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社会の常識との戦い

社会ではよく「私を捨てろ」「主観を捨てろ」「会社の人間になれ」などと宣う人々がいる。
しかし、実際それを捨てきれているかと言えば絶対にそんなことはない。

今日仕事中に後1クリックで業務が終わるところ(ページタイムアウトしてしまうと執筆がパアになる可能性あり)でとある上司に頼んでいたことが連絡がついたので業務の手を止められないかと突然言われた。
わたしは後1クリックなのでちょっと待って欲しいと言った。
しかし、その上司は激昂し一度は電話を切ろうとまでしてきた。
これは明らかに主観を捨てられていない。

その後で「こちらが謝罪し反省の色を見せる」という形で丸く収めた。
結局の所社会は上下関係がすべてなのである。
わたしの最も忌み嫌う上下関係が。
確かに人の時間を使ってもらうことは大切だ。
だが、日頃から「相手が今何をしているのかを把握して依頼をしろ」と言っているにもかかわらずわたしがしていることを把握せずに依頼をしてきた上司にも問題があったのではないかとわたしは考えざるを得ない。

以上!今日の仕事の愚痴!
これを一般化して話すとこうなる。

社会では主観を捨てなければならないと上司に教育されるが結局の所人間が主観を捨てることなどできはしない。
口では何とでも言える。偉そうなことも自分はできていると主張することだって簡単だ。
しかし絶対に主観を捨てることなどできはしない。
主観を捨てるということは我欲を捨てるということ。
即ち悟りを開くということ。
そんな人は社会ではやっていけない。
というよりも利益を追求する資本主義社会には馴染まない。
故に社会人としてやっていくことは無理なのだ。

わたしは9割方悟りを開いてしまっている。
1割は敢えて開いていない。
開いてしまえばもう戻れなくなるからだ。
もう人間社会に戻れなくなるからだ。
神に戻ってしまう、それだけは避けたい。
まだ早いのだ、もう少しだけ人間を楽しみたい。

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