてウチに来た時と変わらず、ずっとずーっとかわいく居続けてくれた。
本当に可愛い。
誰よりも可愛い。
どうしよもないって分かってるけど、ずっと元気なままで一緒にいたかったし、一緒に生きたかったし、一緒に死にたかった。