炭酸泉の中の住民達

たんさんせん では みんな しあわせそうに ふわふわ と うかんでる

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最近の記事

2024年6月16日 日比谷公園大音楽堂にて 

 そういえば昔書いてたnoteがあったなと思い出し、心の動きや体に浴びた音を忘れないよう書くことにした。  朝起きると前日飲みすぎて気持ちが悪い。吐こうにも胃には何も残っていないので、胃酸が上がって口内に酸味が広がるだけ。そんな2024年6月16日に、日比谷公園大音楽堂にてCRYAMYというバンドがライブをする。発表は確か1年前だっただろうか。調べてみたら7月10日に恵比寿 LIQUIDROOMの『脱皮』にて発表されたらしい。  CRYAMYとの出会いは覚えていない。最初に

    • インターネットはクソ

       久しぶりに投稿。毎回思い立ったタイミングの勢いで書き切るようにしているため、思い立ったはいいものの書き切るとなると難しいかもなと思って中々書けないでいた。そうこうしている間にも夏は過ぎ、最近は散歩をしていると金木犀の香りが風に乗ってくるような季節になった。最後に書いたのはいつだったのだろうかと投稿履歴を見てみると、6月の頭らしい。4ヶ月もの間に人生は紆余曲折あったのだけれど、なんとか今も生きている。どんな書き方をしていたのかすら忘れてしまっていたので、いつもと違う書き方だと

      • 更級日記の少女

         4月ごろは週1くらいでnoteを投稿していたのに、最近はあまり投稿できていない。何かしら投稿しなきゃなと思いつつも、特に書くことがなかった。というよりも、自分にとって人の目に晒すことのできる上限と下限みたいなものがあって、その中に存在する出来事を持ち合わせていなかった。そういった背景もあり、今回はわりかし思いつきみたいなもので最近考えていることを書いていく。  みんなは夢を持ってる?ある職業になりたいといった現実的な夢や石油王と結婚したいといった非現実的な夢、もしかしたら

        • 希死念慮ではないけれど

           春(夏?)が終わって最近は蒸し暑くなってきたけど、みんなは元気?私はそこそこ元気な感じ。湿気っぽくて蒸し蒸ししていると、外に出たくなくなるとか夜中眠れなくなるとかしてやだよね。そして少し憂鬱になる。五月病の語源ってもしかしたら梅雨のせいで気が晴れない人が作った言葉なのかもね。  昔、具体的に何があったとかは言いたくないけど、本気で死のうとしたことがある。こうして文章を書いている訳だから、結局は死なずじまいだった。その時から死について考えることようになった。それまでは「死ぬ

          隣人愛は難しい。じゃあ、身辺愛はどう?

           隣人愛という言葉がキリスト教にはある。キリスト教について詳しく知らない私にとって、この言葉は「自分自身との関わりの有無は置いといて、誰にでも愛を与えようぜ」という考え方のように思えて、少し荷が重く感じる。ネット上の情報には「自分のまわりにいる、身近な人々への愛」と定義されているものもあるが、「隣人」という言葉から察するに、家族や友人、恋人、職場の人といったような親密度には差はあれどある程度関わりを持った人々というよりも、さらに広い範囲をの人々を指しているように感じる。誤解を

          隣人愛は難しい。じゃあ、身辺愛はどう?

          なんか、適当な方がよくない?

           私の人生を振り返ってみると、本気で取り組んだことは大体失敗している。もっというと、本気で向き合ったからにはやり遂げなければという感情を持って挑んだことに関して失敗している。スポーツ、受験、人間関係、人前での発表など読んだ人にとっては大したことないじゃんというような瑣末な出来事なのかもしれないけど、たくさんの失敗をしてきた。その経験から題名にもある通り、適当な方が良くない?と考えるようになった。ただし、それは真剣に取り組まないことが良い、脱力してる自分がかっこいいというような

          なんか、適当な方がよくない?

          アンチアイデンティティ

           個性なんてものは存在しないのではないか。自己分析をしながら私はそんなことをぼんやりと思った。だって、私は私が触れてきたもの── 例えば音楽、例えば映画、例えば小説 ──の和なのであり、それらの製作者はまた別の何かから影響を受けたものである。そうして遡って辿っていくと、最終的には確かな個性が存在していると思う。だけど、それ以外の全ては応用、組み合わせ、パクリ、オマージュ、それらに類する何かなんだと思う。もしかしたら、それらの原点だけは個性と呼ぶのかもしれないけれど。  私に

          アンチアイデンティティ

          音楽は人を救わない

           今までさんざタイトルに無関係なこと書き連ねてきたけど、今日はタイトルが結論で全て。いつも以上に推敲する気もないし、いつもと同じ文に揃える気もない。ただ今の思いの丈を書く。自分のためのカタルシスだ。気分を害したらブラウザバックしてもらって構わないし、叩くなりなんなりしてくれたらいい。noteに「よくないね」ボタンが追加されたら真っ先に押しにきてくれ。  ステージ上で音楽をやっている方々のMCを総合すると、曰く音楽は聴いている人を救うものらしい。そんなわけあるか。ただ歌詞に乗

          音楽は人を救わない

          腹八分目

           「もう、お腹いっぱいだよ・・・」という状況を、読んでるみんなは想像してみて欲しい。それも、可能な限りたくさん摂取したという状況で。別にそれは何だっていい、ラーメンでも焼肉でも寿司でも推しでも何でも。そんな状況を浮かべながら、少し嫌な気持ちになっては無いだろうか。そう、これがメンタリズムです。と意味のないボケは置いておいて、本題に移る。  どうして腹八分目と中途半端なんだろう、たくさん摂取できればできるほど良いじゃんと私は今まで思っていた。そう、幸福度と摂取量は比例するもの

          d180a7a7かく語りき(勝手に語るな)

           普通に生活することは難しいのだとそれに挑戦する度に思う。そもそもここでの「普通の生活」とは何かという話になるが、朝起きて夜に寝て、3回のバランスの取れた食事をして、仕事に行くとか学校に行くとかして、お風呂に入って、掃除をして、勉強をして、趣味をして、運動をして、友人と遊んで、必要なものを買い物して・・・と勿論これを全て1日にするわけではないが、こういった事々が私は、特別な生活ではない「普通の生活」だと思う。  そもそも何故、私が普通に生活することが難しいと感じるのかと考え

          d180a7a7かく語りき(勝手に語るな)

          大人になること 下

           大人になるのはいつからだろうか。コーヒーが飲めるようになってから?親の言うことを無視して夜遊びができるようになってから?お酒やタバコなどの嗜好品が許されるようになってから?社会に出てから?そんな疑問を中学生くらいの頃、所謂思春期頃からずっと抱いていた。きっと、どれも部分的には正しいんだと思う。  日本以外の国では、牛の背に飛び乗って何回か往復するとかバンジージャンプをするとかそういったことで大人になったと認められるらしい。一次情報を当たったわけではないため、詳細にはわから

          大人になること 下

          ハイパー厄年

           ご無沙汰。もう年の瀬ということで今年を振り返ってみようと思う。毎年、今年は何も無かったなと思いながら、スケジュール帳をみると思っていた以上に予定があるので、文章にしてみることで何かが見つかるかもしれないと思った。初めてしっかりと年度の振り返りを行うのだけれど、人様に向けて、今年の自分の人生はああだこうだと発表するのは少し気が引けるが読んでくれたら嬉しい。  題目の通り、私は今年、厄年なのである。最近も嫌なことばかりで、まあ厄年だしな・・・と思っていた。さらに言えば、自分自

          对不起 - duìbuqǐ -

           タイトルにもある、对不起は中国語で「ごめんなさい」を意味するらしい。これで私はですよ、「你好」「謝謝」「我愛你」「好」「对不起」「再見」の6つもの中国語を習得し、挨拶、感謝、愛を伝えること、褒めること、謝罪、またねの6種類の会話が中国語でできる、礼儀が良し子◎になりました。そのような機会に際した場合、中国語での「おやすみなさい」はまだ言えないので、夜更けまでには何が何でも「再見」を使って逃げようと思う。幾度かそれを続けていると、シンデレラのように魔法にかかっているのかもと勘

          对不起 - duìbuqǐ -

          死にたいというよりいなくなりたい

           初投稿。  多分最初は自己紹介なり運営方針なりを語ることが多いのだろうけど、堅苦しいのは苦手なので、取り敢えず書いてみることにした。仰々しいタイトルだけど、別に自死を示唆するとか教唆するとかそういう話ではない。少しでも同じ想いの人や苦しみを持った人が救われたらそれでいいかなと思う。  私は、何か嫌なこと、辛いことがある度に「死にたい」とか「消えたい」とかそういったワードが頭に浮かぶ。だけど、行動に移すことはないし、本当はそう思っていない、願っていないんだと思う。そこで、何

          死にたいというよりいなくなりたい