BOOTHで公開しているクイズ論考について
私は2021年の夏頃から、競技クイズに関する論考を論文調のPDFにまとめたものを時々公開していて、今はBOOTH(https://wattson496.booth.pm/ )でこれらを無料配布しています。
これについて、私がどういうスタンスでこれらを作成して公開しているのか、というのをあまりきちんと発信してこなかったように思うので、まとめておこうと思います。
一言でいえば、私がBOOTHに上げている論考の最終的な目標地点は「競技クイズの競技規則を作る」というところにあります。私がそういう目標を掲げて活動するに至った経緯は、私のこれまでのクイズ歴と深く関わっているので、まずはそのあたりの話をします。
私のクイズ歴とクイズ観
私は、小学生の頃は家庭の教育方針で、テレビなどの現代的な娯楽にあまり触れずに育ってきました。私がクイズに最初に触れたのは、ラ・サール中学に入学した後、文化祭でのクイズ研究会(LSQC)のイベントで、早押しクイズへの最初の出会いが競技クイズ寄りのものでした。
その後、寮に置かれていたテレビで高校生クイズとかのクイズ番組も見るようになりますが、基本的には最初から最後まで競技クイズを至上のものとして育ってきたと思います。
高校生に上がると、チームを組んで高校生クイズに出るようになります。当時はいわゆる「知の甲子園」路線の時代で、私が比較的得意とする学問系の問題がフィーチャーされていたので、そこそこ頑張って対策をして臨んでいました。しかし、最初の2年間はLSQCの先輩チームに歯が立たず、どちらも地区予選敗退という形に終わりました。
そして、その先輩たちが卒業した高校3年の夏、高校生クイズは方針が大きく転換され、アメリカ横断ウルトラクイズのサブ番組だった頃を彷彿とさせるような「原点回帰」路線になりました。私のチームは、その年の地区予選でも敗退し、全国大会には後輩のチームが出場しました。
実際のところ、私のチームが地区大会で負けたのは、普通に競技クイズの能力不足だったように思います。形式はバラエティっぽくなっていても、実際に勝負を分けたのはクイズ的な知識・技術による部分が本質的に大きかったと思います。なので、これ自体は私はどちらかというと「出せる力は出し尽くした」という感触でした。
ただ、その年の全国大会の放送を見て、「ゴールをずらされた」というような印象だけは強く残ることになりました。結果的には勝ち上がれなかったけれども、そもそも勝ち上がった先でやりたかったのはこういうものだったのか?という思いがつのっていきました。
そして、そういう思いはやがて競技クイズの方にも向くことになります。競技クイズの大会だって、「ゴール」にあたるものがバラバラなのではないか、と。
そういう目線で見た時、今「競技クイズ」と呼ばれているものが、世間で「競技」として扱われている他のものと比べてあまりに異質なことに気がつきます。
クイズ以外の「競技」では、標準的な競技規則が定まっています。したがって、ある大会で上位に入った人は、別の大会でも出たら十分強いだろうと推測できるような形になっています。競われている内容に共通認識が形成されているので、大会同士で比較可能になっている。だから、大会での成績がどこに行っても意味を持つようになっています。
ですが、競技クイズはそうはなっていません。ある大会と別の大会では、対戦ルールの形式がバラバラなだけでなく、問題文の作りや問題群全体の構成もバラバラです。なので、ある大会での好成績はその大会の周辺でしか意味をなさないものになっています。
このあたりの話は、『ユリイカ』2020年7月号所収の徳久倫康「競技クイズとはなにか?」にも、
というセンセーショナルな冒頭文とともに、いろいろと論じられています。私は徳久さんの主張に全面的に同意というわけではないですが、「よく言えば自由だが、悪く言えば無秩序」と評された競技クイズの現状認識については、おおむね同じような印象を持っています。
私は、こうした現状認識を踏まえた上で、「もっと競技性の高いクイズを作り上げたい」という目標を持つようになりました。上述の徳久さんの記事では、「クイズは競技に向かない」ということが述べられていますが、私は必ずしもそうではないと思っています。
クイズの競技性を高めるには?
クイズの競技性を高めるには何をすればいいか?これを考える上で、私はまず、「クイズ」とは何か、そして「競技」とは何か、という問題に取り組みました。このあたりの話は、2021年7月25日に公開した『「競技クイズ」の多様性について』の中でいろいろと論じています。
これは、ざっくりと要約すると以下のような内容が書かれています:
「クイズ」は、「『問い-答え』の形式を持つゲーム全般」を指すカテゴリである
そのカテゴリの中で、競争的な形式で行われ、さらにその中の一部がデ・ファクト・スタンダード的に「競技クイズ」と呼称されている
「競技」は競争的な遊びの中でも特に、規則が設けられて秩序だって行われるものである
競技規則はいくつかの類型に分けられ、そのうちの一部は合理的理由を持たない、その競技に関わる者同士の合意にのみ基づくものである
競技クイズで統一ルールを作るには、現状の競技クイズでデ・ファクトに定まっている業界の共通認識を明らかにし、全体で合意形成できるように言語化する必要がある
私の競技クイズに関する研究は、全てこの論考の趣旨を出発点としており、ここで言われている「現状の業界の共通認識を明らかにする」の内容を、もっと具体化して扱ったものがそれ以後に公開した様々な論考という形になっています。
統一ルールで競技クイズ界を統一したいわけじゃない
徳久「競技クイズとはなにか?」にも書かれてありますが、今の競技クイズ界では、そもそも競技クイズを「統一」する動きには否定的なイメージを持たれがちだと思います。これはいくつか要因があると思いますが、一番大きな要因は、私は「自分たちが今楽しんでやっているクイズが異端とされて迫害されるかもしれない」という懸念によるものではないかと思っています。
統一ルールを作るということは、それが主流であり、それ以外のものは主流ではないと線引きをすることです。現状は多種多様な競走的クイズの形態が「競技クイズ」として行われており、どれか1つを統一ルールと定めると、それ以外の全てが非主流のものとなります。
私は、そういう形で他を駆逐するのはあまり良くないと思っています。他の人がそういう形で「統一ルール」を公表したら、私は受け入れがたいとと感じるだろうと思います。なので私も、今考えているものをそういう形で公表しようとは思っていません。「abcルール」とか「AQLルール」のような数ある様式の1つに追加されるものを提示する、くらいができれば十分だと思っています。
私は、今やっている研究の成果が一段落したら、それをベースに「ぼくのかんがえたさいきょうの競技クイズ大会」のような形のものを開催しようと思っています。そこで、様々な研究に裏付けられた競技規則集を公開して、これを他の大会でも流用していいですよ、という形のライセンスで出そうと思っています。
もしこれが多くの人に受け入れられたら、自然とデ・ファクト・スタンダードになっていくでしょうし、受け入れられなければ単なる数ある大会の1つになるでしょう。正直私は、その結果がどちらに転ぶかについてはあまり興味を持っていません。他の分野での標準化の過程を見ると、合理的な標準が歴史的経緯に負けて消え去った事例はいくらもあります。どんなに気合いを入れて良いものを作っても、それが必ず世に広まるものではないと思うので、最終的にどちらになるかは考えてもしょうがないと思っています。とりあえず今は、自分自身が納得できる程度に客観的に競技性を追求した競技規則を作り上げるところまでを目標にしています。
客観性と主観性
上で、他の人が統一ルールを公表したら私は受け入れがたいと感じるだろう、と書きましたが、私がこう感じるのは「なぜそのルールに決めたのか」が理解できないだろうと思われるからです。
『「競技クイズ」の多様性について』の中でも触れたように、競技規則にはいくつかの類型があって、そのうちの一部は、必ずしも合理的な理由を持たない形で決められます。例えばサッカーだと、「ボールを手で触ってはいけない」というルールは、「サッカーとはそういうものだから」という以上の理由がなく、合理的に決めることはできません。
競技クイズの規則も、「競技クイズとはそういうものだから」という感覚で決めないといけない部分が必ず出てきます。現状の競技クイズはかなりとっちらかっていて、「そういうもの」がどういうものなのかがあまり整理されていません。なので、安易に競技規則そのものだけ提示されると、なぜその「競技クイズとはそういうもの」を取ったのか、というところがどうしても主観的に決めたものに見えてしまいます。それはあなたの考えの押しつけなのではないか、と。
私はこうした部分を、できるだけ主観を排した形で決めたいと思っています。現状、競技クイズの大会にはかなりデ・ファクト・スタンダード的に共有されているものがあって、ただ明確に言語化はされていない、という状況のように見えるので、現状の競技クイズの大会を分析して、共通点や相違点を客観的に分析するのが必要だと思っています。
この分析をできるだけ客観的に行い、客観的な形で公表しようと思って、私はBOOTHに公開している論考を学術論文の体裁で公表する形に決めました。
私はこのnoteには主観的なことも客観的なことも両方書いていくつもりですが、BOOTHに上げている論考は、客観ベースの話のみで構成したいと思っています。
あなたもクイズの研究をしませんか?
私がBOOTHに上げている論考は、学術論文のような体裁はしていますが、一般的な学術論文とはクオリティに雲泥の差があります。査読なんかもされていないので、色々問題点を抱えたものになっていると思います。
今のところ、私はこれは妥協ラインとして仕方ないところと思っています。そもそも現状は競技クイズについて研究論文を発表する文化が全くないところから始めようとしている取り組みなので、例えば査読をお願いしようにもお願いできる人がいないからです。
ゆくゆくは、競技クイズを扱った論文集を、色々な人に寄稿してもらって、査読ありで定期的に発行できるようになったら理想的だと思います。そして、競技クイズ学会のような場を設けて成果を発表し合うようなことができれば良さそうです。
私は、現時点で公開している内容は、結構ツッコミどころがたくさんあっても、とにかく数を出すことを重視して、あまり細かく検討しすぎずにすぐ出すようにしています。なので、私が今BOOTHに上げている論考は、ちゃんと読めば批判をかなりたくさん書けるだろうと思っています。
先日、競技クイズの問題文の統語構造に関する論考(https://wattson496.booth.pm/items/3963731 )を発表し、それとこの次に出そうとしている論考の内容に関連してツイート(https://twitter.com/nosei_quiz/status/1573675601151791105?s=20&t=eWZSlv9sZKIf6VG3D7tbOQ )をしたら、twitterのDMでこれに関するご意見をいただきました。
趣旨としては「分析対象がabc the seventh/EQIDEN2009と古いもの1つなので、サンプルバイアスにより現状の競技クイズの潮流とは乖離しているのではないか」というものでした。私はこのご意見は非常にごもっともなものだと思います。
私は現状、分析の対象として用いるクイズ問題は「クイズの杜」で入手できる問題に限定しています。これを選択している理由は「誰にとっても入手が容易」だからです。私は私と同様に研究をする人を増やしたいと思っているので、そういう人が私の辿った道をそのまま辿れるような形にしておきたいと思って、現状は誰でも入手できるクイズの杜の問題を愛用しています。
ただ、これは学術研究としてはあまり褒められたスタンスではないと思います。本来は、入手できる全ての範囲から、目的に応じて最適な分析対象を選択すべきです。こうした問題点が残ったまま公表しているので、例えば『競技クイズの問題文に見られる文節の頻度分析』(https://wattson496.booth.pm/items/3194993 )ではサンプルバイアスの問題を最後に指摘して終えています:
こういう記述は、書いているものもあれば書いていないものもあり、私の上げている論考はかなりツッコミどころが多いです。私は自分が査読者だったら私の論考は全部rejectしていると思います。
もちろん、こうした状況はあくまで今の黎明期だけの問題で、ゆくゆくは改善していこうと思っています。現状は私も仕事の合間に少しずつやっている形で、それほどリソースを割けていないので、一度に理想的な形まで持っていくのは難しいです。
ともあれ、今私の発表している内容は問題だらけになっているので、ぜひその批判点を見つけて、オープンな場で公表してください。形式は何でも構いません。もちろん論文のような形で出してくれるとめちゃくちゃ嬉しいですが、そこまで気合いを入れなくても、noteとかtwitterで軽くつぶやく程度でも十分です。ぜひよろしくお願いします。
以上、そこそこ長々と説明を書いてきましたが、これでおおよそ私のBOOTHクイズ論考に対するスタンスは一通り説明できたと思います。今後もしばらくは随時論考を上げていこうと思うので、ぜひ読んでみていただけると幸いです。