楢木範行と澤田四郎作、岩倉市郎との関係のはじまりについて、年譜25で話題となった。
そのなかから日本民俗学講習会に立ち返るべきかと考え資料を探したところ、議事録が遺されていたので、そのなかから楢木範行の発言をピックアップすることとする。その書籍は、柳田国男編『日本民俗学研究』(岩波書店、昭和10年)である。
講習会にさんかできなかった会員向けに作成された議事録とのことで、座談会での各会員からの詳細の報告が記録されている。それぞれの会員の準備の大変さとこの研修会に向けた意気込みが伝わってくる。都道府県を代表する形で、より柳田国男が好みそうな事例を次から次に提示してくるスリリングな会の様子が伝わってくる素晴らしい議事録である。
楢木範行は柳田から紹介された際の発言のみならず、各会員から提示された話題について鹿児島の事例を紹介、積極的な姿勢が見て取れる。
「開白」として柳田国男からの説明がある。
講義の概要が紹介された後、巻末に「日本民俗学会講習会座談会速記録」として議事録が残されているので、楢木の発言部分を紹介していく。
「大阪は生憎いろいろ差支があつて」とはどういう理由かは不明であるが、ここで紹介されるべき人物は、澤田四郎作らであろうと思われる。岩倉の説明から大阪での活発な活動の様子が伝わってくる。この講習会には澤田は参加しておらず、岩倉が参加しているということは、澤田よりも前に楢木は岩倉に会っていたのかも知れない。
九州の研究者について、柳田は、「次に福岡と佐賀の二県は生憎一人も来て居られませんが学生の中で誰か話される方はありませんか。ーーなければ大分県の後藤貞夫君を御紹介致します。」「熊本県は玉名郡と阿蘇郡の両郡から来て居られますが、二君の話合で能田太郎君は立たずに八木三二君が熊本県の状況を話して下さるさうであります。」と順番に紹介し、続けて楢木範行の紹介となる。
楢木範行の紹介を受け、柳田は宮崎県の日野巌についても紹介しているが、ここでは割愛する。伊奈森太郎が座長となり、食物について発表されていくなかで、指名を受け、楢木は発言する。
柳田と楢木のやりとりがあり、理想的な情報交換ができている印象である。続いて「子守唄」「苞氏神」「女性の労働」などについての鹿児島の事例を報告している。
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