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音楽は人を救わない

 今までさんざタイトルに無関係なこと書き連ねてきたけど、今日はタイトルが結論で全て。いつも以上に推敲する気もないし、いつもと同じ文に揃える気もない。ただ今の思いの丈を書く。自分のためのカタルシスだ。気分を害したらブラウザバックしてもらって構わないし、叩くなりなんなりしてくれたらいい。noteに「よくないね」ボタンが追加されたら真っ先に押しにきてくれ。

 ステージ上で音楽をやっている方々のMCを総合すると、曰く音楽は聴いている人を救うものらしい。そんなわけあるか。ただ歌詞に乗せられて自己陶酔してるだけだ。現実から目を背けているだけだ。酩酊だ。欺瞞だ。音楽は人を救うのではない。救われた気になるだけだし、救った気になるだけだ。自分と他人は全然違う背景、生い立ちで生まれ育ってきたわけだし、全然違う知識や経験を有しているわけだから、そんな知らん奴に救われてたまるか。理解されてたまるか。自分を救えるのは自分だけだ。自分以外の人間は自分のことをほとんど知らないわけだし、自分だって他人のことは殆ど知らない。

 多分余程のバカじゃない限り、ステージ上で音楽をやっている方々。とりわけ、上述したようなMCをする方々はそんなこと分かりきっているはずだ。じゃあなぜ、そんなことを言い続けるのか。多分、本気で救うことができると信じているからだと思う。それが音楽によって救われた経験があったからそうできると信じている場合にせよ、音楽によって救われた経験はないけど救いたい気持ちがあるから救うことができると信じている場合にせよ、根底に誰かを救いたいという気持ちがあるんだと思う。言ってしまえば彼ら/彼女らもまた、音楽をして誰かを救っている自分に酩酊しているのだ。

 ここまで読んで下さった方には、「この文章は音楽や音楽をやっている人をバカにするために書いているのだろう。」と映るかもしれない。本当に書きたかったことはここから。私もまた、音楽に救われた人間の一人だ。一度や二度ならず何度も救われた。今日だってそうだ。最近はやることなすこと裏目に出るし、相変わらず自分に自信を持てない。自分のペースを作れたと思ったらすぐに乱れる。人には迷惑をかける。その癖に人の好意を全て素直に受け取り切ることもできない。自分なんかが生きてる意味ってあるのかなあなんて、全てを投げ出したくなった何年か前と同じことを考える。生活はもちろんできないし、好きだった音楽さえも聴く気になれなかった。

 そんな中、なんとなくだけど昔好きだったBUMP OF CHICKENを聴いた。鬱屈や何かから拒まれたこと、孤独、人生の手詰まり感みたいなネガティブな歌詞を歌いつつ、でもあなたはなんとかなるよと後押ししてくれるような曲がたくさんあった。それを聴いてなんか今の自分みたいだなと思った。そして、なんだか元気が出てきた。そう、酩酊した口だ。余談だが、昔好きだったのに最近の曲を聴けなくなった理由が最近ようやく判明した。「orbital period」を区切りに曲を向ける先が変わったらしい。以前は自分の中での葛藤を題材にしていたが、それ以降は外界との関わりについてを題材にしているとか。だから、「FLAME VAIN」とか「present from you」に入ってる曲が好きなんだと思った。そして、どうやら外の世界は自分にはまだ眩しいらしい。ラジオかなんかで聴いた程度で詳細を知らないので、知っている方がいれば教えていただけるとありがたい。

 他にも自分が現在好きな曲を聴いたり、昔好きだった曲を聴いたりしてできるだけ酩酊した。人生なんてものは気でも狂ってない限り、素面で生き続けることは難しい。だから、自分を救おうが救わまいがそんなことはどうでもよくて、どんな手段を講じてもできるだけ酔っ払えばいいと思う。グズグズしてるうちにも時間は進んじゃうんだしね。自分が限界なことを知らないフリして生き続けないで。無理なもんは無理なんだから酩酊してパーっと楽しもう。肩の力を抜いて生きることも大切だよ。肩の力を抜く手段の一つとして、音楽をお勧めする。

 明日人と会うことがあっても、目がどんな状態か分からないくらい前髪が長くてよかった。音楽は人を救うこともあるよ。以上。再見。

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