20211018ふかいメルマガ 21回 多様性とは「性別という名前の付いた箱」
おはようございます!
ところで以前、多様性というテーマでメルマガを2回お送りしたところ、
返信をいただきました。
個別に返信はしたのですが、とても興味深いテーマなので取り上げます。
いただいたメールの要旨は次の通りです。
「多様性について、私個人として考える機会が多いものでしたので返信します。宗教や国籍における多様性の受容度は、たしかに現代の日本人は高いように思います。日本は、他国と戦争だってしているのに不思議な気持ちです。
しかし、それが国内、それも性別や家族の問題になると日本人の多様性は低いように思います。
そもそも性別という括りって必要?と思うこともあります。
性別という名前の付いた箱に、他人を振り分けること自体、多様性から外れているのでは?と思うからです。
深井さんは国内における性別についての多様性はどのように考えられていますか?」
あらためてこのメールを読み直して、「性別という名前の付いた箱に、他人を振り分けること」という表現、なるほどなぁと思いました。
たまたま女性に生まれた、男性に生まれたというだけで・・・ということだと思います。
最近は、LGBTQ(用語定義を最後に入れました)の時代なので、肉体的には男性だけど、心は男性ではないかもしれない。
自分の意思とは違う箱に入れられることで、希望している機会が奪われたり、期待していない教育やしつけやルールを押し付けられたり、ということだと思います。
ご指摘の通り、日本の性別の多様性は、世界からも遅れています。
世界経済フォーラムが今年の3月に発表した「世界ジェンダーギャップランニング」で、日本は156ヵ国中120位。
昨年より1つ順位を上げましたが、G7では万年最下位。
韓国は102位、中国は107位なので、水をあけられています。
これは毎年メディアで報道されるので、ご存知の方も多いと思います。
ではこの120位がどうやって算出されたかということなのですが、「経済」「教育」「医療へのアクセス」「政治参加」という4つの分野の順位を総合したものです。
日本を分野別にみると、「経済」117位、「教育」92位、「医療へのアクセス」65位、「政治参加」147位と、特に政治への女性参加が低いことがわかります。
とはいえ、他の分野も自慢できるような順位ではありませんが・・・
ただし女性の教養・教育への受容性は、日本はヨーロッパに比べても早い時期から高く、例えば、女流文学が世界史に最初に登場するのは、「源氏物語」の紫式部と「枕草子」の清少納言。
どちらも西暦1000年ごろですが、ヨーロッパで女流文学が登場するのは、1600年以降。
ヨーロッパでは、女性の教育水準の低さから、女性による文学が芽吹かなかったわけですが、日本ではすでに関ヶ原合戦が起こっています(関係ないですが)。
私は、この男女の教養水準に差をつけなかった日本という国が、歴史的にどんな意思を持っていたのか、勉強不足でよくわかりません。
ただ仕事の男女差は、カラダの構造によって違うかもしれないということは想像がつきます。
例えば、狩りは危険で力がいるから男。
女は家で家事と子育て。
戦は男。女は家を守る。
今、こんなこと言ったら男女差別か?と言われますが、
こんな便利な社会になるひと昔前まで、世界中そんな世の中でした。
でも、男女の教養に差をつけるべきではないと、平安時代の日本が考えていたとしたら、かなり進んだ考えだと思います。
ただ狩猟よりも農耕社会の日本は、男女差なく家族みんなで種をまいて、家族みんなで収穫して、っていうことが、社会における男女の壁を低くしていたのかもしれません。
例えば、ジェンダーランキングの「経済」や「政治」のランクが日本で低いのは、平安時代から育ててきた日本の教養とは別の、教育のあり方によるものだと思っています。
物心ついた時から私たちは、男らしさ、女らしさ、ということを教えられていますよね。
家庭でも、お父さんとお母さんという役割の違いは刷り込まれています。
そもそも、日本語に現れています。
女々しい
女の腐ったの
悪女
女狐
「恨めしや~」と言って出てくる幽霊は、まず女性ですね。
などと言っている私ですが・・・恥ずかしながら私もつい先日やってしまいました。
YRK&のグループ会社で株式会社SoooooS.カンパニーの代表取締役社長の木村有香さんと、YouTubeのAPSPちゃんねるを収録していて木村さんを「SoooooS.の女社長」と紹介してしまい
木村さん「女社長!?(怒)」
「あ、すいません、女性社長でした(汗)」
「女性!?(苦笑)だめでしょう」
スタッフ「はい!編集いれまーす!」(ライブじゃなくてよかった(-_-;)
私がそんなレベルです・・・申し訳ございません。
そもそも男社長って言わないですよね。(はい、言いません)
女性がやっていることが特別なこと、という意識なんですか?(い、いえ違います)
聞いとるのか!男ども!(スミマセン!)
ちなみにわが家の家庭では、仕事も家事も男女差はアリマセン!
仕事においても男女を意識することはほとんどアリマセン!
それでも、これですよ・・・とほほ。
日本の教育は、私たちの昭和の時代とはすでに変わっているし、
問題意識を持っている若いお母さんが増えているので、
その子供たちの常識は、間違いなくおっちゃんたちとは違います。
内閣府が毎年実施する国民意識調査の中で
「物の豊かさと心の豊かさのどちらが大事か」という質問があります。
1980年までは物の満足がやや上回ってきたのですが、1980年を境に逆転し、以来現在に至るまで心の満足が圧倒的に高くなっています。
1980年生まれの前と後ろ。
ちょうどミレニアル世代、
私たちがソーシャルコンシューマーと呼ぶ世代。
経産省はSDGsネイティブと呼ぶ世代。
みんな一致しています。
私は1980年に起こった現象を、価値(観)断層と呼んでいます。
この価値断層だけで、けっこうおもしろい話しになるのですが、
話がそれるのでやめておきます・・・(^^;
これについては、山口周さんが「ニュータイプ」という本で詳しく書いています。
内閣府のグラフ↓
生活習慣も大きいと思います。
女社長なんて言ってしまうヤツもどうかと思いますが、そんなヤツは駆逐されていく社会になっていくでしょう。間違いなく・・・(汗)
象徴的なのはマスクです。
今、マスクをつけないで家を出てしまい外で気づくと、どうしようもなく恥ずかしい、ちょっとした罪悪感。
少し前まで、そんな感覚はありませんでした。
これが続くと、マスクってパンツみたいな感覚になってしまうのではないかって、思います。
栗本慎一郎さんの「パンツをはいたサル」という本。
東大の祝辞で有名な上野千鶴子さんの「スカートの下の劇場」という本。
どちらもパンツの話しで、パンツを履く人間という動物は、何者なのかを論じています。
パンツで覆うことが、性差の根源でもあるし、パンツを履くことで「人間らしさ」、言い換えると夢や嫉妬、欲望や理性など人間特有の感情や人間しかかからない精神的な病気がはじまったともいえるわけです。
今や当たり前のようにパンツを履いて、服を着て、マスクをして・・・
と同じように、男女の性差認識というのも無くなっていくのだろうと思います。
一方でパンツから男女の性差認識がはじまる、とも言えるかもしれないとも思います。
それから、多様性を考える上で重要なこと。
それは「相手の側に立って考える想像力」だと思います。
メルマガ「会社の中の多様性」で、「他の部署、他の社員のことは、ほとんど知らない」という前提に立つことが大事だと書きました。
自分の立場でしか考えられない想像力しかないから、
「女社長」なんて言い放ってしまうわけですm(__)m
相手の立場を尊重すること、その人のことを自分はほとんど知らない、という立場に立つことからだと思います。
家庭では、男だから女だから、夫だから妻だから、父だから母だから、ということに関係なく、常に相手のしてくれたことに、「ありがとう」を添えることが大事じゃないでしょうか・・・。
LGBTQとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつとしても使われることがあります。
※Qを表す「クイア」は、もともと「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉で、同性愛者への侮蔑語でしたが、現代では、規範的な性のあり方以外を包括する言葉としても使われています。「クエスチョニング」は、自らの性のあり方について、特定の枠に属さない人、わからない人等を表す言葉です。 日本におけるLGBTQの割合は、調査機関・調査方法によってデータにバラつきがありますが、現在では約3%〜10%と言われています。
(出典) https://tokyorainbowpride.com/lgbt/
深井賢一