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障害年金申立書

 部屋の片付けをしていたら、以前に申請した障害年金の申立書が出てきた。障害年金の受給を検討している方の参考になればと思い、プライバシーに関わる一部を改変して公開することにした。

 申立書を書く上での注意点は事実を具体的に書くことである。例えば「頑張った」という表現も、「○○時間程度行った」と表現し、「体調が悪くなった」は「頭痛、吐き気を催すようになった」などと書くべきだ。どの程度の体調の悪さかも書くとよいだろう。「起床が困難になった」「家事ができなくなった」「通勤ができなくなった」などだ。

 希死念慮はどの程度のものか書くべきであろう。僕の場合は実際に自殺未遂を行ったため「自殺企画」という表現を用いている。

自殺傾向
0 全くなし
1 生きている価値はないと感じる
2 死ねたらという願望、自己の死の可能性を考える
3 自殺を考えることがある(自殺念慮)、自殺をほのめかす行動をとる
4 自殺企図(自殺しようとする)
(ハミルトン抑うつ評価尺度(STAR*D 版)より引用)

 最も大事な一文は最後の「精神状態が不安定なため就労・日常生活に援助が必要である」の部分だ。障害年金の受給要件は就労・日常生活が可能であるかどうかがポイントになる。よっていかに就労が困難か、日常生活が困難かを書くべきであろう。

以下本文。

1.発病から初診まで
平成2■年秋頃から、部活動、学生運動、学生活動に参加をしていた。数日眠らずに活動し、時折十数時間眠るというような生活をしていた。その頃、友人や先輩との考えの違いで毎日のように口論をしていた。平成2■年4月まで同じ生活をしていた。
また、バイトや学生活動に集中しており、ほとんど授業に出席しなかったため留年となった。(1回目の留年)。
当時のことを振り返ると自信過剰で傲慢であった。

2.■■■■クリニック通院時
平成2■年4月部活動、バイト、学生活動に一区切りがついたことがきっかけなのか、無気力状態となり、自殺願望、自殺企画を行い、一人暮らしのアパートに引きこもるようになった。大学に通えなくなり、友人から心配されたため、平成2■年■月■■日に■■■■クリニックに受診した。薬を処方されて様子を見ていたが、改善の兆しがなく、2回目の留年となった。当時交際していた女性に他院を薦められ受診中断となる。

3.■■■病院通院時
2~3週間に一度受診をしてADHDと診断され、治療薬を服薬し様子を見ていた。
他人を避け、外出をしない傾向は変わらなかったが、転院する前より比較的大学の授業に参加し、就職活動をしなければいけなかったこともあり、外出の頻度は増えた。研究室配属後は順調に研究活動を行い、大学を卒業した。
就職後、X市からY市に転居し、転院する。

4.■■病院通院時
平成2■年4月に現在の職場に就職。同時に実家で生活を始める。仕事の為、外出、人間関係の構築を避けられなくなった。定期的に■■医院に受診する予定であったが、多忙(月の残業時間が70~80時間)の為ほとんど受診をすることなく、代わりに家族に薬を取りに行ってもらっていた。
しかし、平成2■年2月から残業が150時間を超える月が4ヶ月ほど続いたこと、課長に当たる上司に「いつか痛い目に合わせてやるぞ」などと恫喝されたこと、同期が「二度と顔を見せられないようにしてやるぞ」などと恫喝されている現場を目撃したことがきっかけとなり、再び自殺願望を持つようになった。この頃から睡眠をとることが困難になり、多忙の為食事も偏食となった。仕事中もめまいや頭痛・吐き気・倦怠感に襲われ、仕事の効率も著しく悪くなった。朝起きても身体を動かすことが困難になり、5月になると仕事を休む日が増え、直属の上司から休職を薦められ、休職することになった。
憂鬱な気分が数日から数週間続き、時々気分が良い日は遠出をするも、昼夜逆転生活となった。目が覚めていても体を動かすことができず、日常生活が困難であった。通院も困難になり改善が見られなかったため、入院治療を薦められ転院した。

5.現状
転院して閉鎖病棟にて入院治療となる。当初はうつ病としての治療をしていたが、現主治医より双極性障害と診断される。入院前から抑うつ気分、意欲低下、自殺願望、自殺企画があったが、服薬調整をして改善が見られた。
薬の効果が現れるまで1ヶ月程は病床を出ることもままならなかった。
その後、自分の体調を見ながら外出・試験外泊(自宅に帰り宿泊すること)を行った。
しかし、精神状態が不安定なため就労・日常生活に援助が必要である。

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わとりん
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