見出し画像

諸塚村の箕舞

出典は『諸塚村史』です。引用の際は原本を当たって下さい。

箕舞


箕舞は御神楽の一節で、御神楽三十三番の添舞といわれ、夜中に舞う神楽であった。イザナギ命、イザナミノ命の二人舞いで、子孫繁昌を願って舞う神楽といわれている。
舞う人の装束は男装はたぐり袴(からげ)に毛笠をかぶり、女装は女のたすきみの衣を着て姉さんかぶりに襷かけ、上の舞は扇と鈴を持ち、下の舞は杵と箕を使って四方割をして舞うのである。軽快な物腰、エロチックな身振りで面白さもある。 夜通し舞い明かす神楽の疲れをいやすために舞われたともいう。軽快で素朴な身振りが特徴である。 明治十年(西南戦争ごろ)まで舞れたが、その後神楽があっても舞われず、祝酒などの座で余興に舞われて名残を止めて来た。(戸下、■川庄五郎翁、昭和二十五年四月談)
その後、一般観衆の前では昭和二十五年四月、諸塚村が西臼杵郡から東臼杵郡に編入移行された祝賀会があり、藤井村長の要請で塚原公会堂の広場で、発表されたのが始まりで、その後は村の行事にたびたび出演し、昭和三十二年七月三十日から八月四日まで全国椎茸祭(第五回)に諸塚ミス八名が宮崎県代表として上京し、三越デパートで箕舞と椎茸音頭を開演して名声を博した。その後も村内外から招かれて出演している。

箕舞の元歌
うれしさに吾はここにて舞い遊ぶ
妻戸も開けてみすもおろさず
千早ふる神の岩木に袖かけて
舞えばぞ開く天の岩屋戸
日向なる二上山のふもとには
乳が窟にこだねまします
振り立つる鈴の音色は神さいて
人の種子こそ神の種子なり

箕舞の歌
藤井長治郎作詞
昭和三十二年七月

御幣立つ諸羽の山の麓にて
仲むつまじき里の人々
囃子
そろそろたよ踊り子が
秋の出穂よりなほそろた
コラサノサッサ コラサノサッサ
ヨーヤルコトナイ。 (以下同)
日向なる美々津の川の水上に
こよいも聞ゆ笛太鼓の音
囃子
こよさ踊子は皆そろて
踊上手でよかよめ女
山の端に月がかかりて夜もふけぬ
いざ舞い遊ばん身振りおかしく
囃子
あれはどこの子庄屋どんの
箱入り娘で手が出せん
日の本の諸羽の里はなべてみな
女ならでは夜の明けぬ里
囃子
うちの嫁女にどれとろか
踊り上手がよかろばい
ひえを搗く手元狂いぬこよさまた
妻こふ鹿の遠音聞くとき
囃子
おどおどれよ皆そろて
太鼓に合せて調子よく
杵と箕で身振りよろしく舞うほどに
人の心の和みぬるかな
主の帰りを見送れば
鎮守の森は朝がすみ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?