現代のAI時代に適応する考え

久しぶりだね

本当に久々に記事を書く。
書いていなかった理由は単純に書く余裕が無かったからだが、最近また書きたいという気持ちが湧いて来たので再開する。

本題(結論)

AI時代に適応する考え方というのは、自分で調べようとする姿勢だ。
受動的に与えられる情報だけを頼りに行動する時代はもう終わったと言って良い。如何に能動的に情報を集め、自分に使えるよう料理してツールとして利用できるかが求められている。この結論に至るまでの理由を以下に書いていく。

理由1:「考える」ことの放棄

ボーっと生きてんじゃねーよ!」とはNHKの「チコちゃんに叱られる!」という番組の代名詞とも言えるセリフだ。
これが現代のNHKのフラグシップ、あるいはマスコットキャラクターの口癖である。つまりNHKは「分かっていながら既得権益を保持しようとしている」のだ。とは言え今回マスコミ批判をするつもりはないのでどうでも良い。
問題は世の中の大多数が未だに「ボーっと生きている」事にある。

・仕事中はちゃんと「考えて」仕事してるよ!
・何も「考えて」ない訳がないじゃない!

等といった反論、ないわけがない。あって然るべきだ。
しかしながら、「ChatGPT4のインタープリターを使って動画を作ってみて」と前情報なく指示されてすぐにできる人はどのくらいいるだろうか?
中々いないことと思う。(いてくれたら嬉しいのだが)
これは「世間ではChatGPTなるものが流行っているんだなあ」と対岸の火事のように他人事として捉えているからこその事象だ。
別にAIツールであればGoogleBardでもBingAIでもなんでも構わない。
要するにとっさに求められたタスクをこなせるかどうかを問われているわけだ。

理由2:現状維持バイアス

では、何故考えないのか?
これは「現状維持バイアス」というものが深く関わっている。

現状維持バイアスとは、人々が既存の状況や考え方に固執し、変化を避ける傾向を指します。このバイアスは、何か新しいものを受け入れる際の不確実性やリスクを避けたいという心理に起因していることが多いです。
(ChatGPT4の回答より)

と言うのが現状維持バイアスだ。
つまり、「変化を避ける傾向」のことを指す。
今回の記事での変化はAI時代にシフトしていく現状に適応することだ。
その場合、次のような言い訳が想定できる。

・どのAIもどうせ正確な回答が返ってくると保証されてないんでしょ?
・プロンプト?とかいうのによって返事が違うのって不公平じゃない?
・まだ発展途上なんだから専門家に任せとけば良いんだよ

どれも主語が自分ではない
しかし、上記の言い訳は誰でも簡単に思いつくものだと思う。
言い訳ができるのなら逆をすれば良いのだが、リスクばかりを考えて挑戦できないのが問題だ。
確かに色々なことをAIに置き換えて任せるというのは一見するとリスクだらけに思う。AIをある程度使い込んだわたしでもそう感じる。
だがそれはAIを使いこなせていない自分に問題があると考えている。
まだ勉強中なのだ。だからリスクを感じている。
例えば、あなたは自動車教習所に行って仮免まで進んだ教習生だとする。
いきなり高速道路で走れと言われてもそれはリスクばかりで最悪死亡事故の事まで脳裏をよぎるだろう。それはそれで良いのだ。
しかし、何故教官はそう言っているのか?を考える事はできるだろう。
現状維持ばかりで何にも挑戦しなければ、成長も起こり得ない。

本題から外れてしまうように感じるだろうが、何もAIに挑戦しろと強要する目的の記事ではない。

あくまでも「AI時代に適応する考え」について書いている。
この記事で最も伝えたい事は「自分で考え、行動しよう」というシンプルなことだ。
まあ世の中ではシンプルなことほど難しいのだが。

という事で散文になってしまったが、リハビリがてらの投稿を〆させてもらう。ここまで読んでくれた物好きな読者の方に感謝を。


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