![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87763757/rectangle_large_type_2_9bb03c97116dd96c60db690c9207f612.png?width=1200)
小説家・日野巌は、農学博士の日野巌と別人か?
以前から別人だろうと、確証もなく、後回しにしていた、小説家日野巌の存在について確認しておく。
国会図書館で「日野巌」を検索すると三田文学が多く出てくる。最も古いものが大正9年(1920)3月、新しいものが昭和12年(1937)9月である。
日野は、大正9年(1920)9月に東京帝国大学に入学するので、岡山の第六高等学校時代から投稿が始まり、宮崎高等農林学校時代まで続くことになる。
果たして、この人物が「農学博士 日野巌」なのであろうか。
国会図書館の検索結果には、『三田文学』や海外小説の翻訳などが並び、困惑することが多かった。次世代デジタルライブラリーで検索したところ、『現代出版文化人総覧. 昭和23年版』という文献に「日野巌」の名があった。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123753
そこには、農学博士の日野巌とは別人物の「日野巌」が紹介されていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1664272635636-aMmGe4oFCR.jpg?width=1200)
明治31年生まれ、本名:日野岳夫、別号:博之、専門は英仏文学・小説とある。これで自信をもって、農学博士日野巌の文献目録を公開できる。