大人になるって悲しい事なの
大人になったものだ。
子供の頃は「手洗いうがい」という言葉が、何かうるさく無意味な呪文に聞こえていた。
それが今や事あるごとに手を洗いなさい口を洗いなさいと喚いている。これは間違いなく大人が言うセリフだ。洗えるものは洗いなさい、頭の中に渦巻いている。
大人になったものだ。
先日夫婦喧嘩をした。子供は夫婦喧嘩をしない、間違いなく大人だ。
下げられる頭は下げた方がいい。が、下げられない頭もある。だから夫婦喧嘩になる。実に大人の意見だ。
あっ、嘘、今の嘘、前言撤回謝罪のオンパレード。下げられる頭も下げられない頭も下げた方がいい。ひとつ大人になった僕から先週の僕へアドバイスだ。
可及的速やかに、且つなるべく低い位置に頭を持っていき「すみませんでした!」と謝る。逆らわない、否定しない。クレーム対応の基礎だ。
できれば頭を取り外して土に埋めて地中から謝ると尚良い。土の中から聞こえる「..み...した..」の音を以って先方の御怒りは少し収まり夫婦喧嘩は終結を迎える。
話が逸れたが大人になったものだ。
いや、もしかすると彼らが子供なのかもしれない。
ランドセルを背負った彼らは、公園で無邪気に走り回っている。
ランドセルくらい降ろして遊んだらどうだ、とニヤニヤしながら見つめていると、不審者情報として市から保護者へメールが送信される。
大人になったものだ。
子供の頃はニヤニヤしてても通報されなかったのに。笑いたい時は笑える大人でありたい。
いたたまれなくなり、公園のトイレに入る。
もちろん最後はしっかりと手を洗う。
大人は雪とインフルエンザが怖いのだ。
手の側面から爪の先までしっかり洗う。30秒以上かけて。
大人はノロウィルスが怖いのだ。
しかし、問題が。
公園のトイレは、「押してる間だけ水が出るよ」システムを採用している。そう、押してる方の手が洗えないのです。
むしろ、押してない方の手も洗えないのです。
申し訳程度に水をかけながら、押してない方の手をニギニギするだけ、そんなもんでウィルス達が諦める訳がない。集団感染により日本社会は即日破綻。
日本社会を救うべく、頭を捻る。
数時間考えた末、ふと夫婦喧嘩みたいだと思う。
水を出す方の手、手を洗う方の手、お互いがお互いを責める。
「貴方が手伝ってくれないと、キチンと洗えない!」
「そんな事言っても、僕がボタンを押してなきゃ 君に水もかけられないじゃないか!」
終わらない水掛け論、日本は終わりだ。
夫婦喧嘩の場合はどうすれば良かったのか。
そう、頭を下げれば良かった。
おもむろに頭を下げ、額を「PUSH」と書かれた銀の丸いボタンに押し付ける。冷たい。
右手は左手を洗い、左手は右手を洗う。夫婦もお互いを労った。日本は救われた。コレでウィルスの脅威は過ぎ去った。笑顔が溢れる。HERO。
かすかに聞こえる
「..み...した...す..ませんでし...」
と言う声に気づき、子供達が公園のトイレに行くと、そこには蛇口に90度でお辞儀をしながら手をこすりニヤニヤしている大人がいた。
「どうだ、オジさんはHEROみたいだろう。」
顔を上げた僕の額にはうっすらと「PUSH」の文字が刻まれていた。
#大人になったものだ
本当はこんな下らない事書いて時間潰してる場合じゃないのに、必死こいてニヤニヤ作文しないと心のバランスを保てない。大人になるって悲しいことです。