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第14話 ロビンフッド流弓道・グレーテル前編

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 それは武闘会が開かれる数年前のことです。
 昼間でもなお暗い森の中を二人の兄妹がさまよっていました。
 兄の名はヘンゼル、妹の名はグレーテルといいます。
 
「お兄ちゃん、怖よ」
「大丈夫だ、僕がついてる」

 ヘンゼルはグレーテルの手をしっかり握っています。それは妹を安心させるためであり、同時に自分のためでもありました。兄としてしっかりせねばと気を張り続けていなければ、ヘンゼル自身も心が挫けそうなのです。

「お父さんとお母さん、どこに言ったんだろう」
「分からない、一緒に森で食べ物を探していたはずなのに」

 ヘンゼルとグレーテルの家はたいへん貧しく、木の実や食べられる野草を求め、家族全員でこの森にやってきたのですが、両親とはぐれてしまったのです。
 探せど探せど両親は見つかりません。
 
「お兄ちゃん、なんだか甘い匂いがするよ」
「本当だ。食べ物の匂いかも知れない」

 不意に訪れた不思議な香りに二人は引き寄せられていきます。
 しばらく歩き続けると、なんと二人の目の前にお菓子でできた家が現れました。
 その家はビスケットのレンガで作られており、屋根はチョコレートで出来ていました。
 
 最初、二人はあまりにお腹が空きすぎて幻を見ているのだと思いました。でも、ヘンゼルが恐る恐る触れるとそれは間違いなく実在するものだと分かります。
 扉を開けて中に入ると、内装と家具も全てお菓子でできていました。タルトの円卓やスポンジケーキのソファがあります。天井にはランプ代わりの発光キャンディがぶら下がっています。
 
「あらあら、可愛いお客さんね」

 家の奥から優しそうなお婆さんがあれます。
 
「私はホイスヘン。こんな森の中で子供二人がいったいどうしたの?」
「僕たち両親とはぐれてしまって」

 ヘンゼルが事情を話していると、「くぅ」と可愛らしい音が鳴ります。
 それはグレーテルのお腹から発せられた音で、彼女は恥ずかしくて顔を赤くしてしまいました。
 
「お腹が空いているのね。ちょっとまっていてね」

 ホイスヘンはステッキを取り出すと、それでタルトの円卓を軽く叩きます。すると、とても美味しそうなお菓子が現れました。

「お婆さんは魔法使いだったの!?」

 目の前の光景にグレーテルは驚きます。
 
「ええそうよ。私は魔法でどんなお菓子だって作れてしまうの。さあ、たんとお食べ。遠慮することはないわ」

 ヘンゼルとグレーテルはここ数日はまともな食事を口にしていませんでした。ましてやお菓子など、最後にいつ食べたのかすら覚えていません。
 二人は優しい魔法使いに感謝して、お菓子を食べ始めました。
 そのお菓子は、二人は生きてきた中で一番美味しい食べ物でした。人生の中で一番幸せだとすら思うほどです。

 二人はお腹いっぱいになるまでお菓子を食べます。そのせいか急に眠たくなってきました。
 そして二人は気を失うかのように深い眠りに落ちました。
 やがて目を覚ますと、二人は自分たちが縛られているのに気が付きます。

 そこは窓のない暗い部屋でした。明かりといえば、壁にかけられたドクロの目に宿る魔法の炎だけです。
 部屋の中央には巨大な鍋があり、ホイスヘンがそこにおぞましい昆虫や毒々しい色の草を入れて煮込んでいました。
 
「おや、気づいたようだね」

 二人を見るホイスヘンの表情は、先程とはまるで別人です。優しさなどひとかけらもなく、邪悪な魔女そのものでした。
 
「な、何をしているの?」

 ヘンゼルは怯えながら問います。
 
「若返りの薬を作っているのさ。材料はネクロ水、不滅回虫、秘密の魔法のハーブに、そして忘れちゃいけないのが幼い子供さ」

 ホイスヘンがにやりと笑い、二人は恐怖で言葉を失ってしまいます。
 
「お前たちは親から私に売られたのさ。薬の材料になるためにね。森ではぐれたのは偶然じゃないんだよ」

 ホイスヘンはナイフを取り出すと、それでグレーテルの頬をなでます。
 薄く傷つけらた頬から温かい血が流れるのを感じたグレーテルは絶叫しました。痛みを忘れるほどの恐怖でした。
 
「良いわよ。もっと怖がりなさい。材料にする子供が恐怖すればするほど、上質な薬が出来上がるの」
「やめろー!」

 その時、自分を縛る縄をほどいたヘンゼルがホイスヘンを殴ります。偶然にも彼の縄は結びが甘かったのです。
 突然のことに不意をつかれたホイスヘンはよろめき、腕を煮え立つ大鍋の中に突っ込んでしまいました。
 
「ぎゃァァァ!!

 大やけどしたホイスヘンはのたうち回ります。その好きにヘンゼルはグレーテルの縄をほどきました。
 
「逃げるぞ!」

 ヘンゼルはグレーテルの手を引いて駆け出します。
 その部屋は地下室だったようで、扉を開けると階段が現れます。二人は急いで駆け上がりました。

「出口だ!」

 階段を上がった先は、先程お菓子を食べていた部屋でした。外まであと少しです。
 
「逃がすか!」

 その時、階段の下からキャンディの槍が飛んできてヘンゼルの体を貫きます。
 
「お兄ちゃん!」
「グレーテル……」

 ヘンゼルの体が階段を転がり落ちます。
 グレーテルの眼下には動かなくなった兄の体と、恐ろしい形相でこちらを睨むホイスヘンがいました。
 
 グレーテルは逃げ出します。彼女の体を動かすのは生き残るための本能でした。
 お菓子の家を飛び出し闇雲に走り続けていると、不意に浮遊感がグレーテルを襲います。
 
 崖でした。暗くて気づかなかったグレーテルは真っ逆さまに落ちていきます。
 落ちた先は川でした。
 川の流れはとても激しく、グレーテルは溺れないように必死にもがきます。
 どんどん流されていくと、やがて朝となりました。
 その頃になってようやく川の流れが落ち着き、グレーテルは岸に上がれます。
 
 あたりを見渡すと自分がいるのは家の近くだと気づきます。少し離れた場所にある小さい橋に見覚えがありました。
 川の水で凍えた体でグレーテルは家へ帰ります。
 その時のグレーテルはホイスヘンの言ったことはなにかの間違いだと思っていました。親が子供を売るはずがないと信じていたのです。
 
 家に帰るとテーブルの上には食べ残した肉の塊があり、さらには数枚の銀貨が散らばっていました。
 床には空っぽになった酒瓶が何本か転がっていました。
 グレーテルが寝室へと向かうと、両親はまだ眠っていました。
 両親がヘンゼルとグレーテルをホイスヘンに売ったのは事実だったのです。その金で、両親は豪勢な夕食を食べ、上等な酒を飲み、そして今は幸せそうな顔で眠っています。

「……」

 グレーテルは台所から包丁を取り出すと、まず父親の喉を切り裂き、次に母の喉を切り裂きました。二人共、酒が入って相当深く眠っていたのか、殺されたとわからないまま死にました。
 
 両親を殺したあと、グレーテルはテーブルに散らばる銀貨をつかみ取りました。たった数枚、肉と酒を買った分を考えても、1,2ヶ月分程度しか生活できない金で両親は自分たちの子供を魔女に売り飛ばしたのです。
 
「命の値段って、この程度なのね」

 人の命は自分が想像していた以上に安かったのだとグレーテルは思い知りました。
 グレーテルは家を出てきました。もう両親に興味など無く、一瞥すらしません。
 頭にあるのは今日をどうやって生きようかと言うことのみです。
 
 それからグレーテルは一人で生きようとしましたが、しかしか弱い子供には限界がありました。両親から奪った銀貨はあっという間に底をつきてしまいます。
 そしてとある街の薄汚い路地でグレーテルは自分の命の終わりを悟ります。
 恐ろしさも、悲しさもありませんでした。あるのは申し訳無さです。
 兄のヘンゼルに助けてもらった命を無為に終わらせた申し訳無さのみが、グレーテルの心にありました。
 
「おい、生きてるか?」

 いつの間にか深緑色の外套をまとった年老いた男がいました。
 
「私は無一文よ」

 男を物取りと思ったグレーテルは冷めた口調で言いました。
 しかし男はグレーテルから何かを奪おうとせず、それどころか優しく抱き上げます。
 
「少しは世の中を知っている目だ。弟子にするには丁度いいだろう」

 男はグレーテルを連れ帰ると、食事を与えました。
 
「俺はハンターという。お前、自分の値打ちを少しは上げてみたいと思わないか?」
「人の命なんて二束三文でしょう。それを多少上げたところで何になるというの」

 グレーテルの悲観的な言葉に、しかしハンターは愉快そうに笑いました。
 
「いいね。ますます気に入った」

 ハンターは懐から不思議な石を取り出します。
 
「これはドレス・ストーンという。女を無敵の超人に変える魔法の石さ」

 ハンターはドレス・ストーンを無理やりグレーテルにもたせます。

「今日からお前は武闘姫だ。そしてロビンフッド流弓道を骨の髄まで叩き込んでやる」

 それからグレーテルはハンターとともに生活するようになりました。
 ハンターの修行はとても過酷なものでした。気を抜けば命を落としかねない時もあります。
 それでもグレーテルはハンターの元から逃げ出そうとしませんでした。
 
 全てはハンターが持つ技術を盗むためです。彼は一流の冒険者であり、その技術を身につければ大金を得られるからです。
 そしてグレーテルが17歳になった時、ハンスは免許皆伝を認めました。

「教えられることは全部教えた。これでお前は一端の弓道家というわけだ」
「どうして私にロビンフッド流弓道を教えたの? 銅貨1枚の得にもならないのに」

 独り立ちしてハンターの元を去る時、グレーテルは尋ねました。
 修行を通じてグレーテルは少なからずハンターの人柄を理解しました。彼は道徳の奴隷になるのを忌避し、無一文で他人のために動くような男ではありません。
 ハンターは戸棚から酒を取り出すと、それをグラスに注ぎ込みます。
 
「この歳になるとな、ついつい自分が死んだあとのことを考えちまうんだ」

 ハンターはどこか遠くを見るような目で語り始めました。
 
「俺の人生は金稼ぎの人生だった。冒険者家業に精を出して、使い切れないくらいの大金を手にした。けど俺が死んだ後、金はどうなる? 多分、どこかの誰かが食いつぶすだろう。このままじゃ、俺の人生は他人のために金を稼いだ事になっちまう」

 ハンターはグラスの酒をぐいと飲み干しました。

「だからお前にロビンフッド流弓道を教える。教えた技術は俺が死んでも消えない」

 ハンターは飲み干したグラスへ再び酒を注ぎます。
 
「お前は自由だ。俺が教えたロビンフッド流弓道を使って、好きに生きるが良い。お前の将来に乾杯!」

 ハンターは気持ちよさそうに酒を飲み干して、グレーテルの旅立ちを見送りました。

 独り立ちしたグレーテルが最初に向かったのは、かつてホイスヘンと遭遇したあの森でした。
 目的はホイスヘンを倒すためです。
 ヘンゼルが助けなければ、今のグレーテルはありません。

 それは良心の行動ですが、死んだ兄に対する負い目という形でグレーテルの心を縛っていました。
 真の自由となるためにはどうすべきか? グレーテルは兄の敵討ちが必要だと考えました。
 
 ホイスヘンを抹殺し、それを持って恩を返す。そうしてようやく心が解き放たれるのです。
 グレーテルは森を進み、お菓子の家を目指します。
 
 しかしそこにあったのはお菓子の家ではありませんでした。
 クラッカーのレンガで造られた防壁の上には、キャンディの槍を放つ弩砲《バリスタ》がずらりと並んでいます。
 防壁の外側には水飴の水堀があり、泳ぎ渡ろうとするものを絡め取るでしょう。
 
 お菓子の家は数年を経て、お菓子の要塞へと成長していたのです!
 敵は強大! しかしグレーテルの目は少しも怯んでいません
 戦うからには勝つ! その自信が彼女にありました。
 
「ドレスアップ」

 グレーテルは武闘姫に変身します。
 彼女の武闘礼装は偶然にも、深緑色の外套でした。
 まずお菓子の要塞を偵察します。超人である武闘姫といえども、要塞に立った一人で挑むなどあまりに無謀! まずは付け入る隙きを探らなければなりません。
 
 防壁の上にあるバリスタにはクッキーの兵士が一人ずつついています。でも見る限りでは動きはかなり単調です。簡単な魔法で動いているだけの人形だとグレーテルは看破しました。
 
 グレーテルは鉤縄を使って城壁をよじ登ります。そして兵士の視界に入らないよう注意しながら要塞の内部に侵入しました。
 内部は意外にも見張りの兵士はいませんでした。よほど外の守りに自信があったのでしょう。
 
 グレーテルは探知の魔法を使って敵の居場所を探ります。
 数秒後、ホイスヘンがどこにいるのか分かりました。要塞の地下です。
 グレーテルはそこへ向かいました。
 要塞の地下は広間となっており、その中央には怪しい薬品で満たされたプールがあります。
 
 プールの近くには若い女がいました。見た目の年齢が大きく変わってもグレーテルには分かります。この女がホイスヘンなのです。若返りの薬を使ったのでしょう。
 その薬は誰を材料にしたのか。おそらくはグレーテルの兄、ヘンゼルでしょう。
 
(大丈夫、冷静でいられる)

 ハンターから受けた修行は、平常心を保つ精神修養もありました。グレーテルは師匠に感謝します。
 プールの上には檻が吊るされており、そこには沢山の子どもたちが閉じ込められています。
 檻の中で泣き叫ぶ子どもたちを見ながら、ホイスヘンは邪悪な笑みを浮かべます。

「怖がれ! 怖がれ! そうすれば私は1000年先も若いままでいられる!」

 何ということでしょう! ホイスヘンはさらに若返りの薬を作ろうとしていたのです。それも大量に!
 ですが、ホイスヘンは子どもたちの恐怖を煽るのに夢中で、グレーテルの存在に気づいていません。
 グレーテルは静かに弓を引き、ホイスヘンを狙います。
 
 ほとんど音を出さずに矢は放たれました。鉄板すら貫く威力を秘めたそれは、まっすぐホイスヘンに向かっていきます。
 しかし!
 
「誰だ!」

 ホイスヘンは矢に気づいて、持っていた杖で叩き落とします。
 
「お前は……覚えているわ、あのときに逃した小娘ね」
「兄の仇を討ちにきた」
「なるほど、見た所そのために武闘姫の力を手に入れたようね。でも力を持っているのはお前だけじゃない」

 ホイスヘンが取り出したのはなんとドレス・ストーンです!

「ドレスアップ!」

 ホイスヘンが武闘姫に変身しました。
 
「元々私は武闘姫だったよ。若返りの薬を作っていたのは、ただ若返りたいんじゃない。全盛期の力を取り戻し、永遠のものとするためよ!」
「ホイスヘン!」

 グレーテルは矢を連射しますが、ホイスヘンはまたしても杖で叩き落とします。
 
「無駄よ!」

 正攻法では倒せないと判断したグレーテルは即座に逃げ、地上へつながる階段を駆け上がります
 
「逃がすか!」

 ホイスヘンはグレーテルを追います。
 階段を上がりきった時、ホイスヘンは何かを踏みました。
 
「え?」

 足元には板状の物体があり、何かと思った瞬間、それは爆発します。
 爆発は片足を吹き飛ばし、ホイスヘンは倒れます。
 
「自分のテリトリーだと思って油断したわね。あらかじめ魔力の物質化で地雷を仕掛けていたのよ」
「卑怯者!」

 ホイスヘンが叫んだ瞬間、彼女の眉間をグレーテルの矢が貫きました。
 
「ロビンフッド流弓道に卑怯という言葉はない」

 死体となったホイスヘンにグレーテルは言い放ちます。
 たった一人で強大な敵を倒すため、ありとあらゆる手を使って戦う。そのためならば、弓だけでなく罠すらも使う。それがロビンフッド流弓道なのです。
 グレーテルは地下へと戻り、捕まっていた子どもたちを助け出すと、魔力でありったけの爆弾を作り出し、お菓子の要塞を爆破しました。

「兄さん、仇をとったわ。あなたへの義理は果たした。私は負い目を感じること無く、自由に生きるわ」
 
 ついに兄の仇をとったグレーテルですが、その心に達成感や満足感はありません。ですが、心を縛っていた見えない鎖は消えていました。

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