人には言えない、祝い事に関するモヤモヤごと
今回は、最近になって感じた祝い事に関するモヤモヤごとを綴っていきたい。
文頭に申し上げておくが、
わたしは心が狭い人間である。←重要
これから書くことに対して
心が狭い人間の戯言程度に捉えていただけたら嬉しい。
お祝い事って祝いたいじゃん?
ほんの少し前まで。
友人の誰々が結婚だの、やれ出産だのに対して
おお!これはお祝い渡さないとね!
と(勝手に)思って友人に会ったタイミングや、近頃はコロナ禍ということもあり、ネット上で送付が完結できるウェブギフトを節目ごとに送っていた。
おめでと〜♪めでたいねぇ♪
よかったらこれ食べて(使って)♪
というちょっとしたねぎらいや祝福を込めて。
送り先である友人知人も遠慮するだろうから、なるべく高額ではないけどそんなに安っぽくはないものを自分なりにチョイスしてこれまでプレゼントを送ってきた。
しかし、この感覚がここ最近になってわたしの中で変わる出来事が起こった。
この感覚、みんなが待ち合わせているわけじゃない?
前記事でも記載したのだが、わたしは2022年の夏に現在の夫と入籍をした。
くわしくはこちらの記事で少し書いてます↓
感染者数は少なくなってはいたものの、
コロナ前に比べたら外出頻度は少なかったため、会える友人には直接報告し、都合が合わず会えない人に対してはSNS上で報告するのみであった。
SNSを見てくれた友人の何人かはお祝いの言葉をくれたが、ギフトをくれた友人はその中でも2.3人。
…あれ??
おめでとう、と一言いってくれるだけでも充分に嬉しい。
言葉じゃなくて、プレゼントよこせよって言いたいわけではない。
これまで友人の結婚式にも何回か出向いたし、結婚祝いはないにしろ、例えば引越し祝いや結婚祝い・出産祝いをあげてきた。
ちなみに、上記に該当する友人のフォロワーももちろんいる。
(出産祝いと結婚祝いを同等にしてはいけないかもしれないが)
結婚式に出席して、引き出物を返したらそれでOK…
引っ越し祝いはわたしが引っ越しをしたときに返したらそれでOK…というものなのだろうか。
とりあえず、結婚式に参列したからうんぬん…は一旦置いておくとするが…。
でもお祝い事にそういったものを送り合うことが友情だ!!という考えがナンセンスでもあるが。
ここでわたしの中で不穏なモヤモヤが立ち込める。
そこは価値観の違いなんだよ
このたまりにたまったモヤモヤ話、友人に話すことなどさすがのわたしもできないので夫に話してみた。
すると彼から返ってきた答えは…
そこは価値観の違いなんだよ、どうしようもないじゃないか…
と言われてしまった。
ひどく妥当である。妥当極まりないのである。
いや!わかってる!!そうなんだよ!!
そんなことね、言われなくても頭では理解している!!!
わかってるんだけど!!そうじゃないんだ!!!!(大声)
価値観の違い、意見の違いというのはわかっているのだ。
それでもなにかモヤモヤするのだ。
30代になって、友人それぞれ家庭を持って忙しくしているのももちろんわかっている。
それぞれ事情があるのはわかっているのだ。
でもわかった上でもモヤモヤするのだ。
結論、寂しいのだ。
なぜモヤモヤするの?
見返りを求めてプレゼントしたわけじゃなかったが、なぜだろう。
自分に問いかけて考えてみる。
答えとしては
わたしは祝ったのに、祝った人たちはわたしのことを祝ってくれない、なんなの?
と感じてしまってムカつくし、寂しかったのだ。
これは完全なる被害妄想だ。それは理解している。
そして見返りを求めている自分にも嫌気がさすのだ。
多分ここが人生のターニングポイント
このモヤモヤからわたしはある学びを得た。
ライフステージが変化すると人間関係も変化する、と聞いたことがある。
女性ならなおさらそうじゃないだろうか。
自分のライフステージが独身→既婚へと変わる。
これは新たなステージへと挑むために必要な取捨選択なのではないだろうか、と。
このように経験を重ねることで半ば無理やり学習する。
前述したが、プレゼントに見返りを求めるのは非常にナンセンスだし、意味がないということにも気がつけれたのだ。
与えたけど返ってこないものには今後はない
気づきは得られたものの、またいろんな人にホイホイ祝ってあげられるほど懐も心も豊かではない。
この出来事をきっかけに、今後どのように人間関係(主に友人関係)を構築していくか考えなくてはいけない。
学びは得たのに同じことを繰り返しては意味がないのだ。
自分が有事のときに与えてくれた人こそ今後大切にしていくべき人だと思うし、自分のことを気にしてくれる人であろう。
結婚祝いがないだけで疎遠になる、という一言で表してしまうととても薄情野郎に感じてしまうがわたしは聖人でもお金持ちでもない。
お金も時間も有限なのだ。
限りある中でどれだけ大切なものに気づき、与えられることができるのか考えなくてはいけない。
モヤモヤは晴れそうにないが、良き学びとして捉えたい。
与えられない人に、良きご縁など回ってこない。
時に損得考えずに行動することも大切ってことも忘れずにね。