日野巌の住所
Theopotamos (Kamikawa)さんから連絡があり、『佐渡郷土趣味研究』第九輯に「日野巌方 郷土会」の蔵書印があるという。『佐渡郷土趣味研究』は佐渡の民俗学研究者・青柳秀雄(秀夫)が編集していた雑誌であるという。
ざっとであるが、目を通してみると、寄贈を受けた雑誌について記述があるのは、第五輯のみである。
『佐渡研究』とあるが、『佐渡郷土趣味研究』と考えて良いだろう。青柳秀夫の名もある。他は、研究会の名が挙げられているなか、個人出版は2つのみである。
※Theopotamos (Kamikawa)さんからこの2つは別の雑誌とのコメントがありました!
国会図書館デジタルコレクションで調べてみると、同じ雑誌への投稿はないが、同じ頁に二人の名が並ぶ頁があった。『方言と土俗』である。
以上、軽くであるが、日野巌と青柳秀雄(秀夫)の関わりについて触れておく。
さて、この作業中に、これまで日野巌年譜作成の上で、やり残していた事に気付いた。日野巌の住所の移動である。
まず、最初の家は、
「宮崎市神宮町六八八」である。前述の青柳秀夫からの寄贈を受け入れたのは、この住所であった。
昭和7年一月には、
「江平町三丁目七六」へと変更される。引っ越したのであろう。
昭和7年5月も同住所であり、下記のように再度、文中に住所が記されている。
昭和7年9月には、再び
「神宮町23」と変更される。ところが、奥付の上部には次のようにある。
ということで、一度しか引っ越ししていなかったことが分かった。
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